2018年6月30日土曜日


牧師の日記から(168)「最近読んだ本の紹介」

新保祐司『明治の光内村鑑三』(藤原書店)内村鑑三については、今でも毎年のように博士論文が書かれ、浩瀚な研究書が刊行される。不思議な磁力があるのだろう。文芸評論家である新保さんのこの本は、なんと富岡鉄斎と内村との交友(鉄斎の長男に内村が英語の手ほどきをしている)に始まり、小林秀雄、宮沢賢治、正宗白鳥、大佛次郎、山田風太郎といった文学者たちが内村をどのように読んだのか、いかに影響を受けたのかを詳細に追っている。思いもかけないつながりやアプローチを興味深く読まされた。

堀江知己訳『オリゲネス イザヤ書説教』(日本キリスト教団出版局)古くからの教会員だった故・牧浦一司さんが、最期の数年間を前橋の老人施設で過ごし、前橋中部教会の堀江知己牧師の世話になった。葬儀も堀江牧師が司式してくれた。私も2度ほど堀江牧師の案内で牧浦さんを見舞ったことがある。その堀江牧師が、オリゲネスの説教をこつこつラテン語から翻訳していると聞いていたが、ようやく出版され恵贈された。2世紀の教父オリゲネスについては、教会史の教科書程度のことしか知らなかったが、その説教を読むと、現在の私たちの説教の方法や文体とほとんど変わらないことに改めて驚かされる。既にこの頃には説教のスタイルが確立していたのだ。ただすべてをキリストと結びつけて比喩的に解釈するその手法は、学ばされるところはあるが、現代では難しいだろうと思わされた。

宮本常一『辺境を歩いた人々』幕末期から明治期にかけて、蝦夷や樺太、奥羽、そして沖縄や台湾など、辺境とされる地域を探索し、そこに住む人々と親しく交わり、その生活や風習を丹念に記録した人々がいた。有名な伊能忠敬や間宮林蔵だけではなく、その周辺に位置する近藤富蔵、、松浦武四郎、菅江真澄、笹森儀助といった人々の歩いた道とその記録を、分かりやすく紹介してくれる。特に笹森儀助が天明の大飢饉の直後、奥羽の地を歩いてその惨状を記録していることに感銘を受けた。民俗学者宮本常一のやさしい語り口が素晴らしい。

ジェイコブ・ソール『帳簿の世界史』(文春文庫)会計帳簿の視点から世界史を読み直すと、思いもよらない実相が浮かび上がってくる。例えばフランス革命の背景には、ブルボン王朝の経済的な破綻があったという。既にこの時代、財務総監コルベールは国家財政のバランスシートを国王に提出している。しかしそれはルイ一六世にとって、自らの失政を示す不快な書類として退けられ、官僚たちは既得権にしがみつき、放漫経済はさらに蔓延する。その結果がフランス革命だったのだ。会計帳簿から、メディチ家の没落を分析し、大航海時代のオランダの興隆を跡付けし、産業革命期のイギリスのバブル経済を明らかにする。しかし時の為政者は、常に不都合な真実には目を背けて来た歴史が次々に明らかにされる。その伝で行けば、現在の日本の経済は赤字続きで、膨大な借金が重なり、国家財政は破綻寸前になっている。しかし政治家も官僚も、そしてマスコミすらも、その現実から眼を背けているのではないか。(戒能信生)

2018年6月24日日曜日


2018年7月1日 午前10時30分

聖霊降臨節第7主日礼拝(No14

      司式 荒井  眞  

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-

讃 美 歌  13 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編1・1~6

讃 美 歌  194

聖書朗読  エレミヤ書23・23-32

Ⅰペトロ書3・1-17

祈  祷

讃 美 歌  102

信徒講壇  「今、夫婦はどこに」

                戒能信生牧師 祈  祷

讃 美 歌  101

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「東北教区原子力対策室いずみの会の働きを覚えて」茨木啓子     

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会


2018年6月23日土曜日


牧師の日記から(167

617日(日)伝道礼拝でⅠペトロ書218-25の講解説教「無理解な上司にどう対するか」。初代教会には奴隷の身分の教会員も含まれていた。そこで「無慈悲な主人」にどう仕えたらいいのかという切実な問いが出てくる。「恐れ敬いつつ主人に仕えよ」とペトロ書は勧める。奴隷制を容認しているとか、権力への服従を勧める「奴隷の宗教」として評判が悪い個所。この個所をどう読み解いたらいいのか。礼拝後、石井房恵さんが用意してくれたちらし寿司を頂きながら、「牧師に何でも聞く会」。牧師のガウンの着用や教派の違いについての質問などがある。その後、西武地区教会連合の研修会のために練馬聖ガブリエル教会へ。カトリック、聖公会、そして教団の諸教会から60名ほどが参加。「日本の教会が来た道、いま、そして行く道は」というテーマで40分の講演をする。各教会からもそれぞれの取り組みの発題。その後二次会にも出席し、楽しく懇談した。

18日(月)来週の日曜日、鶴川北教会の創立記念礼拝の説教と戦争責任告白についての短い講演を依頼されているのでその準備。夜は日本聖書神学校の授業。

19日(火)午前中、神学読書会で黒崎真『マーティン・ルーサー・キング』(岩波新書)の後半を取り上げる。大泉教会の須賀さんが丁寧に紹介してくれる。牧師6人信徒2人の計8名の参加。7月の例会では、聖書学者の土岐健治さんに最近のエルサレム問題について講演してもらうことになった。昼食抜きで、午後から賛育会病院で前立腺のMRI検査。造影剤を入れる注射がなかなか血管に入らず、両腕を何度も刺される。検査の結果は来週分かるが、おそらく生検をしなければならないのだろう。帰宅してから、7月の内面史研究会での発表の準備。大連西広場教会の月報『霊光』の白井慶吉牧師の説教を中心に、戦時下の説教を読んでいる。昭和10年前後までは政治的発言がほとんどないのだが、昭和15年頃から急に増えていく。その経緯を丹念に追う作業。夜、ワールド・カップで日本がコロンビアに勝ったとテレビで騒いでいる。

20日(水)午前中聖書を学ぶ会で、士師記19章以下のベニヤミン族の蛮行の記事を取り上げる。部族連合の時代の断面を伝える奇妙な伝承。後はひたすら、書斎に籠って資料の読み込み。

21日(木)午前中、キリスト教会館の管理組合委員会。いくつかの懸案について協議。帰宅後、1960年代の教団のベトナム戦争への対応について、油井大三郎さんから問い合わせがあったので、資料集の該当ページをコピーして送る。この当時教団は北米の教会と連携してベトナム戦争反対の姿勢を表明している。

22日(金)午後から農村伝道神学校の授業。いったん帰宅して、夕方からNCAのプログラム「編集者のその本音を聞く」のために蔵前のカフェ・エクレシアに行く。教団出版局の元・編集者伊東正道さんの話を聞く。その後、何人かの友人と一緒に飯田橋のバーで歓談する。(戒能信生)

2018年6月17日日曜日


2018年6月24日 午前10時30分

聖霊降臨節第6主日礼拝(No13

      司式 橋本  茂  

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  16 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編150・1~6

讃 美 歌  289

聖書朗読  ヨハネ福音書1・1-5

祈  祷

讃 美 歌  211

信徒講壇  「物語を語ること」

                 茨木 啓子

祈  祷

讃 美 歌  57

使徒信条  (9341A

献  金             戒能 直子     

報  告

頌  栄  84(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・週報等発送作業

CS教師会

・(戒能牧師は鶴川北教会創立記念礼拝の説教と講演のため出張しています)

2018年6月16日土曜日


牧師の日記から(166

610日(日)この日は教会学校の花の日子どもの日礼拝で、生徒たちが教会の前にあるケアハウス「ミモザの家」にお花を届けて喜ばれた。主日礼拝ではⅠペトロ書211-17の講解説教「神の僕として生きよ」。「皇帝や総督に従いなさい」という悪名高い箇所。しかし注意深く読むと、そこでは皇帝や総督の権威を神格化したり絶対化しているわけではない。クリスチャンが「悪人」(原文からの直訳は「犯罪者」)呼ばわりされている当時の社会において、「善を行って、愚かな者たちの無知な発言を封じること」が大切だと勧められている。

11日(月)午前中、梅雨の雨の中を東長崎ウェスレー教会での北支区教師会に出席。新任教師の歓迎会。帰宅して準備してから、夜は日本聖書神学校の授業。この日は植村正久について学生たちのリーディング・レポート。図書館に『キリスト教文化』の最近号が届いていたので目を通す。この号の「特集 戦時下の教会」に原稿を依頼されたのだが、時間がなくて断ったのだった。この号に韓国の神学者・李元催氏の論考「30年の時を経た今、韓国で『神の傷みの神学』が再び読まれる」が掲載されている。セウォル号沈没事件と朴槿惠政権の崩壊という文脈で北森神学を批判的に再評価をしている。なかなか興味深い論文だった。

12日(火)朝から書斎に籠もり、来週の講演の準備。夜は、久しぶりに早稲田教会での山口里子ゼミに出席。里子さんの推測では、イエスは生活言語であるアラム語だけでなく、ギリシア語も、それからヘブライ語もサバイバル言語としてある程度まで話せたのではないかという。「神の国は近づいた」という言葉のギリシア語eggikenが別系統の資料であるマルコとQの双方に共通し、しかもアラム語にはその完了形の表現がないので、イエス自身の言葉に遡る可能性があるというのだ。これは新しい知見でいろいろ考えさせられた。

13日(水)午前中聖書を学ぶ会。士師記17-18章のダン族の土地取得に関する古い伝承を取り上げる。アモリ人とペリシテ族の圧迫によって土地を追われたダン族が、はるか北方のライシュに移住するエピソード。まるで武装移民のようで、部族連合と言われる時代の実相を伝えているのではないか。

14日(木)昼前から西早稲田のキリスト教会館でNCAの事務仕事。午後連続講座「キリスト教史を読むⅡ」の2回目でホーリネス教会の創始者中田重治を取り上げる。30名ほどの参加者。教会からも萩原好子さん、高岸泰子さんが参加してくれた。受講者の一人徳久俊彦さんから東大YMCAの古い資料を頂く。特に『東京大学基督教青年会年表 附解説』は貴重な資料で、明治期からの東大YMCAの歴史を調べるのに役に立つ。

15日(金)午前中準備をして、雨の中を農村伝道神学校の授業へ。この日は山室軍平を取り上げる。このところ鶴川までの往復の電車の中で、ル・グインの『ゲド戦記』を再読している。以前読んだときには見逃していた表現や言葉に出会って感動を新たにする。(戒能信生)

2018年6月10日日曜日


2018年6月17日 午前10時30分

聖霊降臨節第5主日伝道礼拝(No12

      司式 石井 房恵  

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  16 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編149・1~9

讃 美 歌  570

聖書朗読  アモス書7・10-15

      Ⅰペトロ書2・18-25

祈  祷

讃 美 歌  459

説  教  「無理解な上司にどう対するか」

               戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  510

使徒信条  (9341A

献  金            岡崎 大祐     

報  告

頌  栄  84(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・橋本悠久子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、「戒能牧師に何でも聞く会」(軽食付き)

・西武地区キリスト教会連合研修会(14:00 会場・日本聖公会練馬聖ガブリエル教会)講演「日本の教会の来た道、いま、そして行く道は?」戒能信生牧師

2018年6月9日土曜日


牧師の日記から(165

63日(日)主日礼拝。Ⅰペトロ書21-10の講解説教「捨てられた石」。この前後の箇所には、1世紀の終わり頃の小アジアの諸教会で実際になされた説教が引用されているという。「選ばれた尊いかなめ石」「捨てられた隅の親石」「躓きの石、妨げの岩」といった旧約聖書の言葉がキリストと結びつけられて引用され、「この主のもとに来なさい」と勧められている。この手紙の著書とされるべきペトロ(「岩」の意味)に因んでのことなのだろうか。礼拝後の定例長老会は記録的な短時間で終了。

4日(月)6月半ばに予定されている西武地区キリスト教会連合研修会での講演の準備。日本基督教団だけでなく、カトリックや聖公会の信徒たちも参加するので、共通の課題を取り上げることとする。つまり最近の教勢の停滞と教会員の高齢化の背後にあるのは何かという難問。それは特に戦後73年の意味を問うことと重なるのだが・・・。夕方、目白の日本聖書神学校に早めに行き、図書館で調べ物。柏木義円の『上毛教界月報』を検索して、必要なページをコピーする。小見のぞみさんの博士論文『田村直臣とキリスト教教育論』を借り出して読む。小見さんは、以前研究会で一緒だったことがあり、田村直臣については私も小さな論文を書いたことがあるので興味津々。夜は植村正久についての授業。

5日(火)朝から錦糸町の賛育会病院で定期検診。胃カメラの検査の結果は問題なかったが、前立腺の腫瘍マーカーが上昇しているとかで、午後から泌尿器科の診察を受けることになる。少し時間が空いたので、すぐ近くの加茂登千・弘子さん宅を訪ねる。東駒形教会時代にお世話になった教会員で、脳梗塞の予後を療養されている。思ったよりもお元気で嬉しかった。2時半に診察を受け、取り敢えず再来週MRIの検査を受けることになる。

6日(水)午前中は聖書を学び祈る会。先週に引き続き士師記のサムソン物語を取り上げる。ナジル人として育てられたサムソンだが、異民族ペリシテの女性に恋し、ライオンを素手で殺すほどの怪力の持ち主ではあるものの、女性の誘惑にはからきし弱いそのアンバランスが興味深い。ペリシテ族の脅威の中で、ペリシテを散々困らせたサムソン伝説がユーモアを交えて伝えられたのだろう。

7日(木)午前中、門前仲町の歯科医院の定期検診。小さな虫歯が見つかり治療。この年になっても虫歯になるのだ。その後、移転したばかりの石井房恵さんのカフェを訪ねる。以前のお店から永代通りを渡った反対側。ご自宅のガレージを改装した明るく可愛いお店。そこに荒井眞・久美子さん夫婦も来店され、一緒にランチ定食を頂く。野菜がたっぷりでなかなか美味しかった。お昼時だったこともあり、お客さんで満杯状態。その足でキリスト教会館に行き、午後はNCAの仕事と定期刊行物の発送作業など。

8日(金)午後から農村伝道神学校の授業。この日は、明治期第1世代のキリスト者たちのまとめの講義。学生たちの多様な質問に答える。(戒能信生)

2018年6月8日金曜日


2018年6月10日 午前10時30分

聖霊降臨節第4主日礼拝(No11

      司式 鈴木志津恵  

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  16 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編148・1~14(着席のまま)

讃 美 歌  499

聖書朗読  サムエル記上16・14-23

      Ⅰペトロ書2・11-17

祈  祷

讃 美 歌  469

説  教  「神の僕として生きよ」

               戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  178

使徒信条  (9341A

献  金            梅本 順子     

報  告

頌  栄  84(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校(花の日こどもの礼拝)お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子(近所のケアハウス「ミモザの家」に子どもたちがお花を持っていきます)

・礼拝後、お茶の会

・聖書を読む会(婦人会主催)「サラは笑ったのか」創世記181-15(発題・常盤陽子)

2018年6月2日土曜日


牧師の日記から(163

527日(日)主日礼拝。出エジプト記3318-23節の講解説教「後ろ姿の神」。不思議な箇所で、モーセがこれからの荒野の旅において神が共にいてくれることの徴を求める。これに対し、神はただ「わたしは恵もうと思う者を恵み、憐れもうと思う者を憐れむ」と突き放す。しかしその後、次のような不思議なイメージを語っている。「見よ、一つの場所がわたしの傍らにある。わが栄光が通り過ぎるとき、わたしはあなたをその岩の裂け目に入れ、わたしの手であなたを覆う。わたしが手を離すとき、あなたはわたしの後ろを見るが、わたしの顔は見えない。」つまり、私たちが精神的な穴蔵のような状態に陥ったときこそ、神はすぐ傍らにいて下さる。そして岩の裂け目に私たちを隠して、神の手で覆い隠される。嵐が過ぎ去った後、事後的にはるかに遠くから去って行くその後ろ姿を仰ぎ見ることはできるというのだ。私自身がこの言葉に支えられ導かれてきた。

28日(月)午前中は東駒形教会での月曜会に出席。ゴンザレスの『キリスト教思想史Ⅱ』の23章を読む。67世紀の教理論争についてはほとんど知らず、分らないことだらけ。しかしこのような一見些末に見える神学議論の果てに、その後の教理史があるのだろう。忍耐しつつ学びを続ける必要がある。

29日(火)東京教区総会に出席のため、富士見町教会へ。お昼の休憩の時、野口倢司さんとそのお友達たちと昼食を共にする。4時頃まで残っていたが、ただひたすら常置委員選挙や教団総会議員選挙が続き、疲れて早退してしまう。

30日(水)午前中、聖書を学び祈る会で士師記13章以下のサムソン物語を取り上げる。サムソンは、他の士師たちとは異なって部族連合の指導者ではなく、ペリシテ族の娘との自分の婚姻をめぐる紛争からペリシテ族と対立する。ナジル人として育てられながら、どう考えても非宗教的な乱暴者だったようだ。このような人物が士師の一人としてカウントされているところに士師記の面白さがある。6月末に招かれている鶴川北教会での説教と小講演の準備をして、聖書箇所などをメールで送稿。

31日(木)朝から西早稲田のキリスト教会館で仕事。古い友人の井本克二牧師が訪ねて来てくれて、学生時代の想い出を語り合った。長く平和学園の宗教主任として働き、退職後は自宅近くの大月新生教会の牧師をしているとのこと。地方の小さな教会の現状を話してくれた。午後からNCAの運営委員会。新年度の各プログラムもそれぞれ順調に始まったようでホッとする。夕方帰宅して、来週の定例長老会のアジェンダを作成して、長老の皆さんに添付メールで送る。

71日(金)午後から農村伝道神学校の授業。爽やかな晴天で、武蔵野の自然が残る山道を歩く。この日は柏木義円を取り上げる。帰宅して一休みして、夜は北支区連合祈祷会に出席のため板橋泉伝道所へ。地下鉄三田線の本蓮沼駅の近くにある可愛い小さな教会。渡邊義明牧師夫妻の奮闘ぶりに頭が下がる想い。10教会から22名が参加して祈りを合わせる。(戒能信生)