2015年12月27日日曜日

2016年1月3日 午前10時30分
降誕節第2主日礼拝No.39
     司式 高岸 泰子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  詩編98・1、3(93-1-18
讃 美 歌  4 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編41・1~14
讃 美 歌  148
聖書朗読  詩編96・1-12
祈  祷
讃 美 歌  278
使徒信条  (93-4-1A)

説  教  「新しい歌を主に向かって歌え」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  368
献  金            永松 信行
報  告
頌  栄  84(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校 (お休み)

礼拝後、お茶の会(長老会は次週礼拝後)

2015年12月25日金曜日

牧師の日記から(38クリスマス・カードに添えて、私たち家族の近況報告」
 私たちの家族は、原則として年賀状を出しません。その代わりにクリスマス・カードを送ることにしています。以下は、今年のクリスマス・カードに添えて同封した私たち家族の近況報告です。

信生は、今年の春、18年間仕えた東駒形教会から、千代田教会に転任しました。JR四ツ谷駅の近くにある、普段の礼拝出席者が20名前後の小さな教会です。各神学校への出講は続けていますが、関連施設の理事や評議員の責任から解放されて、専用の書庫付き書斎で快適な読書生活を楽しんでいます。68歳という年齢で、なお教会に仕えることができることを心から喜んでいます。
直子さんは、環境の激変に戸惑いながらも、庭の植物(薔薇、無花果、柿の樹等)の世話にいそしんでいます。
 同居の羊子は、練馬のアニメ会社への勤務で、相変わらず夜遅くの帰宅ですが、少しは通勤が楽になり、休日には美術館巡りを楽しんでいます。
行徳に住む嘉信は、IT関係の仕事で年末も年始もない生活に明け暮れているようです。私のPC関係の整備を遠隔操作で処理してくれるので助かっています。
小石川白山に住む謙は、1月に清美さんと結婚しました。雲柱社の仕事に追われつつ、二人で千代田教会の薔薇や庭木の世話にせっせと通って来てくれます。清美さんは看護師として信生の健康管理をそれは細やかに指導してくれます。
 家族みんな健康を支えられ、それぞれの職務や役割を担うことができることを感謝しています。近くにお越しの折には、是非覗きに来てください。
201512月         戒能信生、直子、嘉信、羊子、謙、清美
160-0002東京都新宿区四谷坂町4-34千代田教会

(住所表示が変更になりました。ご注意ください。)

2015年12月20日日曜日

2015年12月27日 午前10時30分
クリスマス合同礼拝No.38
     司式 荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  イザヤ書40・9-10(93-1-19
讃 美 歌  4 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編40・1~18
讃 美 歌  268
聖書朗読  創世記19・1-29
祈  祷
讃 美 歌  446
使徒信条  (93-4-1A)

説  教  「後ろを振り向いてはならない」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  365
献  金            岡崎 大祐
報  告
頌  栄  46(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校 (お休み)

礼拝後、お茶の会、週報等発送作業
2015年クリスマス・イブ燭火讃美礼拝
司式 常盤 陽子、聖書朗読 野口洋子
奏楽 釜坂由理子、説教 戒能信生牧師
前 奏  E.S.Higgins「飼葉桶にすやすやと」による前奏曲
招 詞  イザヤ書11110    司式者
点 灯(講壇のローソクの灯を会衆に)萩原好子
讃美歌  235「久しく待ちにし」 一 同
聖 書  ルカ福音書12638   朗読者
讃美歌  229「いま来たりませ」 一 同
聖 書  ルカ福音書14656   朗読者
讃美歌  262「聞け、天使の歌」 一 同
聖 書  ルカ福音書2120   朗読者
説 教  「その夜の出来事」 戒能信生牧師
讃美歌  264「きよしこの夜」  一 同
(電燈がつきます。ローソクの灯をお消しください。)
献 金        高岸泰子・野口倢司
祈 祷
讃美歌  261「もろびとこぞりて」一 同
交 読  詩編13018   司式者・会衆
讃美歌  89(二度繰り返して)  一 同
祝 祷
後 奏  Yuriko K.Postlude in g
報 告

 礼拝後、集会室で懇親会があります。

時間のある方は是非お残り下さい。

2015年12月19日土曜日

牧師の日記から(37)「渡部澄彦さんのこと」
 今日のクリスマス礼拝で受洗される渡部澄彦さんのことを短く紹介します。
 今年の7月、千代田教会松野俊一牧師宛ての手紙が届き、松野先生に転送しました。折り返し先生から、渡部澄彦さんという方が受洗を希望されているので、対応するようにとの指示がありました。ご夫人に連絡をとり、8月の初めから月に一度、新浦安のお宅をお訪ねし、受洗準備を重ねて来ました。
 渡部澄彦さん(76歳)は、千代田教会員であった故・渡部之夫さんの一人息子、故・喜和さんのお孫さんに当ります。喜和さんは、御主人の央(なかば)さんと共に、若き日に熊本日本基督教会で白井慶吉牧師から受洗しています。その後、長く朝鮮の大邱で教師をされ、戦後、縁故を頼って大分に引き揚げて来て、大分教会で教会生活をされました。央さんの逝去後、ご家族は上京し、花小金井に住んで千代田教会で教会生活をするようになります。澄彦さんは、東京外語大を卒業後、旅行会社に勤め、やがて独立してビザ取得代行会社を起こし、業界でも屈指の企業に育てて多忙を極めます。しかし4年前脳梗塞で倒れ、会社も知人に譲渡してリタイアされました。現在はご夫人の英子さんの介護を受けながら、リハビリに励む生活です。お仕事に追われていた当時から、毎年永眠者記念礼拝にはご夫妻で出席され、いつかは洗礼を受けたいという願いを抱いておられたそうです。
私が澄彦さんとお会いして驚いたことの一つは、なによりよく笑うことです。脳梗塞の後遺症でお身体も不自由なのに、こんなに明るい方は稀です。天性の性格もあるのでしょうが、英子さんの懇切な介護のせいもあると思いました。以下に、澄彦さんがご自身で書いた「信仰告白」を掲載します。
        (戒能信生)

「私の信仰の告白」渡部澄彦

「私は旅行会社JTBで働いていました。50歳の時、脱サラして、ビザ取得代行の会社を起業しました。小さい時は、大分に住んでいました。御祖父さん(渡部央)はクリスチャンで、大分教会に通っていました。私も御祖父さんに連れられて、大分教会の日曜学校に通いました。キャンプにも参加したことがあります。中学三年の時、御祖父さんが亡くなり、家族と共に東京に出て来ました。御祖母さん(渡部喜和)は千代田教会に通っていました。御祖母さんと父(渡部之夫)はクリスチャンです。私は仕事が忙しくて、永眠者記念礼拝のメモリアル・デイに教会に行く程度でした。三年前、脳梗塞になり、現在は会社を整理して、戒能牧師と洗礼の準備をしています。毎日少しずつ聖書を読んでいます。私は洗礼を受けたいと思います。」

2015年12月13日日曜日

2015年12月20日 午前10時30分
クリスマス合同礼拝No.37
     司式 野口 倢司
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  イザヤ書40・9-10(93-1-19
讃 美 歌  242 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編39・1~14
讃 美 歌  248
聖書朗読  マタイ福音書1・18-25
祈  祷
讃 美 歌  255
使徒信条  (93-4-1A)
子どもの祝福
説  教  「神、我らと共にいます」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  258
洗礼式            渡部 澄彦
讃 美 歌  67
聖餐式  配餐 荒井久美子・茨木啓子
讃 美 歌  81
献  金             橋本 茂
報  告
頌  栄  46(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校 合同礼拝に合流

礼拝後、祝会(愛餐会)第一部司会・野口倢司、第二部司会・石井房恵 なるべく多くの方がご参加ください。

2015年12月12日土曜日

牧師の日記から(36)「松岡新太郎・きん夫妻のこと」
今年の9月、富士霊園で故・松岡新太郎・きん夫妻の記念会があり、私は招かれて司式をしました。千代田教会とは直接関係がないのですが、不思議な関わりで出会ったこの夫妻のことを短く紹介します。
関東大震災の被災者救援を神戸から来た賀川豊彦が担ったことはよく知られています。そこから生まれたのが、私の前任地の東駒形教会であり、さらに本所基督教産業青年会、光の園保育学校、江東消費組合、中ノ郷信用組合などの広範なセツルメント活動でした。しかしその中で、本所区石原にあった愛の園保育学校のことだけは不明とされて来ました。賀川が始めたことは確かなのですが、それを具体的に担ったのは誰か、その後どうなったのかが分らなかったのです。東京大空襲ですべて焼失しているためです。2011年、ある集会で私が「関東大震災と賀川豊彦」という講演をした時、この愛の園保育学校の卒園生・根岸基さん(市川三本松教会員)が名乗り出てくれました。根岸さんは昭和9年の卒園式の写真を保存しており、その写真が朝日新聞東部版に「愛の園保育学校の卒園写真見つかる」という記事と共に大きく掲載されました。その夕方、一本の電話がかかって来ました。「私の母が愛の園保育学校を運営していました。」それが現在、相模原でいくつもの保育園や福祉施設を擁する社会福祉法人さがみ愛育会の前理事長松岡俊彦さんでした。この松岡さんこそ、当時、愛の園保育学校を運営していた松岡新太郎・きん夫妻の忘れ形見だったのです。
そこから私の調査が始まりました。教団の地下倉庫を捜して、教団創立当時の資料の中から、松岡新太郎の履歴書を探し当てたのです。それによって、新太郎が救世軍の士官だったこと、1941年に創立された日本基督教団の教師に登録されていることなどが分かりました。夫人のきんは、大阪神学校を出た後、賀川の許に身を寄せ、それがきっかけで愛の園保育学校の運営を担ったこと、そして新太郎と出会って結婚し俊彦さんが生まれたこと、戦時下の困難の中でこの保育園を閉鎖せざるを得なくなるものの、戦後、相模原の淵野辺で保育園を再開しようとしたこと、しかしその直前、新太郎は41歳で結核で亡くなり、きんは独力で保育園を運営し、現在のさがみ愛育会の基礎を築いたことなどが次々に判明したのです。当時まだ幼かった長男の俊彦さんは、特に父・新太郎についてほとんど知らずに来たそうです。ですから、この調査によって父・新太郎の経歴と人となりを初めて知ることになるのです。

俊彦さんからの礼状の最後にこう記されていました。「先日、先生に相談した通り、私もこのクリスマスに伊豆八幡野教会で洗礼を受けることに決めました。」私にとっては何よりのクリスマス・プレゼントでした。(戒能信生)

2015年12月6日日曜日

2015年12月13日 午前10時30分
待降節第3主日礼拝No.36
     司式 茨木 啓子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  イザヤ書60・1-2(93-1-17
讃 美 歌  242(123節) 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編38・1~23
讃 美 歌  240
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  236
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「主の祈り⑨国と力と栄」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  474
献  金            高岸 泰子
報  告
頌  栄  46(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校(9:30)お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子

礼拝後、お茶の会、婦人会例会「新約聖書の女性たち⑦マリアとマルタ」発題・橋本悠久子

2015年12月3日木曜日

牧師の日記から㉟「牧師の勉強会のこと(続き)」
先週に引き続き、私が参加している勉強会の紹介です。
「説教読書会」月に一度、門前仲町の雨宮栄一牧師(東駒形教会の私の前任牧師)宅で、説教の読書会があります。牧師は、人の説教を聞く機会がほとんどありませんから、説教を丹念に読むよい機会です。この間、私が編集した井上良雄先生の説教集(『大いなる招待』『エデンからゴルゴタまで』新教新書)を一篇ずつ読んでいたのですが、それを読み終わり、10月から新たにボンヘッファーの説教集を取り上げています。参加者が順番に輪読して、疑問点や感想を話し合います。残されている説教を通して、ボンヘッファーの神学的な歩みを跡付けることが出来ます。参加者は、雨宮先生の親しい信徒や牧師たちが78人です。
「山口里子ゼミ」これは私が責任を負っている日本クリスチャン・アカデミーの聖書講座です。フェミニズム新約聖書学者として知られる山口里子さんの著書『イエスの譬え話Ⅰ』を1章ずつ取り上げて学んでいます。毎月第二火曜日の夜、早稲田教会を会場に行われます。里子さんの聖書解釈は、これまでの聖書理解の常識や通念をひっくり返し、きわめてスリリングで刺激的です。男性の弟子たちによって書かれた福音書を、女性の視点から読み直してみると、そこに思いもかけないメッセージを読み取ることができるからです。毎回1000円の参加費が必要ですが(講師の里子さんへの謝礼と会場費のため)、毎回20名ほどの参加者があります。
「柏木義円研究会」明治から大正、そして昭和前期にかけて、群馬県の安中教会牧師であった柏木義円が、今注目されています。生涯田舎牧師であった義円が、『上毛教会月報』を発行して、廃娼運動や足尾鉱毒事件に関わり、日露戦争に反対して「非戦の思想」を主張し、組合教会の朝鮮伝道を痛烈に批判しています。その義円の日記や書簡を翻刻した片野真佐子さん(大阪商大教員)は、私の古くからの研究仲間で、義円を改めて読み直そうということで、この研究会が始まりました。資金的な裏付けがないので、当面は千代田教会の集会室を会場に、年二回くらいのペースで進めようと考えています。第1回は、1226日(土)の午後です。
こんな具合に、様々な研究会や読書会を続けています。それは、私が勉強好きだったり、勤勉であるからではありません。全く逆です。独りでは勉強できないし、つい怠けてしまうので、このような研究会や読書会に参加して、何とかみんなの力を借りて勉強を続けて来たと言えます。教会員の皆さんも関心があれば、そして時間的余裕があれば、是非参加してみてください。

(戒能信生)

2015年11月29日日曜日

2015年12月6日 午前10時30分
待降節第2主日礼拝No.35
     司式 橋本  茂
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  イザヤ書60・1-2(93-1-17
讃 美 歌  242(12節) 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編37・1~40
讃 美 歌  229
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  231
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「主の祈り⑧悪より
救い出したまえ」戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  530
献  金  対外献金「水害に遭った水海道教会のために」    荒井久美子
報  告
頌  栄  46(二度繰り返して)
派遣・祝福

後  奏         

2015年11月27日金曜日

牧師の日記から㉞「牧師の勉強会のこと」
週報や月間カレンダーに、牧師の勉強会や読書会の予定が書き込まれています。質問がありましたので、ごく簡単に紹介してみましょう。実は私は神学校を卒業していません。大学紛争もあって学部の途中で退学を余儀なくされ、立教大学のキリスト教学科に編入して卒業しましたが、牧師としての基礎的な学びや訓練が足りないと感じていました。最初の教会に赴任してすぐに自分の準備不足に気がついた私は、独りではなかなか勉強できないものですから、友人や先輩の牧師たちと一緒に、勉強会や読書会、研究会などを組織して勉強を続けることにしたのです。一時は、毎月10回以上の勉強会の案内葉書を出していた記憶があります。それはもう習慣のようになって、今でもいくつかの勉強会や読書会を続けています。
「月曜会」東駒形教会を会場に、月に一度月曜日の午前中、近隣の牧師たちが集まって読書会を続けています。取り上げるのは神学書が中心で、発題者がその内容を紹介し、参加者同士で自由に議論します。毎年クリスマスが終わった年末に、その年読んだ書物の著者をゲストに招いて忘年会をします。今年は、1228日(月)、新進のバルト研究者福島揚さんを招いて、バルト神学のこの国への受容の問題について講演してもらうことになっています。毎回10名ほどの参加者がありますが、忘年会には20名近くの参加があり、持ち寄りの食事会をして、一人一人この1年の懺悔をするのが恒例です。
「内面史研究会」今年の10月から新しく始まった富坂キリスト教センターの研究プロジェクトです。戦時下のキリスト教について、これまで戦争に協力したか抵抗したかの二者択一的な議論が多かったのですが、一人一人の内面に分け入って、その人に寄り添いながら検証しようという研究会です。研究員は日本キリスト教史の研究者が中心ですが、牧師も加わっています。私が座長で、年3回程度の研究会を3年間重ね、その成果を書籍にして刊行する予定です。私自身は大連日本基督教会の歩みを中心に、戦時下の外地の教会の実情に焦点を合わせてその実情を取り上げてみようと考えています。

『カール・バルトの教会論』読書会。『時の徴』の同人仲間である東北学院大学の佐藤司朗さんが、長年のバルト研究をまとめて大部な研究書を刊行されました。私も贈呈されたのですが、専門的な議論が多く、とても独りでは歯が立ちません。そこで『時の徴』の同人や購読者に呼びかけて、月に一度、信濃町教会を会場に読書会を始めました。1年かけて読み通そうという計画ですが、こんな地味で難解な専門書の読書会に果たして何人集まるか不安でした。ところが初回になんと27名もの牧師や信徒の参加がありました。著者の佐藤さんも毎回仙台から駆けつけます。(この項続く 戒能信生)

2015年11月22日日曜日

2015年11月29日 午前10時30分
待降節第1主日礼拝No.34
     司式 高岸 泰子
    奏  黙 想       奏楽 向山 康子
招  詞  イザヤ書60・1-2(93-1-17
讃 美 歌  242(1節) 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編36・1~13
讃 美 歌  241
聖書朗読  イザヤ書2・1-5
祈  祷
讃 美 歌  371
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「平和へのイメージ」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  424
献  金            
報  告
頌  栄  24
派遣・祝福

後  奏         

2015年11月20日金曜日

牧師の日記から㉝「信濃町教会との講壇交換のこと」
先週1115日の主日礼拝は、北支区の講壇交換で、信濃町教会の笠原義久牧師が千代田教会で説教を担当してくれました。礼拝後、オリーブの会で笠原牧師を囲んで軽食を共にしながら懇談の時を持ちました。(とても和やかで楽しかったそうです)
私は信濃町教会で説教を担当しました。以下はその報告と感想です。実は、私は神学生時代の前後、10年近く信濃町教会で教会生活をしました。東京神学大学入学と同時に転入会し、東神大を追い出されて立教大学のキリスト教学科に編入した時期も、ずっと一貫して信濃町教会員だったわけです。ですから、私の青春時代の様々な想い出がこの教会にはいっぱいありますし、また親しい友人やお世話になった方々もたくさんいます。あれからほぼ40年が経ち、その間、様々な機会に信濃町教会を訪れることはあっても、教会員の皆さんと親しく顔を合わせる機会はほとんどありませんでした。
教会歴に合わせて、この日の教団の聖書日課のテキスト、出エジプト記3章を取り上げ「道を逸れて」という題で説教をしました。以前の古い会堂と違って、説教壇がそんなに高くなく、とても話しやすく感じました。礼拝出席者は150名くらいだったでしょうか、説教中に会衆を見まわしていると、次々に懐かしい顔を発見しました。皆さんとてもよく聴いてくれているという印象でした。
礼拝が終わって、会堂の入口に立って、教会員たちに挨拶をしました。次々に懐かしい人々が、40歳年齢を重ねた顔で言葉をかけてくれました。「とても良かった」「分かりやすかった」「話し方が上手だった」「感銘を受けた」等々と……。しかしどうもその様子が、私が他の教会で説教した時とはかなり違うのです。そのうちに事情が分かって来ました。まるで「放蕩息子の帰還」を迎えるという具合なのです。振り返ってみると、神学生時代の私は、この教会でさぞかし厄介者だったのでしょう。大学紛争で逮捕されたりして、ずいぶん迷惑をかけたり心配させたのだと思います。ですから、教会員の多くは、「まあ、あの乱暴者の戒能さんが、よくぞこんなに立派になって!」という感じで迎えてくれていたようなのです……。

礼拝後、比較的若い世代のグループの会に出席し、一緒に食事をし、楽しく懇談の時を持ちました。しかし何より驚いたのは、その中に40年前の教会学校での教え子が合わせて6名もいたことです。名前を聞くと、その当時の小学生の顔がありありと想い出されて来ます。歴史のあるこの教会が、教会学校から育ってきた若い世代の教会員たちによって担われているという事実に改めて感銘を受けました。(戒能信生)

2015年11月15日日曜日

2015年11月22日 午前10時30分
収穫感謝・合同 降誕前第5主日礼拝No.33
     司式 荒井久美子 
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  イザヤ書43・1(93-1-5
讃 美 歌  11 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編35・1~28
讃 美 歌  445
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  544
使徒信条  (93-4-1A)
子どもの祝福
説  教  「主の祈り⑦我らの罪を赦したまえ」            戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  543
献  金            茨木 啓子
報  告
頌  栄  24
派遣・祝福
後  奏         

 (「幼児祝福式」

2015年11月14日土曜日

牧師の日記から㉜「日本盲人職能開発センターのこと」
JR四ツ谷駅や地下鉄曙橋駅周辺で、白杖を手にして歩く視覚障碍者に度々出会います。近くに盲人のための施設があるのだろうと思っていましたが、それ以上深く考えていませんでした。ある時、何気なく周辺の地図を眺めていて、教会のすぐ近く、四谷坂町から四ツ谷駅に行く途中の本塩町の路地を入った所(YMCA同盟の裏あたり)に「日本盲人職能開発センター」という施設があることに気がつきました。気になって、先日、訪ねてみました。施設長の杉江勝憲さんが親切に応対してくださり、この施設の歴史や働きについて詳しく伺いました。また施設の見学もさせて頂きました。
この施設は社会福祉法人として設立され、既に30余年の歴史があります。関西のライトハウスと同じような役割を担っていますが、特に音声パソコンソフトを用いて視覚障碍者の職能開発に取り組み、新しい雇用促進を担っているということです。二階には、視覚障碍者のための作業所「東京ワークショップ」が併設されています。官庁や企業などの議事録の録音テープを聴きながら、視覚障碍者の作業員たちがずらっと並んで黙々とパソコンで文字入力していました。ずっと以前は、カナタイプ方式だったそうですが、現在は全面的に日本語ワードプロセッサーが導入されています。視覚障碍者はローマ字入力は出来ても、漢字交じり文に変換することがどうして出来るのか不思議に思いました。ところが、「フルキー六点漢字入力」という独自に開発されたソフトを用いて、完璧な議事録を作成することが可能になっているのです。もちろん晴眼者の協力者がチェックをしますが、しかし必ず視覚障碍者にフィードバックをして入力者本人が修正する仕組みになっています。きわめて高度な技術が必要ですが、現在約40名の視覚障碍者たちが毎日通勤して来ます。それで、白杖を持って歩く人をこの近くで度々見かけるのだと分りました。
その他にも、この技術を習得するための訓練コースや様々な職能訓練コースもあります。また就労支援もしています。このセンターを経て、一般企業や官庁などに正規職員として就労した障碍者が既に80人以上いるそうです。この施設は、視覚障碍者のための拠点として大きな役割を担っているのです。

以前仕えていた深川教会にも、東駒形教会にも全盲の教会員がいました。それで直子さんは、簡易点字タイプライターを用いて、週報や讃美歌の歌詞を毎週点訳していました。また私の友人が盲人伝道協議会という団体の主事を担っていて、視覚障碍者のための様々な活動をしています。現在、千代田教会には視覚障碍者がいませんが、点訳聖書も用意されています。視覚障碍者の存在を覚えたいと思います。(戒能信生)

2015年11月8日日曜日

2015年11月15日 午前10時30分
降誕前第6主日礼拝No.32
     司式 常盤 陽子 
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  イザヤ書43・1(93-1-5
讃 美 歌  11 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編34・1~23
讃 美 歌  481
聖書朗読  ルカ福音書5・12-16
祈  祷
讃 美 歌  356
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「癒すイエス」
         信濃町教会 笠原義久牧師
祈  祷
讃 美 歌  453
献  金            鈴木基三恵
報  告
頌  栄  24
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年11月7日土曜日

牧師の日記から㉛「父の説教批判の想い出」
111日の永眠者記念礼拝に、久しぶりに名誉牧師の松野俊一先生が出席され、その時の詩編23編の説教についての感想をメールで送ってくれました。心のこもった暖かいアドバイスが記されていました。ご指摘の一つは、イエス・キリストの福音への言及がなかったことです。私自身も、ご指摘を頂くまでそのことに気がつきませんでした。旧約を説教で取り上げる際、それは一つの課題です。お礼のメールを書きながら、ずっと以前、私の父親が隠退して、当時私が責任を負っていた深川教会の礼拝に出席するようになった時のことを想い出しました。
父は、戦後、愛媛県西条市で開拓伝道を始め、西条栄光教会を設立し、73歳で隠退しました。隠退後、子どもたち全員が東京で生活していることもあり、浦安市にマンションを用意して父と母のリタイア後の生活をしてもらうことになりました。問題は二人の教会生活です。浦安には、姉たちが所属する浦安教会があり、そこに転会するのが自然と思われました。しかし一つの懸念がありました。父は、若い頃から他者の説教に対して仮借のない批判をすることで知られていたからです(これについての逸話がいくつもあります)。それまでも、時折上京して、深川教会の礼拝に出席すると、礼拝が終わるか終らないうちに、説教批判が始まるのです。それは実に遠慮会釈のない批判でした。曰く、贖罪信仰が不十分だ、福音の本質が語られていないなどと、厳しい非難が続くのです。もちろんこちらも黙っておらず、反論したり、反批判したりして来たのですが、父の隠退後、浦安教会の小林晃牧師(私の神学校時代の同級生であり親友です)に、これを毎週やられたのでは、あの温厚な小林牧師がさぞ困惑するだろうと心配でした。そこで、やむなく少し離れた私のいる深川教会で両親に教会生活をしてもらうことにしたのです。父親の説教批判は、息子が引き受けるべきだと考えたからです。

引越しが終わり、両親は毎週礼拝に出席するようになりました。ところが、一向に例の説教批判が始まらないのです。それどころか、今日の説教は良かったとか、改めて聖書の御言葉に感銘を受けたなどという反応が返ってくるだけです。拍子抜けがする想いでした。そのうちに事情が分かってきました。父は、現役の牧師時代には、言わば同労者の説教として私の説教を聞き、率直に批判をしていたわけです。ところが隠退すると、父はすっかり信徒に戻ってしまったのです。毎週礼拝に出席し、若い牧師の拙い説教に素直に耳を傾け、そこから慰めを得るようになったのです。こんなことなら、浦安教会に転会してもらうんだったと後で思いましたが……。松野先生のお便りに心から感謝しながら、亡き父のことを懐かしく想い出しました。(戒能信生)

2015年11月1日日曜日

2015年11月8日 午前10時30分
降誕前第7主日礼拝No.31
     司式 野口 倢司 
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  イザヤ書43・1(93-1-5
讃 美 歌  11 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編33・1~22
讃 美 歌  464
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  453
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「主の祈り⑥日毎の糧を
与えたまえ」  戒能信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  355
献  金            鈴木志津恵
報  告
頌  栄  24
派  遣
祝  福

後  奏