2018年9月30日日曜日


2018年10月6日 午前10時30分

聖霊降臨節第21主日礼拝(No28

      司式 高岸 泰子  

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-

讃 美 歌  10

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編15・1~5

讃 美 歌  477

聖書朗読  ダニエル書3・13-18

Ⅱペトロ書2・1-10a

祈  祷

讃 美 歌  542

説  教  「聖書解釈と教会の混乱」

              戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  441

使徒信条  (9341A

献  金             荒井  眞              

報  告

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2018年9月29日土曜日


牧師の日記から(181

923日(日)主日礼拝。Ⅱペトロ書11621の講解説教。この手紙からメッセージを語るのはなかなか難しい。しかしペトロ書から作られた讃美歌がこんなに沢山あるのは、代々の教会でこの手紙が愛読されて来たからだろう。取り上げやすいテキストからだけでなく、難しい個所から使信を語るのも説教者の使命と考えて取り組んでいる。新宿伝道所の三人の信徒が礼拝に出席され、新宿伝道所との合流の可能性について話し合った。新宿伝道所は、長く堀光男牧師が指導して来られたが、堀先生が特に今年になってかなり体力が衰え、集会の維持が難しくなったという。11月と12月の例会「聖書と人間を考える会」を千代田教会を会場に行うこととした。また来週、東久留米のお宅に堀先生を訪ね、今後のことを相談することとなった。少し体調が悪いので、早々に寝てしまう。

24日(月)9月になって急に忙しくなったからか、身体がだるく、仕事に集中できない。この日は休養することとして、仕事を中断し本を読んで過ごす。

15日(火)午前中、神楽坂のエパタ教会で支区教師会。牧師たちの近況報告の中で、この一年の間に中核的な教会員が何人も亡くなって、教会としても打撃を受けているという報告が複数あった。千代田教会にとっても他人事ではないと思わされた。午後、鈴木玲子さんと内海愛子さんが来訪。鈴木さんは故・鈴木正久牧師の長女で、NCC議長や日本YWCA総主事を担った方。内海愛子さんは、朝鮮人BC級戦犯の人権問題に取り組んで来た研究者で、私もその著書から学ばされてきた。教団の戦争責任告白が出された事情について聞きたいと訪ねて来られたのだ。いろいろ話し合っているうちに、BC級戦犯とされた人々の中に、何人もクリスチャンがいたことを教えられる。しかし生還したこれらの元戦犯たちが教会生活に戻ることはほとんどなかったという。戦後の教会は戦犯とされた人々を顧みなかったと言える。巣鴨プリズンで『巣鴨新聞』を編集していた中田善秋の資料を見せてくれることになった。夜は支区祈祷委員会。月に一度の支区連合祈祷会は、諸教会の交わりのために大切な役割を担っている。会場教会や説教者、そして証しを担当してくれる信徒との交渉がなかなか大変なのだという。

26日(水)午前中、聖書を学び祈る会で、サムエル記上910章を取り上げる。イスラエルの初代の王サウルがどのようにして選ばれたのかの伝承を読み解く。体調が悪いのは変わらないので、午後からは休養。

27日(木)午前中、三か月ぶりに眼科で緑内障の定期検査。格段の進行もなく、点眼で様子を見ることとなった。その後キリスト教会館に行き、NCAの仕事。発送作業と運営委員会。少しは体調が戻ってきた感じで、仕事を始める。

28日(金)この日も自重して出かけるのはやめ、書斎で仕事。午後、札幌教会の朝倉美恵子さんが突然訪ねて来て、西広場教会の教会員だった祖母・岡本梅子さんの消息を確かめたいという。『霊光』のバックナンバーから関係資料を捜して説明する。(戒能信生)

2018年9月23日日曜日


2018年9月30日 午前10時30分

聖霊降臨節第20主日礼拝(No27

      司式 荒井  眞  

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編14・1~7

讃 美 歌  60

聖書朗読  民数記35・9-34

祈  祷

讃 美 歌  132

説  教  「逃れの町」

              戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  451

使徒信条  (9341A

献  金             荒井久美子               

報  告

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・週報等発送作業

2018年9月22日土曜日


牧師の日記から(180

916日(日)この日は北支区の交換講壇で、大泉教会の山田康博牧師が説教を担当してくれる。礼拝後は、石井房恵さん心尽くしの昼食を一緒に頂きながら、山田牧師を囲んでの懇談会。例によって参加者が、それぞれの信仰の歩みを語って1時半頃終了したとか。私は、大泉教会の礼拝で講壇奉仕。礼拝後、軽食を共にしながら教会員たちの話を伺う。その後、すぐ近くの福音会のケアハウスに東海林勤先生を見舞う。若い時からとてもお世話になった先生で、今年82歳。一昨年お連れ合いのるつ子さんが亡くなられで、昨年この施設に入所された。お元気だが少し発声に難があり、聞こえづらいこともある。しかし相変わらずの東海林先生の信仰の姿勢を語られた。2時過ぎまで話し込み、祈って帰途についた。

17日(月)朝から書斎で、明日の講演の準備。「戦時下の教会の実情」というテーマは、これまで様々な機会に紹介してきたが、今回は特に戦時下の説教の実態について取り上げるつもりで、資料とレジュメの作成をする。

18日(火)午前中、神学読書会。平良愛香著『あなたが気づかないだけで、神さまもゲイもいつもあなたのそばにいる』を取り上げる。前回発題者を決めるのを忘れたので、致し方なく私が簡単に内容の紹介をした。特にこの本で考えさせられたのは、LGBTと言われる多様なセクシャル・マイノリティーの人々が、その思春期に自らの性的指向性について悩み、アイデンティティーの危機を経験していること。周囲の無理解や偏見の中で、自己肯定出来ない痛切な経験を経てきているのだ。参加者は牧師7名、信徒2名の計9名。午後準備をして、夜は早稲田教会を会場に戦争を許さないキリスト者の会の例会で、「戦時下の教会の実情」について講演。雨の中を40名ほどの人々が参加され、熱心に聞いてくれた。

19日(水)午前中、聖書を学び祈る会でサムエル記上78章を取り上げる。ペリシテ人の攻勢の前に危機に陥った民が、サムエルに王の推戴を要求する。それは再び奴隷に戻ることを意味するが、それでいいのかと神は問い返す。この問いは、E・フロムの『自由からの逃走』とも重なる問で、現代政治とも関わる深刻な問題でもある。午後は『時の徴』152号の発送作業。同人たちが集まって、購読者・購読依頼の寄贈も含めて約900通の発送を終える。編集委員会の後、何人かと近くの焼き鳥屋でご苦労さん会。疲れて早々に寝てしまう。

20日(木)午前中、キリスト教会館に行き、三者協議会。NCAの事務仕事をして、午後帰宅。昨日届いた「神学生交流プログラム報告書」の校正作業。この日は私の71歳の誕生日で、教会員の皆さんから何通かのカードが届く。

21日(金)午前中は会館管理組合の委員会。会館の冷暖房機(GHP)の耐用年数が切れ、新しい機種に取り換えねばならないのが難題。午後帰宅して準備をして、夜はエパタ教会での北支区宣教研究委員会で、1980年代の支区報から読み取れる諸教会の問題について発題する。このところ研究会や読書界での発表や講演が続いたので、少し沈潜してinputする必要を痛感する。(戒能信生)

2018年9月16日日曜日


2018年9月23日 午前10時30分

聖霊降臨節第19主日礼拝(No26

      司式 野口 倢司  

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編13・1~6

讃 美 歌  284

聖書朗読  出エジプト記12・21-28

Ⅱペトロ書1・16-21

祈  祷

讃 美 歌  432

説  教  「暗闇に輝く灯」

              戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  460

使徒信条  (9341A

献  金             橋本 茂               

報  告

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

2018年9月15日土曜日


牧師の日記から(179

99日(日)主日礼拝。この日からⅡペトロ書の講解説教を始める。新約諸文書の中でも最も遅い時期、2世紀の半ばに成立したとされるペトロの名による手紙。ローマで殉教したとされるペトロの遺言という設定となっているが、参考書も少なく、説教集などもほとんどない。勿論私にとっても初めての経験。しかしこの当時の教会の様子や信仰理解を伝える貴重な資料ではある。礼拝後は婦人会主催の聖書を読む会で、創世記24章のイサクの嫁取りの箇所を、荒井久美子さんの発題で取り上げる。現代のユダヤ教正統派の若者たちの結婚観を伝えるNHKBS放送を、荒井さんご夫妻が再現してくれて興味深かった。午後、思い立って直子さんと上野の美術館に行く。最初は国立西洋美術館の「ミケランジェロと理想の身体」展。ミケランジェロの「ダビデ・アポロ像」が目玉だが、紀元前23世紀のギリシア彫刻と、ルネッサンス期のイタリア彫刻の比較が面白かった。既に紀元前に完成していた身体像が15世紀に再発見されるまで、長い空白があったのは何故なのか考えさせられた。おそらくキリスト教の身体理解の影響があったのだろう。続いて東京都美術館で「藤田嗣治展」を観る。よくこれだけ集めたと思えるほど(126点)藤田嗣治の作品がその初期から晩年に至るまで展観されている。しかしやはり有名な戦争画「アッツ島玉砕」や「サイパン島同胞臣節を全うす」が異彩を放っていた。

10日(月)北海道の地震の被害はかなり深刻そうだ。近畿地方の台風の被害も、まだまだその影響が残っている。夜は日本聖書神学校の後期の授業の初日。今期の受講生は少ないので、じっくり資料を取り上げることが出来る。図書館で由木康の著作を捜して借り出す。11月の講義の準備のため。

11日(火)夜は山口里子さんの聖書ゼミに参加。マルコ福音書129以下のペトロの義母の癒やしについて、これは本来彼女の召命の記事ではなかったかと指摘される。確かにdiakoneo(仕える)というギリシア語が女性の場合には「もてなす」と訳されている。そこに女性を弟子から排除した事情が伺える。

12日(水)久しぶりの聖書を学ぶ会で、サムエル記上4章以下を取り上げる。圧倒的に優勢なペリシテ族との戦闘に破れ「契約の箱」が奪われるという故事。その返還にまつわる伝承から、古代の宗教的慣習が推測できる。

13日(木)午前中、NCAの事務仕事。午後から連続講座「日本キリスト教史を読む」で、金井為一郎を取り上げる。金井先生のお身内の方々も出席されて恐縮した。その後、宗教新聞『中外日報』の取材を受ける。週報のブログを見て、いろいろ本を読んでいるようだからというので、「この一冊」というコラムで取り上げるという。井上良雄先生の『キリスト教講話集』を紹介する。

14日(金)午前中、『時の徴』の封筒の印刷のために早稲田教会へ。来週の戦争を許さないキリスト者の会の講演「戦時下の教会」の準備に手を付ける。なんだか急に忙しくなってきて、身体がついて行かない感じ。(戒能信生)

2018年9月9日日曜日


2018年9月16日 午前10時30分

聖霊降臨節第18主日礼拝(No25

      司式 橋本  茂  

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編12・1~9

讃 美 歌  394

聖書朗読  マルコ福音書7・31-37

祈  祷

讃 美 歌  432

説  教  「開け」

          大泉教会 山田康博牧師 祈  祷

讃 美 歌  531

使徒信条  (9341A

献  金             橋本悠久子               

報  告

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・橋本悠久子、奏楽・戒能直子

・本日の礼拝は北支区交換講壇で、大泉教会の山田康博牧師が担当されます。戒能牧師は大泉教会で説教の奉仕をします。

・礼拝後、山田牧師を囲む懇談会 司会・橋本茂(軽食の用意あり)

2018年9月8日土曜日


牧師の日記から(178

92日(日)この日のCSは教会員説教で内山央絵さんの担当。キーボード持参で、子どもたちと一緒にごく簡単なゴスペルを一緒に歌ってくれた。主日礼拝ではⅠペトロ書の講解説教の最終回。忍耐と服従をひたすら勧めてきたこの手紙の最後の部分で「身を慎んで目を覚ましていなさい。あなたがたの敵である悪魔が、吠え猛る獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい」(58-9)と激しい言葉で語りかけている。ここに、この手紙の特徴と真骨頂があるのだろう。

3日(月)台風21号が接近する中で、飛行機で鹿児島へ無事到着。午後から加治屋町教会で『時の徴』の同人研修会・読者の会が開かれるのだ。この教会は、西郷隆盛の生地のすぐ隣りで、友人の松本敏之牧師が三年前から牧会している。九州教区からも何人か参加してくれて、最近の教区の様子や教団の問題、『時の徴』の編集等について話し合う。夜は、懇親会で食事を共にしながら楽しく話し合う。夜ホテルに帰ると、台風が近畿地方に迫っているというニュース。

4日(火)研修会は午前中で終って、午後から鹿児島観光。私は観光の類にはほとんど縁がなく、久しぶりの経験。先ず、ザビエル記念教会を訪ねる。その後、西郷隆盛の自刃した城山をバスで周遊し、島津家の別邸仙巌園と尚古集成館を見学。桜島が目の前にあり見事な借景になっている。それにしても幕末期、明治維新を担った薩摩藩の経済力に驚く。それは奄美や沖縄への収奪によって成り立っていたという。夜は豚しゃぶで有名なお店で一緒に食事。なかなか美味しかった。テレビでは台風の近畿地方直撃のニュース。関西空港が大きな被害を受けている。

5日(水)午前中、荻窪教会の小海基牧師夫妻と一緒にJRで伊集院まで行き、薩摩焼の窯元沈寿官窯を訪ねる。豊臣秀吉の朝鮮侵攻の際、島津藩が連れてきた朝鮮人陶工たちの末裔。薩摩焼は、藩によって保護され、他藩への贈答品として用いられたという。つまり他の民芸陶器とはかなり異なる歴史を辿ったようだ。夕方の飛行機で帰京。疲れて早々に寝てしまう。

6日(木)朝起きると、北海道で大規模な地震のニュース。これでは来週予定していた旅行は中止せざるを得ないだろう。昼前からキリスト教会館へ。8月の終わりに会館のエアコンの一部が故障し、その部品が届くまで一ヶ月かかるという。そのため、急遽冷風器を10台購入し、エアコンの効かない部屋に設置。この日は、その修理の見通しと、老朽化しているGHPの取り替えについて東京ガスや業者と打ち合わせ。全部を取り替えると7000万円以上かかるので、老朽化が激しい器機から順次取り替える具体案を提案してくれるように依頼。

7日(金)地震被害の大きさを伝えるニュースを横目に、朝から準備して、夜は日本キリスト教連合会の公開学習会。「天皇の生前退位と大嘗祭」というテーマで講演。人数はそれほど多くはないが、各教派からの参加があった。8月は比較的のんびりしていたが、9月に入るといきなり忙しい日々に戻った。(戒能信生)

2018年9月2日日曜日


2018年9月9日 午前10時30分

聖霊降臨節第17主日礼拝(No24

      司式 鈴木志津恵  

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編11・1~7

讃 美 歌  208

聖書朗読  申命記15・1-11

      Ⅱペトロ書1・1-15

祈  祷

讃 美 歌  417

説  教  「仮の宿として」

                戒能信生牧師 祈  祷

讃 美 歌  390

使徒信条  (9341A

献  金              萩原好子               

報  告

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・聖書を読む会(主催・婦人会)創世記1411-67、発題・荒井久美子

2018年9月1日土曜日


牧師の日記から(177)「最近読んだ本の紹介」

見田宗介『現代社会はどこに向かうか 高原の見晴らしを切り開くこと』(岩波新書)私の最も信頼している社会学者の最新作。経済成長が限界に達した後の世界はどうなるのかについて大胆な見通しと仮説を提示する。この国の若者たちの意識調査の変遷から、①「近代家族」システムの解体、②「生活満足度」の増大と「保守化」、③「魔術的なるもの」の再生といった傾向を読み取る。それは、ヨーロッパやアメリカの若者たちの意識変化とも共通しているが、特にフランスの若者たちの幸福観の調査結果は感動的ですらある。物質依存から解放された素朴な幸福観が披瀝されているからだ。ただ宗教の将来については、「魔術的なるもの」の再生が指摘される一方で、ある宣教師の信仰の溶解という事態を報告する。アマゾンのピーダハーン部族への宣教師であったダニエル・エヴェレットが、40年にわたる部族との共同生活の果てに、キリスト教信仰を解消したという衝撃的な事実が突き付けられる。つまり近代化と「大きな物語」の圧力の中で、未来への不安を乗り越えるために積み上げられてきた思想や信仰の解体の可能性が示唆されているのだ。いつもながら見田宗介の分析と予測はスリリングで、新たな課題を与えられた思いだった。

森本あんり『異端の時代 正統のかたちを求めて』(岩波新書)この夏の読書の中で最も刺激的な一冊。トランプ大統領の登場やイギリスのEU離脱といった世界政治の混迷の背後に、著者は正統の腐食を観る。そして丸山眞男の「正統と異端」論を、キリスト教教理史から読み解こうとする。すなわち正統は、聖典によっても、教義によっても、さらに職制によっても基礎づけられないという。それらに先立って「どこでも、いつでも、だれにでも」開かれているのが正統だというのだ。このあたりの論述がなかなか説得的で面白かった。ドナティスト論争やペラギウス主義の現代的解釈が秀逸。後半のソローやエマソン、ジェイムズなどのアメリカ宗教思想の展開の部分になると、こちらに前理解が不足しているせいかよく理解できない点も出てくる。しかし現代政治を覆うポピュリズムを「宗教なき時代に興隆する代替宗教の様態」と喝破し、真正な異端こそが次の時代の正統を形成すると予測する。現代政治を、キリスト教思想史の観点から読み解く手法が、この国の読書界ではどのように受け容れられるのだろうか。

更科功『絶滅の人類史 なぜ私たちが生き延びたのか』(NHK出版新書)分子古生物学者が、700万年に及ぶ人類史を辿り、ホモ・サピエンスだけが生き残った理由を探る。例えばネアンデルタール人は、骨格も逞しく脳も大きいのに絶滅してしまった。つまり強くて大きい者が必ずしも生き延びたのではないという。興味深かったのは、旧ソ連の生態学者ガウゼの「同じ生態的地位を占める二種は同じ場所に共存できない」という法則。宗教の世界でも、世界宗教が一度入った社会に、他宗教は容易に定着しないという現象があるのだ。(戒能信生)