2015年6月28日日曜日

2015年7月5日 午前10時30分
聖霊降臨節第7主日礼拝(今年度No.14
    司式  野口 倢司兄
    奏  黙 想      奏楽 内山 央絵姉
招  詞  (93-1-48
讃 美 歌  11番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編14編1~7節
讃 美 歌  521番
聖書朗読  フィリピ書3章12-16節
祈  祷
讃 美 歌  461番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『駆け抜ける生』
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  529番
献  金              斎藤 晃子姉
報  告
頌  栄  91番
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年6月27日土曜日

牧師の日記から⑫
62223日、箱根湯本の温泉ホテルで行われた同信伝道会の研修会に参加しました。同信伝道会は、同志社神学部出身の牧師たちの集まりで、私自身は全くの部外者です。今回、部外者から組合教会をどう見ているかというテーマを与えられ、「新島襄と海老名弾正のキリスト教受容に遡って」私が考えさせられていることを講演しました。40名余りの牧師たち(何人かの信徒も方も含まれていましたが)を前に、同志社の創立者である新島襄について批判的に語るという冒険をしたわけです。でもいい勉強の機会になりました。温泉に入り、親しい友人たちともゆっくり話すことができたのは何よりでした。
ところで久しぶりに箱根に行き、小田急線から丹沢山系を眺め、箱根の山の緑を見てホッとしました。私は四国の西条という小さな町に育ちましたので、いつもどこでも山が見えていました。石鎚山、瓶ヶ森、笹ヶ峰という2000メートル弱の高さですが、それでも西日本有数の四国連峰の麓で育ったので、自分の部屋からも教室の窓からも、歩いている路でも、いつも山を身近に見上げてきました。東京に出て来て長いのですが、今でも山が見えるとどういうわけかホッとします。
詩編に「我、山に向かいて目を上ぐ」(詩編121篇)という有名な都詣での歌があります。讃美歌にもなっています(21-155)。この詩編は、本来は都への旅を峻嶮な山々が阻害していることを取り上げて「我が助けは何処より来るか」と問いかける歌だったようです。つまり厳しい自然は人間の敵としてイメージされているようです。ところがこの国では、この讃美歌は別所梅之助の訳詩によって親しまれ、一種の山岳信仰を背景に受け取られて愛唱されて来たように思います。山を見ると落ち着くという私の感覚も、それと似ているのかもしれません。

そう言えば、40年近く前、結婚したばかりの直子さんと私がギクシャクしかけて、思い切って箱根の出版健保の保養所を借りて一泊の旅行をしたことがあります。それが私たちの実質的な新婚旅行でした。その時、やはり箱根の山と緑の自然を眺めて癒されたような想いになったことを思い出しました。東京のど真ん中にある千代田教会からは、どこにも山は見えません。たまに旅に出て山々を眺めるのもいいものです。(戒能信生)

2015年6月21日日曜日

2015年6月28日 午前10時30分
聖霊降臨節第6主日礼拝(今年度No.13
    司式  茨木 啓子姉
    奏  黙 想      奏楽 釜坂由理子姉
招  詞  (93-1-48
讃 美 歌  8番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編13編1~18節
讃 美 歌  520番
聖書朗読  創世記13章1-18節
祈  祷
讃 美 歌  528番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『豊かさゆえの争い』
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  529番
献  金              鈴木基三恵姉
報  告
頌  栄  92番
派  遣
祝  福
後  奏         

讃美歌は「讃美歌21」を使用しています。
主の祈りと使徒信条はベンチのカードをご参照ください。

【本日の集会】
教会学校礼拝(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子姉

礼拝後、お茶の会、CS教師会

2015年6月20日土曜日

牧師の日記から⑪
618日(水)の聖書を学ぶ会が終わって、午後から野口倢司さんと二人で、所沢中央病院に奥井清さんの見舞いに行きました。あのお元気だった奥井さんが、半身不随でベッドに横たわっている姿は痛々しく、胸を突かれます。付き添っておられるお嬢さんの西岡真理さんの話によれば、今週になって容体は落ち着き、安定して来ているとのことでした。先週から、ご家族が夜は泊まり込みの体制を続けていたのですが、この様子なら当面その必要はないとのことです。ローズンゲンの今日の聖句を読み、耳許で祈りました。奥井さんは話すことはできないのですが、こちらのことは分かっている様子で、小さく「アーメン」と応えてくれました。また来ることを約束して、20分ほどで失礼しました。
このところ週に一度は所沢に通っているので、西武池袋線に毎週乗ります。曙橋駅から都営新宿線に乗り、隣の新宿三丁目駅で副都心線に乗り換えます。すると乗り換えなし、37分で所沢に着くのです。とても便利です。

実は、立教の学生だった時期、私は清瀬に、直子さんは石神井公園に住んでいたので、西武池袋線は私たちの懐かしい思い出の路線でもあります。高架になった40年ぶりの電車から見える風景はすっかり変わっていて、各駅舎も新しくきれいになっています。たまたま原武史(明治学院大学教授)さんの『レッドアローとスターハウス もうひとつの戦後思想史』(新潮文庫)が文庫化されたので目を通しました。「レッドアロー」は言うまでもなく西武線の特急電車の愛称、「スターハウス」とは私も短期間住んだことのあるひばりが丘団地の星形モデルハウスのことです。つまりこの西武線沿線の形成史から、戦後思想史を読み解こうという趣向です。ご自身がひばりが丘団地、滝山団地の出身で、鉄道オタクでもある天皇制の研究者・原さんならではの意欲的な切り込みで、その博覧強記ぶりに改めて驚かされます。「理想の時代」(見田宗助)が終わり、「不可能性の時代」(大沢真幸)になったと言われる現在、国会では安保法制が議論されています。再び戦争ができる国にしようとする政権が国民の支持を得ている今の時代、私たちキリスト者の使命と責任を覚えさせられています。(戒能信生)

2015年6月14日日曜日

2015年6月21日 午前10時30分
聖霊降臨節第5主日礼拝(今年度No.12
    司式  橋本  茂兄
    奏  黙 想      奏楽 内山 央絵姉
招  詞  (93-1-48
讃 美 歌  8番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編12編1~9節
讃 美 歌  479番
聖書朗読  フィリピ書3・1-11
祈  祷
讃 美 歌  522番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『イエス・キリストの信仰』
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  525番
献  金              鈴木志津恵姉
報  告
頌  栄  92番
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年6月13日土曜日

牧師の日記から⑩
12日(金)の午前中、ずいぶん久しぶりに国会図書館に行きました。ずっと以前何度か利用したことはあるのですが、まだ新館ができる前で、その利用票も失効しており、新しく登録し直しました。自転車で行こうと思ったのですが、小雨が降っており、やむなく電車で行きましたが、それでも四ツ谷駅から地下鉄で一駅、とても便利です。

実は、6月の終わりに同信伝道会の研修会で、「新島襄のキリスト教受容」について講演することになっており、その準備のための資料が必要だったのです。同信伝道会というのは、同志社大学神学部出身の牧師たちの集まりです。箱根で一泊の研修会が行われ、そこで同志社出身でもなければ、組合教会に全く関わりのない私が、同志社の創立者新島襄について話さねばならない仕儀になってしまったのです。新島襄は、1864年(元治1年)、函館から脱国し、アメリカにわたってキリスト教と出会います。吉田松陰がペリーの艦隊に乗り込んで密出国を企て失敗してから丁度10年後のことです。もちろん江戸幕藩体制の下、鎖国制度と切支丹禁教令があった時代です。つまり脱藩志士の一人であった新島が、1年後、喜望峰回りでボストンに到着した時には、既に神を信じ、キリスト教を受け容れていたと言われています。しかし新島はどのような信仰を抱き、どのようにキリスト教を受容したのか、それが問題です。いろいろな説があります。既に少年時代に江戸で漢訳聖書に触れてキリスト教に関心をもっていたとか、『ロビンソンクルーソー』を読んで神を信じるに至った等と説明されて来ました。しかし私の仮説では、新島はボストン上陸後、アメリカで教育を受けるために、一種の「なりすまし」をしたのではないかと推測をしているのです。つまり模倣です。しかし、キリスト教受容の最も典型的なタイプは模倣です。真似をするようにして、形からクリスチャンになることです。しかも新島は、この全面的な受容をその後の生涯貫きます。そこに新島の偉大さと特徴があると私は理解しているのです。国会図書館で、新島が若き日に書いた”Why I departed from Japan”の英文テキストについての北垣宗治先生の考証を調べることができました。他に重要な文献も見つけました。これからも国会図書館を大いに利用しようと考えています。(戒能信生)

2015年6月7日日曜日

2015年6月14日 午前10時30分
聖霊降臨節第4主日礼拝(今年度No.11
    司式  高岸泰子姉
    奏  黙 想      奏楽 釜坂由理子姉
招  詞  (93-1-48
讃 美 歌  8番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編11編1~7節
讃 美 歌  472番
聖書朗読  フィリピ書2・19-30
祈  祷
讃 美 歌  342番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『役に立たなかった使者』
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  463番
献  金               石井房恵姉
報  告
頌  栄  92番
派  遣
祝  福
後  奏         

式次第 2015年6月7日

2015年6月7日 午前10時30分
聖霊降臨節第3主日礼拝(今年度No.10
    司式  荒井久美子姉
    奏  黙 想      奏楽 内山 央絵姉
招  詞  (93-1-48
讃 美 歌  8番 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編10編1~13節
讃 美 歌  463番
聖書朗読  フィリピ書2・12-18
祈  祷
讃 美 歌  214番
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『共に喜ぶ』
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  393番
献  金               萩原好子姉
報  告
頌  栄  92番
派  遣
祝  福
後  奏    

牧師の日記から⑨ 2015年6月7日

牧師の日記から⑨
毎週木曜日の夜は、地下鉄丸ノ内線の茗荷谷駅近くにある東京バプテスト神学校で「日本キリスト教史」の授業を担当しています。この神学校は、日本バプテスト連盟が運営していますが、ライブ受講、ビデオ受講を採用していることもあって、全国に受講生がいます。授業が全面録画中継されていて、インターネットで回線をつなぎ、自宅に居ながらにしてライブで授業が受けられます。授業中、テレビ画面の向こう側から質問が出されたりします。また自分の都合のいい時間帯にビデオで受講も出来ます。ビデオ受講生は、毎週、受講レポートをインターネットで送ってきます。神学校の授業風景も大きく変わったものです。
ところで数年前の受講生の中に、80歳近い神学生がおられました。この方は、二度も私の講義を受講された熱心な方でしたが、貧しさのゆえに高等教育を受けられず、NHKの通信教育で学歴を得て、念願かなってこの神学校で学ばれた努力家でした。様々な人生経験を積み重ねられた中からのレポートは、講師であるこちらの方が教えられ、感銘を受けたものです。この方が、何年もかかって神学校のすべての科目を修了して無事卒業し、バプテスト連盟のある教会の協力牧師になりました。ところが程なくして体調を崩し、胃潰瘍という診断を受けました。それまでの80年に及ぶ生涯で胃を悪くしたことなど一度もなかったものですから、不思議に思ったお医者さんから、「最近、特に生活に変化がありましたか」と聞かれたそうです。「牧師になって、月に一度説教するようになりました」と答えたところ、お医者さんは「ハハー、それが原因ですね。説教する回数を減らしたほうがいいですよ」とアドバイスされたそうです。それで二か月に一度の説教の担当にしてもらったところ、ピタリと症状が治まったというのです。
そう言えば、友人の牧師から、説教の準備をするたびに、シクシク胃が痛むという話を聞いたことがあります。私自身は毎週説教の準備をして胃が痛くなったことはありません。しかし、胃が痛くなったり、胃潰瘍になるほど真剣に取り組んでいないのではないかと反省させられました。毎週、千代田教会の皆さんと聖書を学ぶことができることを、改めて感謝したいと思います。(戒能信生)