2022年2月26日土曜日

 

牧師の日記から(357

220日(日)主日礼拝。ルカ福音書11513の講解説教「執拗に祈りなさい」。この個所は「主の祈り」に続いて、祈りの姿勢を教えた個所とされる。しかしその導入として取り上げられる譬が興味深い。来客に出す食べ物がないからと言って、真夜中に友人を叩き起こす。友人は一旦は断るが、その執拗な頼みを容れてパンを用立てるという譬え。注目すべきは、この譬に登場する人物が女性たちと想定されることだ。それは家庭の主婦同士の日常的なやり取りなのだ。これを導入として「求めよさらば与えられん」というイエスの言葉が語られる。それは祈りの奥義や神秘を教えているというよりも、もっと親しい関係性の中での「求め、捜せ、門を叩け」という勧めとして理解できるのではないか。不思議なことに説教中はジンマシンの痒さを感じない。夜、この間の千代田教会の教会会計の推移を調べ、来年度の予算案についての意見を会計長老にメールする。

21日(月)ジンマシンの症状は相変わらずだが、腫れが出る場所によっては痒さが多少抑えられる感じもする。新しく開設される北支区HPのための宣教研究委員会の紹介、NCA機関誌に関東活動センターの近況報告をメールで送稿。3月の教会予定の作成など、書斎に籠って事務仕事。夕方、運動のためと称して直子さんの買い物に付き合う。寒風が冷たい。

22日(火)午前中、神学読書会。バルトの『教義学要綱』19-20章を岡田仁牧師の紹介と発題で取り上げる。出席は牧師5名、信徒2名の計7名。午後から『時の徴』の編集委員会と発送作業。定期購読者と、諸教会への購読依頼の合計900部の発送作業。条谷泉さんが手伝いに来てくれる。作業をしながら次号の編集の相談。ジンマシンの症状は、少し抑えられている感じ。ようやく抗ヒスタミン剤が効いてきたのだろうか。

23日(水)私の体調を気遣って、午前中の聖書を読む会は休止にしてくれる。一日書斎に籠って「戦後の教団の伝道」の原稿に取り組む。農村伝道神学校から来年度の「日本キリスト教史」のシラバスを送れとメールが来る。来年度は体調不良で辞退しようかと考えていたのだが…。

24日(木)午後から早稲田教会で『ジャーナル風』の教団史特別講義の収録。原誠先生と私が1時間ずつ講義。NCAの事務所に顔を出す。

25日(金)午前中、ZoomNCAの理事会。次年度の事業計画と予算が承認される。しかし研修センターの再開は容易に見通せない。夕方、神学生交流プログラムの準備会をZoomで。今年の参加者は18名程。具体的なプログラムの進行等について打ち合わせ。

26日(土)朝早く、保志治子さんが亡くなったと御長男の徹さんから連絡が入る。肺炎の症状で近くの病院に入院されていたが、急速に悪化し、25日の朝亡くなったという。葬儀は感染症のこともあり、ご家族だけで荼毘に付し、落ち着いてから千代田教会で記念会をしたいとのこと。その後、駅前の皮膚科を受診。抗ヒスタミン剤を補充してもらう。(戒能信生)

2022年2月20日日曜日

 

2022年2月27日 午前10時30分

降誕節第11主日礼拝(No48

      司式 梅本 順子

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  19(34節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編23・1-6

讃 美 歌  421(12節)

聖書朗読  列王記下16・1-9

祈  祷

讃 美 歌  478(12節)

説  教  「アッシリアへの屈従」

   戒能 信生牧師

讃 美 歌  463(123節)

使徒信条  (9341A

献  金              萩原好子

報  告

頌  栄  83(12節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(9:30)休止

・ライブ配信担当・荒井眞

・礼拝後、入門の会「使徒信条①」

CS教師会

・週報等発送作業(時間の余裕のある方はご協力下さい)

2022年2月19日土曜日

 

牧師の日記から(356

213日(日)主日礼拝。ルカ福音書1114の講解説教。ルカ版「主の祈り」の特徴は、なんと言ってもその短さにある。熱心な祈りはしばしば長くなる。ヨハネ教団やファリサイ派の祈りに較べて、イエスの祈りはごく短かったようだ。私たちの祈りも、もっと簡潔に、端的なものでありたい。礼拝後、「私の愛唱讃美歌」は橋本茂さんの私的讃美歌遍歴史。

14日(月)朝一番で四ツ谷駅前の眼科で、緑内障の定期健診。眼圧は11前後で安定しているとのこと。引き続き皮膚科の受診。ジンマシンの症状は相変わらずで、抗ヒスタミン剤も限度一杯出しており、場合によっては専門的な大学病院を紹介すると言われる。午後から、NCA運営委員会の記録やアジェンダ作り。オミクロン株が蔓延する中で、来年度の事業計画も難題続出ではある。荒井眞さんから懇切なメールが届き、ジンマシンは牧師の活動が過重すぎることへのシグナルではないかと忠告してくれる。教会員の皆さんの方が私の状況を精確に見てくれているようだ。

15日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院の内科の受診。主治医にジンマシンのことを報告する。やはり身体のバランスが崩れていると見るべきだろうと、飲み薬を調整して少し減らしてくれる。また念のために胃カメラや内臓の超音波検査をすることになる。ジンマシンの症状は一向に収まらず、身体のあちこちに転移してつらい。なるべく横になって休養する。

16日(水)友人のジャーナリストから、カール・ヤスパースの『軸の時代』と見田宗介の社会分析に触れたメールが送られて来た。共感して私が『時の徴』に寄稿した原稿を添付で送る。来週、『ジャーナル風』の特別講座で、「戦後の教団の伝道」の収録があるので、その準備に取り掛かからねばならない。そこへ教文館からメールが入り、2年前に依頼されていた『新・キリスト教大事典』の項目執筆の原稿催促。すっかり失念していた。3月末までに送れということで、少々慌てる。

17日(木)午後からZoomNCA運営委員会。次年度の事業計画などについて協議。夕方、新教出版社の小林さんからメールが入り、預けてあった雨宮栄一先生の『反ナチ抵抗運動とモルトケ伯』の進行状況の報告。写真の割付作業中で、3月末には初校が出るとのこと。ついでに『福音と世界』創刊70年のコラムの原稿を依頼される。これも3月半ばが締切り。

18日(金)朝一番で四ツ谷駅前の皮膚科を受診。結局、さらに詳しい検査をするために東京医科歯科大学病院の皮膚科を紹介される。『時の徴』1631100部が納品される。その発送の準備に取り掛からねばならない。

19日(土)午後から故・池明観先生の追悼記念会の準備会。体調を考えてZoomで参加させてもらう。同時刻に「コロナ後の教会の可能性」研究会が入っているが、やむなくこちらは失礼する。今週も慢性ジンマシンに悩まされ続けた。なるべく休養を取っているが、なかなか症状は治まらない。この経験に学ばねばならないだろう。(戒能信生)

2022年2月13日日曜日

 

2022年2月20日 午前10時30分

降誕節第10主日礼拝(No47

      司式 石井 房恵

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  19(14節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編22・1-32

讃 美 歌  464(123節)

聖書朗読  列王記下4・1-7

ルカ福音書11・5-13

祈  祷

讃 美 歌  343(12節)

説  教  「執拗に求めなさい」

   戒能 信生牧師

讃 美 歌  463(123節)

使徒信条  (9341A

献  金              野口 倢司

報  告

頌  栄  83(12節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(9:30)休止

・ライブ配信担当・野口倢司

・礼拝後の集会の予定は特にありません

2022年2月12日土曜日

 

牧師の日記から(355

26日(日)主日礼拝。ルカ福音書1038-42の講解説教。フェミニスト神学を援用し、福音書のこの箇所だけに伝えられるマルタとマリアの姉妹を取り上げる。従来の解釈では、座り込んでイエスの話しを聞く妹マリアが評価され、忙しく立ち働く姉マルタは雑事に捕らわれているとして劣位に置かれてきた。しかしこの伝承は、男性客を女主人として迎え、客の横に座り込んで話しを聞く例外的な女性たちの姿が描かれていると言える。どちらが正しいかというような狭い見方ではなく、イエスと女性の弟子たちとの豊かな交友をユーモアを交えて伝える伝承として理解できるのではないか。礼拝後、長老会。西片町教会の代務者就任要請について、慎重審議の結果、戒能牧師の年齢や体調を考えお断りするという結論に至った。私の健康を気遣っての結論で有り難いが、困っている西片町教会の善後策が必要となる。また現在韓国に宣教師として派遣している長尾有起牧師を千代田教会担任教師として招聘する件についても協議。この件は前向きに受け止め、3月の長老会で方向性を出すこととなる。

7日(月)午前中駅前の皮膚科へ。重度の慢性蕁麻疹と診断される。原因は容易に特定できないが、いずれにしろ根気強く長期間の治療が必要とのこと。場合によっては大学病院等でさらに細密な検査が必要かも知れないと示唆される。西片町教会の件で、早稲田教会の古賀博牧師に事情を説明して代務者をお願いする。古賀牧師は心臓の持病があり、重荷を負わせることは申し訳ないが…。その後、西片町教会の山本牧師や招聘委員長への報告と善後策についてメールで度重ねて協議する。

8日(火)ジンマシンは全身のあちこち場所を変えて拡がって収まらない。痒さを忍耐しながら書斎で仕事。西片町教会の後任牧師推薦委員の報告書を作成する。夜は、山口里子さんの聖書ゼミにZoomで参加。

9日(水)午前中は聖書を学び祈る会。ネヘミヤ記の最終回で、捕囚から帰還後のエルサレム再建を指導したネヘミヤの改革を取り上げる。城壁を修復と治安の回復、神殿祭儀を担うための祭司やレビ人の召集、さらにエルサレムの人口拡大施策、神殿財務の刷新、安息日規定の遵守などがその主なもの。しかしやはり異民族排除の思想がその根底にある。そこにエズラ・ネヘミヤたちの改革の限界と問題が見られる。そしてそれは、現在のパレスチナ問題と通底する課題を示しているとも言える。午後、1月に亡くなった故・池明観先生の追悼記念会の準備会をZoomで。冒頭の追悼礼拝を私が担当しなければならないようだ。池先生と親しくした日本人の牧師たちはほとんどが亡くなっているため。これもやむを得ないか…。

10日(木)大雪警報もあり、外出を控えてひたすら休養する。松野三郎さんから連絡、ヤスコさんは入院されていた柏の病院から、青梅の病院に転院されたとのこと。見舞に行こうにも、オミクロン株の流行で面会厳禁とのこと。ともかくお元気で口も達者と聞いてホッとする。(戒能信生)

2022年2月7日月曜日

 

2022年2月13日 午前10時30分

降誕節第9主日礼拝(No46

      司式 常盤 陽子

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  19(34節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編21・1-15

讃 美 歌  478(12節)

聖書朗読  箴言2・1-15

ルカ福音書11・1-4

祈  祷

讃 美 歌  445(12節)

説  教  「主の祈り」

   戒能 信生牧師

讃 美 歌  424(12節)

使徒信条  (9341A

献  金              野口 倢司

報  告

頌  栄  83(12節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(9:30)休止

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝後、「私の愛唱讃美歌」橋本茂

2022年2月5日土曜日

 

牧師の日記から(354)「最近読んだ本の紹介」

いしいひさいち『全集ののちゃん』(徳間書店)ジンマシンの症状で苦しんでいる。中でも、本が読めないのがつらい。本を読みだすと、いつしか無意識のうちに痒い所を掻いているのだ。それでやむなく羊子の本棚から『全集ののちゃん』全12巻を引っ張り出して、横になって読み始めた。不思議にも、この手のマンガは痒さをそれほど気にしないで読めるのだ。もちろん『朝日新聞』朝刊に連載されている四コママンガである。結局10日ほどで、約8000回分(19972019年)を読み切ったことになる。そこで改めて気がつかされたことがある。それはこの漫画が、徹底して山田さん一家とその周辺の日常だけを描いているという事実である。父親で山田たかしさんの会社での滑稽な出来事、母親である松子さんの苦手な家事ぶり(毎日のように「今晩の夕食は何にしようか」と悩んでいる)、そしてその母親しげバアサンの因業ぶり、息子のぼるの失敗談と妹であるののちゃんの学校生活や友だちたちとの悪戯の数々、そして山田家の飼い犬であるポチの駄犬ぶりが、マンネリズムと思えるほど繰り返し描き込まれている。そこでは一切の大事件は起こらない。つまり東日本大震災や自然災害などの事件や事故も全く取り上げられない。ついでに言えば、前作『山田くん』ではチラホラ出て来ていた大相撲もプロ野球もオリンピックも、そしてコロナ禍さえ出て来ない。あの長く続けられた国民的マンガ『サザエさん』もやはりサザエさん一家の日常や失敗が描かれていたが、それでも政治や世相がチラリと顔を覗かせることがあった(因みに『サザエさん』の連載は5000回ほどで、『ののちゃん』は既にそれをはるかに超えている)。しかしこの『ののちゃん』には、頑なにと言っていいほど大状況の出来事は取り上げられない。そこに作者であるいしいひさいちの意図があることは言うまでもないだろう。この作者は、別の作品で政治や政治家を徹底してこき下ろす作品を多数描いている。また『がんばれタブチクン』『ワイは朝潮や』でも知られるように、プロ野球や大相撲などを茶化して作品に取り上げて来ている。そうであるのに、この『ののちゃん』には、政治問題は一切取り上げられず、プロ野球や大相撲も取り上げられない。もちろん老若男女だれもが目にする『朝日新聞』朝刊の連載だけに、気を遣っていることはあるかも知れない。しかし政治状況や世相とは全く関係なく、ののちゃんとその周辺の日常だけが取り上げられている。しかもその笑いは、しばしば「オチ」が分らないシュールなものも含まれている。かなりじっくり読み込まないと、どこがおかしいのか分らない場合も少なくないのだ。それはもはや暖かいホームコメディと言うよりも、私たちの変哲もない日常だけを活写しているとも言える。そこには脱イデオロギーと多様な価値観の中に浮遊する現代社会がユーモラスに描き込まれていると言えるのだろうか。ジンマシンの悩みから逃れるために『ののちゃん』の25年分を読み直していろいろ考えさせられた。(戒能信生)