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2025年12月16日火曜日

 

2025年12月21日 午前10時30分

クリスマス主日(合同)礼拝(No.34)

                司式 石井 房江

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(4節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  38・1-21

讃 美 歌  194

子どもの祝福         戒能信生牧師

教会学校生徒手話賛美

聖書朗読  サムエル記上2・1-10

ヨハネ福音書3・1-21

祈  祷

讃 美 歌  255

説  教  「神は世を愛された」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  226

使徒信条 (9341A

聖 餐 式  配餐・石井寛治、石井摩耶子

讃 美 歌  81

献  金              内山 央絵

報  告  

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・奉仕者への感謝、集合写真撮影

・礼拝後クリスマス愛餐会(司会・石井房江)

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。

2025年12月13日土曜日

 

 

子育て相談カフェ通信⑧「子どもの教会」

この教会に転会して10年になりますが、今年もクリスマスになります。私は今年、神学校を卒業しましたが、昨年の夏は卒業論文に追われていました。と、言っても私の場合、論文というよりも、長い間神学校に通っていたこともあり、自分なりのまとめをしたいと考えていたのです。そのため、私の選んだテーマは「子どもの教会 ―礼拝と課題」でした。子どもの教会と聞いて、「教会学校」と、どう違うのか、と思われるかたもおられるでしょう。今回はその話をしたいと思います。

私自身は、子どもの頃は日曜学校で育った世代ですし、この教会の方も日曜学校世代が多いかと思います。その名称が、戦後教会学校に変わります。なぜ変わったかというと、戦後の高度経済成長下で、日曜日に子どもの居場所としての日曜学校が活気づいていたこともあり、お寺や他の宗教でも子どものための日曜学校を始めた訳です。それで、教会では日曜学校を教会学校と名称変更が行われたようです。では教会学校を「子どもの教会」と呼ぶ教会があるのはなぜなのか?実は私もよくわかっていませんでした。

1989年に国連で「子どもの権利に関する条約」が採択され、日本でも1994年に批准されました。子どもが、個としての権利を持っていることが承認されたのです。そうした中で、それまでの人材育成を目的とした公教育への批判とともに、キリスト教教育についても再検討がなされていきます。子どもへの教育の視点も、集団から個別の成長へと捉え直されるようになりましたこうした時代の変化もあり、教会においても学校教育システムの模倣に対する反省が生じました。このためいくつかの教会では、2000年以降、先生が生徒たちに知識を教えるという学校教育のあり方から、礼拝を共に持つということを重視して「教会学校」から、「子どもの教会」(Children Church: CC、または子どもの礼拝Children Service: CS)という名称変更がなされたのです。名称だけでなく子どもの教会では、教師と生徒という関係性の見直しから、指導者の名称も「先生」から「リーダー」となり、内容も知識を伝えることから、リーダーを中心として子どもと共にもつ礼拝が模索されたのです。

来週はクリスマスです。千代田教会でも、子どもたちと一緒に礼拝が持たれることは素晴らしいと思います。(大森意索)

 

 

2025年12月7日日曜日

 

2025年12月14日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No.33)

                司式 戒能 信生

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(3節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  37・23-40

讃 美 歌  175

聖書朗読  フィリピ書3・1-11

祈  祷

讃 美 歌  231

説  教  「主にあって、光のうちに」

               大森意索伝道師

讃 美 歌  39

使徒信条 (9341A

献  金              梅本 順子

報  告  

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校  お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後「私の愛唱聖句」石井摩耶子

・(茨木啓子さん訪問)

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。

2025年12月6日土曜日

牧師の日記から(542)「最近読んだ本の紹介」

 川上未映子『きみは赤ちゃん』(文春文庫)著者は、芥川賞を初め多数の文芸賞を軒並み受賞している若い小説家。村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読んだだけだが、その鋭いセンスと感覚に驚かされた。その作家が35歳で初めて出産し、その経験の一部始終をリアルタイムで報告したもの。出産に関わるすべてのことが当然のことながら女性の側からありのままに描かれる。その根底に貫かれるのは、夫(あるいはすべての男性)の無知と無理解に対する痛烈な非難と怒り。読んでいて、居たたまれなくなるほど。直子さんが3人の子どもを出産してくれたが、夫であり父親である私は、ただ側にいただけで、産む性の側の痛みや辛さのことを全く理解していなかったことを思い知らされる。つわり、マタニティーブルー、分娩の壮絶な苦しみ、産後クライシス、そして育児……。例えば、夜泣きする新生児に3時間おきに母乳を与えながら、傍らで鼾をかいて寝ている夫に瞬間的に殺意を覚えるくだりなどは、実に身につまされた。今さら遅いが、改めて直子さんに感謝する。

 又吉直樹・ヨシタケシンスケ『本でした』(ポプラ社)お笑い芸人・又吉直樹が芥川賞を受賞したので話題になったが、その小説は読んでいない。しかし絵本作家として国際的に活躍しているヨシタケシンスケとの共著だというので目を通した。ある街に住み付いた若者二人が「どんなものでも本に戻します」という不思議な看板を出す。無くした本、忘れた本、壊れた本の表題でも、その一部でも判れば復元するというのだ。町の住民が面白がって、次々に注文したものが、楽しいイラスト付きで紹介される。子どもも読めるし、大人でもいろいろ考えさせられる。最後に、二人の若者のインチキがバレるが、それ以降、その街からたくさんの作家が生まれたというファンタジー。

 森本あんり『キリスト教でたどるアメリカ史』(角川ソフィア文庫)アメリカ史に関する書籍は多数あるが、キリスト教との関連で取り上げたものは少ない。著者の森本あんりさんが、ピルグリムの渡航から始めて、大覚醒、独立戦争、南北戦争、大恐慌、第二次大戦後の膨張するアメリカ、現在のトランプ現象までをキリスト教を軸にして解説してくれる。(戒能信生) 

2025年12月7日 午前10時30分

待降節第2主日礼拝(No.32)

                司式 大森 意索

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(2節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  37・1-22

讃 美 歌  240

聖書朗読  エレミヤ書36・1-3

ヨハネ福音書2・1-11

祈  祷

讃 美 歌  286

説  教  「水を汲んだ働き人」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  532

使徒信条 (9341A

献  金  対外献金「日本基督教婦人矯風会の働きを覚えて」   梅本 和義

報  告  

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校  お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後 アドベント全体祈祷会(司会・大森伝道師)

・持ち寄りランチ(ホール)

・招聘委員会、・定例長老会

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。 

 

「子育て相談カフェ通信」⑦大森意索 

今年も残すところ1ヶ月ちょっととなり、もうすぐアドべントとなります。4月から子育て相談カフェを開始しましたが、今のところ子どもの相談はなく、ある意味ホッとしています。実は8月9月と自分の仕事としての相談が、なかなが大変で、私自身が、知らず知らずのうちに疲弊していました。

もともと人と話すのは嫌いではないものの、結構気を使う割にはうっかりしていることもある性格なので、対人関係は苦手と思っていました。そんな私が1時間近く、時には1時間半、話を聞き、対応することにちょっと疲れてしまったのです。特に両親二人の意見がぶつかる場面では、1時間半でも足りず、かなり難しい状況となります。その上、何の解決にもならない、時間の無駄だと言われることもあり、二重に疲れる日々でした。そうした自分ではどうすることも出来ない課題に向き合っていることは学びにはなります。が、最近は疲れ過ぎてはいけないと、どんな場合も1時間は超えないように、両親の意見が違う場合には別々に対応するようにしています。それでも時には1人の対応でどっと疲れてしまいます。そんな時もありつつ、ちゃくちゃくと(?)子育て相談カフェの準備をしています。

さて、5月からフィリピの信徒への手紙の講解(後悔)説教を始めました。準備では、いろいろと学ぶことが多く、いつもギリギリまでやっているわりには、後で考えると、バタバタしていて言葉が多すぎるなあと気付かされます。先日、数名の牧師に説教原稿の文字数をお聞きしたとこところ、私の文字数が多いことに気がつきました。余分な言葉が多過ぎるのではないかと反省することしきりです。それに、「言葉、ことば」の難しさに戸惑うばかりの日々です。そんな日々の中で、あっという間に次の説教の用意が必要になって、いつもあたふたとしています。ただ、一人ではそこまでは聖書に向き合ってこなかったのだと気付かされましたし、準備をすることで、言葉に向き合うことになりました。これも、この教会で伝道師をさせていただいたおかげだと思います。そういう促しのために、こうして人前で話すのが苦手な私が、押し出されているのだろうと思わされる、今日この頃です。          

2025年11月23日日曜日

 

2025年11月30日 午前10時30分

待降節第1主日礼拝(No.31)

                司式 大森 意索

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(1節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  36・1-13

讃 美 歌  54

聖書朗読  イザヤ書51・4-8

ヨハネ福音書1・1-13

祈  祷

讃 美 歌  235

説  教  「初めに言葉があった」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  241

使徒信条 (9341A

献  金              石井摩耶子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後 入門の会「十戒⑧」戒能牧師

・週報発送作業

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。

2025年11月22日土曜日

 

牧師の日記から(541

 1116日(日)主日礼拝。ヤコブ書の講解説教の最終回で、51320を取り上げる。半年間苦労してきたが、私自身が学ばされたことは多い。この手紙が書かれた1世紀末頃の教会の実情が窺えるからだ。特にこの手紙の最後に、教会生活から離れた人たちへの責任について触れていることを重く受け止めさせられた。礼拝後オリーブの会。石井房恵さんが用意してくれた三色丼を頂きながら自由に歓談。ボンヘッファーの映画を観てきた人たちの感想を聞いて、最後に讃美歌469を一緒に歌う。

 17日(月)午前中、月曜会に出席するため東駒形教会へ。近藤勝彦著『日本キリスト教神学小史』の北森嘉蔵の章を、後藤田さんの紹介で読む。北森先生のことを知らない牧師たちが多いので、私が学んだことやいくつかのエピソードを紹介する。午後帰宅して、明日の神学読書会の発題の準備。

 18日(火)午前中、神学読書会でカルヴァンの『キリスト教綱要』第6章を私が発題で読む。1月から波多野精一の『時と永遠』を読むことになる。午後は西早稲田のキリスト教会館で読書会「キリスト教と文学」に参加。ディッケンズの『クリスマス・キャロル』が取り上げられたが、吝嗇で意地悪な主人公スクルージ―が、最後には悔い改めて善人になるお話しだが、この手の回心物語は日本の文学にはほとんどないということが指摘され、考えさせられた。夜は富士見町教会で東支区北支区合同の連合祈祷会。約50名の参加者が共に祈りを合わせる。

19日(水)午前中、新宿武蔵野館に話題のボンヘッファーの映画を観に行く。ところどころ脚色されているが、概ねよく出来た映画だった。久しぶりに新宿の雑踏の中を歩く。

20日(木)午前中、門前仲町の歯科医で定期検診。午後は大森伝道師との牧師会。クリスマス・カードの準備。4時半からNCAの運営委員会にZoomで参加。『時の徴』の原稿に手をつける。

21日(金)一日書斎にこもって仕事。『時の徴』に連載している高倉徹総幹事日記のデータがPCのクラッシュで失われたので、プリントアウトしたものを嘉信にOCRで読み込んでもらう。最新のOCRで見事に復元されて来たので、その原稿整理の作業。長く机に向かっていると腰が痛くなるのが困る。(戒能信生)

2025年11月16日日曜日

 

2025年11月23日 午前10時30分

聖霊降臨節25主日(収穫感謝合同)礼拝(No.30)

                司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  35・17-28

讃 美 歌  533

 

子どもの祝福         大森意索伝道師

聖書朗読  士師記11・29-40

マタイ福音書5・33-37

祈  祷

讃 美 歌  390

説  教  「誓い」

           信濃町教会 佃雅之牧師

讃 美 歌  510

使徒信条 (9341A

献  金               石井寛治

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後「佃牧師を囲むお茶の会」(於・ホール)司会・大森意索伝道師

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能牧師は、信濃町教会で説教奉仕。

2025年11月15日土曜日

 

牧師の日記から(540)「最近読んだ本の紹介」

 全国同信会編『天上の友 第5編』(キリスト新聞社)会衆主義を標榜する教会組織である全国同信会(分かりやすく言えば同志社出身の牧師たちの集まり)は、逝去した牧師たちの追悼記を『天上の友』として大正期から継続して刊行している。本書はその第5編で、2012年から2024年の時期に亡くなった約130名の牧師たちが取り上げられている。今回の編集責任者・上林順一郎先生から送られてきたので一読。11頁に紹介された牧師たちの面影と生涯を偲んでしばし感慨にふける。この企画の優れた点は、無名の牧師であっても、どんなに高名な神学者や大教会の牧師であっても全く区別することなく、等しく600字前後にその生涯が凝縮されていること。執筆者の名前は省かれているが、中には痛烈な皮肉や、愛情を込めた批判が書き込まれており、誰が書いたのかを推測する楽しみもある。

 マシュー・D・ハケネス『マルティン・ニーメラー』(新教出版社)第二次大戦下において、ヒトラーを公然と批判したニーメラー牧師の評伝。牧師の家庭に生まれ、根っからのナショナリストとして第1次大戦にUボート(潜水艦)の艦長として活躍した英雄が、戦後、神学校に進み牧師になる。元は民族主義者だった彼が、ヒトラーの教会政策を激しく批判して逮捕され、裁判では無罪になったものの「ヒトラーの囚人」として敗戦まで収容所に捕らえられていた。奇跡的に生き延びたたこの人の存在なくして、戦後のドイツ福音主義教会(DEK)再出発の原点になった「シュトットガルト罪責告白」は成立しなかった。ヒトラーに命を懸けて抵抗したニーメラーその人が自らの罪責を表明したことが、戦後のドイツ社会全体に一定の説得力をもったとされる。そのニーメラーが残したのが次の有名な言葉。

「はじめに彼らは共産党員に向かっていったが、私は声を上げなかった、共産党員ではなかったから/次に彼らは労働組合員に向かっていったが、私は声を上げなかった、労働組合員ではなかったから/それから彼らはユダヤ人に向かっていったが、私は声を上げなかった、ユダヤ人ではなかったから/そして彼らが私に向かって来たとき、私のために声を上げてくれる人は一人も残っていなかった」(戒能信生)

2025年11月16日 午前10時30分

聖霊降臨節第24主日礼拝(No.29)

                司式 橋本  茂

黙  想         奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  35・1-16

讃 美 歌  544

聖書朗読  サムエル記上16・5b―20

ヤコブ書5・12-20

祈  祷

讃 美 歌  503

説  教  「互いのために祈り合いなさい」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  474

使徒信条 (9341A

献  金              橋本悠久子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後 オリーブの会(軽食の用意あり

・大森伝道師は岡山御津キリスト教会で説教奉仕 

2025年11月8日土曜日

 

牧師の日記から(539)「最近読んだ本の紹介」

 野村真理『ホロコースト後のユダヤ人 約束の土地は何処か』(ちくま学芸文庫)パレスチナ問題と現在進行中のガザの惨劇の遠い背景として、ナチスによるユダヤ人迫害とイスラエル建国(1948)との関連を究明する歴史研究。ホロコーストを生き延びたユダヤ人たちは、解放後行き場を失う。彼ら彼女たちは、いわゆる難民(Refugee)とは異なり、帰る場所も行く当てもない存在として「ユダヤ人DP」(Displace Persons)と呼ばれる。問題は、この人々の移住先としてアメリカを初め多くの国が必ずしも積極的に受け入れなかったこと。結果としてその多くが、シオニストたちの呼びかけでイスラエルに移住することになる。先住民たるパレスチナ人たちの住む土地に無理やり割り込む形で。したがって現在のパレスチナ問題の根本的な責任は、ホロコーストをようやく生き延びた人々を受け容れなかった世界にあるというのが著者の主要な論点。学術書なので読みにくいところもあるが、初めて知ることも多く考えさせられた。

谷川俊太郎+和田誠『ナンセンス・カタログ』(ちくま文庫)この本をどう紹介したらいいだろうか。詩人の谷川俊太郎が、ある言葉を選んで(例えば「ラジオ」とか「切株」、「マッチ」という具合に順不同、一切の脈絡なしに)、それについてのショート・エッセイを書き、それに和田誠がイラストをつけている。なんということもない内容なのだが、寝床で読むのに最適。繰り返し読んでいるが、34篇目を通すと眠くなるという仕掛けになっているのが不思議。寝る前に再読すると、睡眠導入剤の代わりになる。不眠症気味の人は一度試してみる価値あり!

仁藤敦史『加耶/任那』(中公新書)日本史の教科書で「任那の日本府」の存在を教えられた。しかし学生時代に在日の友人から、韓国では任那日本府は存在しないと教えていると聞いて驚いたことがある。すなわち日本と韓国の教科書が、古代朝鮮に倭の拠点があったかどうかでも正反対の記述をしていることになる。それは現在でも両国の歴史研究の対立点でもあるという。本書は、古代朝鮮史の研究者がこの難問に分け入って、現時点での学術的な見解を、公平に、言わば両論併記の形で紹介している。共通教科書もなかなか難しいようだ。(戒能信生)

2025年11月2日日曜日

 

2025年11月9日 午前10時30分

聖霊降臨節第23(No.28)

                司式 戒能 信生

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  34・1-22

讃 美 歌  127

聖書朗読  フィリピ書⒉・19-30

祈  祷

讃 美 歌  543

説  教  「友と、主にあって」

               大森 意索伝道師

讃 美 歌  419

使徒信条 (9341A

献  金

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・

 内山央絵、(柿もぎ)

・礼拝後、「私の愛唱聖句」梅本順子(お茶の会)

・会堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給に利用ください。

2025年11月1日土曜日

 子育て相談カフェ通信⑥(大森意索)

 はや10月になりました。今年も残すところ2ヶ月ちょっとで、アドベントやクリスマスの季節が近づいています。

さて、前々回、前回と岡山の教会の話をしましたが、さらに続きを書くことにしました。御津キリスト教会は73年前に設立され、かつては付属の百合の花幼稚園がありましたが、町立保育園ができたこともあり廃園となりました。けれど、今でもかつて幼稚園に来ていた大人たちが教会に時折顔を出してくれることがあり、幼稚園の役割を改めて感じることもあります。私自身も、末っ子であったこともあり、小学生の時も幼稚園の子どもたちと遊ぶ機会が多かったことが、仕事でもずっと子どもに関わるきっかけだったのかもしれません。

さて、この10月で姉が召天して4年になります。姉は癌の闘病が20年近く、ずっと闘病しながら教会の牧会を継続していました。岡山だけでなく、埼玉医大や聖路加病院で治療を継続していたこともあり、そのつど病院について行く、そんな役を私はしていました。患者や患者家族という側が予想以上に大変なことも経験しました。ある病院では、もうこれ以上の治療はありませんと言われ、そのことはしかたがないのですが、紹介先も示されず、後はご家族で考えてくださいと言われたのにはとても困りました。私の中では普通は他の施設に紹介してもらうのが当たり前と思っていたので、驚くやら呆れるやらでした。せめて、紹介状やいくつか候補をあげて欲しいとお願いしてやっと紹介してもらいましたが、病院によって対応がずいぶん違うのだと思わされました。結局最終的に岡山の病院で治療を継続しましたが、ちょうど4年前はコロナ禍で病院の面会制限も強く、遠くからの家族であっても1時間しか許可してもらえなかったりで、いろいろ交渉したりもしました。そして、面会制限の問題があったため、無理をして退院することにしたのでしたが、最後の1週間を家で過ごせたことは姉にとっても、また家族や教会員にとってもとても良かったと思いました。姉は最後まで、教会をどうするか具体的には何もいってくれませんでした。このため下の姉とともに何回か岡山に通うことにしたのでした。こうして私は、月1回岡山に行くことになったのです。

2025年10月26日日曜日

 

2025年11月2日 午前10時30分

聖霊降臨節第22主日・永眠者記念礼拝(No.27)

                司式 釜坂由理子

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  33・1-12

讃 美 歌  463

聖書朗読  創世記36・1-22

祈  祷

讃 美 歌  496

説  教  「ベニヤミン(私の幸いの子)」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  385

使徒信条 (9341A

献  金              萩原 好子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・礼拝後、「信仰の先達を偲んで」(お茶の会)

・持ち寄りランチ(於・ホール)

・定例長老会

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。ご利用ください。

2025年10月25日土曜日

 

牧師の日記から(538)「最近読んだ本の紹介」

 トム・フィリップス『大失敗の世界史』(河出文庫)著者はイギリスのジャーナリストで、痛烈な皮肉とユーモアを交えて世界史の数々の失敗例を紹介する。面白がって読んでいくうちに、ヒトラーについての言及の部分が気になった。ヴァイマル時代末期、政党が多党化し、どの政党も多数を取れずに政局が混乱する。ナチスに人気が集まり、比較第一党になる。前首相のパーペンは、粗野で政治のド素人のヒトラーを頭からバカにし、意のままに操れるとタカをくくって連立内閣を組み、ヒトラーを首相に、自らは副首相に就任する。危惧する仲間にパーペンは、「二か月もすれば、あの素人は政界の片隅に追いやられているだろう」と豪語していた。しかし実際には二か月後、パーペンは政界を追われ、ヒトラーは全権委任法によってすべての権力を握ってしまった。そこからヒトラーの暴走が始まった。トランプ政権の迷走や日本の政局の混迷を見るにつけ、なんだか恐ろしくなってきた。知識人たちが馬鹿にしてきた政治家が、いつの間にか絶対権力を握りかけているのだ。著者はこう指摘している。「間抜けな男が手前勝手な裁量で政権を支離滅裂に振り回し、自分ならこの間抜けを手のひらで転がせると侮った自信過剰の側近たちが、破局に至る道を助けたのだ。」

 鶴見俊輔・網野善彦『歴史の話』(朝日新聞社)「網野史学」で知られる歴史家と市井の哲学者の初めての対談集。日本の歴史について縦横無尽に語られていて興味津々。その中で山中共古について短く触れられている。先日、野口洋子さんから、ボランティアをしている新宿歴史博物館の展示で、この近くで生まれた山中共古という牧師が紹介されていたが知っているかと尋ねられて驚いた。山中共古(後に「山中笑」と改名)は、幕末期に、教会のすぐ近くの西念寺(私の散歩コース)に、幕臣の次男として出生。14歳の時、皇女和宮の近侍として登用され、明治維新と共に駿府へ移住。そこでメソジストの宣教師の感化を受けて21歳で受洗、東洋英和学校(後の青山学院)を卒業してメソヂスト教会の最初期の牧師になる。長く山梨県下で牧会する傍ら、民俗学の研究で知られる。キリスト教界でよりも、この国の民俗学のパイオニアとして有名なのだ。(戒能信生)

2025年10月19日日曜日

2025年10月26日 午前10時30分

聖霊降臨節第21主日礼拝(No.26)

                司式 石井 房恵

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-10

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  32・1-11

讃 美 歌  361

聖書朗読  マルコ福音書1・16-20

祈  祷

讃 美 歌  369

説  教  「漁師たちへの呼びかけ」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  404

使徒信条 (9341A

献  金              津金 寿子

報  告  

頌  栄  84(二度繰り返す)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後 バザー会場づくり

・昼食 ホールで各自昼食をお取りください。

12:30 バザー開店

13:00 オルゴール演奏(岡﨑祐一)

14:00 バザー閉店、かたづけ作業

・翌週の永眠者記念礼拝会場設営

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。