2017年10月15日日曜日

2017年10月15日 午前10時30分
聖霊降臨節第20主日伝道礼拝(No27
     司式 常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由利子
招  詞  93-1-4
讃 美 歌  18 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・129~136(ペー) 
讃 美 歌  486
聖書朗読  ロマ書12・15
祈  祷
讃 美 歌  58
説  教  「泣くものと共に泣く、…その先へ」
日本キリスト教婦人矯風会事務局長
川谷 淑子さん
祈  祷
讃 美 歌  92
使徒信条  (9341A
献  金             橋本 茂
報  告
頌  栄  2
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 お話・橋本悠久子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、オリーブの会(於・ホール)「日本キリスト教婦人矯風会の働き」お話し・川谷淑子。軽食の用意があります。なるべく多くの方がご参加ください。

2017年10月14日土曜日


牧師の日記から(131

 108日(日)主日礼拝。マタイ福音書61921の講解説教「天に宝を積みなさい」。主イエスは、この世の富や豊かさについて明らかに批判的に語っている。典型的には「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだやさしい」(マタイ192324)という言葉。当時のパレスチナでラクダは日常目にすることが出来る最大の動物。そのラクダが針の穴を通るのは不可能であるだけでなく、むしろ滑稽なことだった。それほど金持ちが神の国に入るのは困難だという意味。「貧しき者は幸いなり」と語ったイエスは、金持ちよりも貧乏人に身を寄せている。この箇所の最後に「神と富とに兼ね仕えることはできない」と言われていることに注意。「兼ね仕えてはならない」という命令ではなく、私たちキリスト者は「神と富とに兼ね仕えることはできない」者とされているというのだ。礼拝後、婦人会例会でルカ福音書2114の「レプタ二つを献げたやもめ」の個所を、鈴木志津恵さんの発題で学ぶ。その後、野口倢司さんの車で、高岸さん、直子さんと一緒に番町教会にバザーの用品を受け取りに行く。その帰り、野口さんに誘われて紀尾井町ガーデン・テラスで一緒に昼食をご馳走になる。

 9日(月)この日は休日で一日のんびりする。夜は人と会う約束があったのだがキャンセルになり、こんなことなら橋本悠久子さんの演奏会に行けばよかった。

 10日(火)午後、思い立って、直子さんと上野の国立博物館に運慶展を観に行く。康慶・運慶・快慶の主な作品がこれだけ並ぶと壮観。しかしこれらの仏像は、個人の作品というよりも、運慶たちが指導する工房集団の存在を前提とする。中でも康慶作「法相六祖座像」や運慶作「重源上人座像」に心を惹かれた。その表情には写実性だけでなく、ルネサンス期のミケランジェロなどの作品にも通じる精神性がある。しかしルネサンスは単に芸術運動としてだけではなく、その後の宗教改革や、さらに啓蒙主義思想への途を拓いたとされる。ところが、運慶たちの彫像技術と精神は不思議にも途絶えてしまい、その後の仏教美術に引き継がれなかった。鎌倉中期以降、法然・親鸞・日蓮といった新しい仏教の勃興と関わるのだろうか。夜は早稲田奉仕園の山口里子さんの新約ゼミに出席。ルカ福音書1320-21「パン種の譬え」を学び、またまた「眼からウロコ」の想いをする。

 11日(水)午前中、聖書を学び祈る会で民数記14章を取り上げる。出エジプトの経験とカナン侵入の出来事の時間差を「荒野の40年」として位置付け、そこに世代交代の物語を想定している。旧約聖書独特の歴史理解と言えるだろう。

12日(木)午後からNCAの連続講座「日本キリスト教史を読む」の5回目で内村鑑三を取り上げる。さらに出席者が多くなり、会場に入りきれないほどで嬉しい悲鳴。この講座のオプショナル・ツアーを計画し、富士見町教会、本郷中央教会、弓町本郷教会をめぐる企画を提案する。夜は東京バプテスト神学校の授業。

13日(金)午前中、会館管理組合委員会。午後帰宅して、来週予定されている二つの読書会と研究会での発題の準備に追われる。(戒能信生)

2017年10月7日土曜日


牧師の日記から(130

 101日(日)主日礼拝、聖餐式。マタイ福音書61618の講解説教「宗教的な熱心さ?」。当時の信仰熱心な人々は、断食中に食べ物を勧められないように「顔を見苦しくする」断食顔をしたという。イエスはそれを批判し、むしろ「頭に油をつけ、顔を洗え」と、言わば祝祭の用意をするように命じる。それで思い出したのが、宗教改革者マルティン・ルターのエピソード。ある時ルターが不機嫌な顔をしていた。すると妻のカタリーナが喪服を着て現れた。ルターが驚いて「だれか亡くなったのか」と聞くと、「あなたが神は死んだかのような不機嫌な顔をしているから」と答えた。ルターは笑って謝ったという。戦争の噂が聞こえ、政治的な混迷が深まる今、宗教的な熱心さを追い求めるのではなく、むしろ自分自身の不信仰に耐えて、不機嫌な顔をやめようということではないか。

2日(月)3か月に一度の眼科の検診。四ツ谷駅前の白戸眼科(緑内障の専門病院)は、患者さんで満杯。中にはかなり深刻な病状の人もいるようだ。私の緑内障の進行は一応抑えられており、まだ手術はギリギリ必要ないとのことで、点眼を続けて様子を見ようということになった。夜は日本聖書神学校の授業。

3日(火)一日中、書斎でパソコンの前に座っているが、なかなか原稿の仕事が進まない。夜は丹絵理加さんの受洗準備会でマルコ福音書を一緒に読む。

4日(水)午前中は聖書を学び祈る会。民数記1213章を取り上げて学ぶ。いよいよカナンの地に斥候を派遣して様子を探る箇所。乳と蜜の流れる約束の地には、高い城壁があり、巨人族が住んでいて、とてもかないそうにないという悲観的な報告。その証拠に巨大な葡萄を担いできて見せたという。そう言えば、最初に「巨峰」を食べたとき、「葡萄のお化け」と説明されたことを思い出す。野生の野葡萄しか知らない人々にとって、品種改良をして人工栽培された葡萄はそれこそお化けのような大きさに見えたのかもしれない。11月の末に柏木義円公開講演会が予定されているので、その準備。この間の会計報告を作成し、集会案内と一緒に会員に発送する作業。この研究会の事務局を担当しているのだ。

5日(木)朝からキリスト教会館に行って、NCAの仕事。改装工事が始まった6階の鍵をまとめて東京YMCAの山添主事に渡す。後は、第8回神学生交流プログラムの報告書が出来てきたので、参加神学生や賛助者たち合わせて150通ほどを発送する作業。NHKから先日の「宗教の時間」の録音が送られてくる。

6日(金)午後、馬喰横山の画廊で開かれている友人のカメラマン小山貴和夫さんの写真展に出かける。若い頃から撮りためた報道写真の数々を、同世代の自分の歩みを思い出しながら感慨深く観た。その後、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅近くの東京バプテスト神学校へ。10月から後期の授業が始まり、その準備の教師会に出席するため。その後、雨の中を王子北教会での北支区連合祈祷会に出席。

7日(土)午後から、教師を免職された北村滋郎牧師支援の集会に参加。夕方帰宅して、明日の週報の作成と印刷。そして説教の準備。(戒能信生)

2017年10月1日日曜日


017年10月8日 午前10時30分

聖霊降臨節第19主日礼拝(No26

     司式 鈴木志津恵

    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-4

讃 美 歌  18 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編119・121~128(アイン) 

讃 美 歌  540

聖書朗読  コヘレト3・1-17 

マタイ福音書6・19-24

祈  祷

讃 美 歌  437

説  教  「宝を天に積め」

戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  569

使徒信条  (9341A

献  金             萩原好子

報  告

頌  栄  2

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話・野口洋子、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究(ルカ福音書2114)担当・鈴木志津恵

・番町教会からのバザー用品を受け取り(担当・野口倢司)

2017年9月30日土曜日

牧師の日記から(129
 924日(日)主日礼拝。出エジプト記123742節の講解説教「寝ずの番をする神」。イスラエルの民のエジプト滞在は430年だったと淡々と記す祭司資料の歴史観について取り上げる。なにせ430年間もの間、神はずっと忍耐して「寝ずの番」をしていたというのだ。それも直接手を出さないで!数字が頻出して戸惑うことも多い祭司資料だが、断片的な資料を時間の経過によって位置づけることによって、壮大な救済史の歴史観を打ち出していると言える。久しぶりに竹森静子さんが礼拝に出席された。夜は、私の誕生祝いということで、家族が全員集まって食事を共にする。息子たちに新しいパソコンの調整をしてもらう。こういう時(だけ?)、つくづく息子がいてよかったと思う。
 25日(月)午前中、月曜会で東駒形教会へ。深井智朗『プロテスタンティズム』(中公新書)の前半を、ともしび伝道所の芳賀慶治牧師の紹介で一緒に読む。来月はこの本の後半部分を私が発題することになった。しかしこの新書の真骨頂はむしろ後半部分にあると言える。今年は宗教改革500年ということで、様々なイベントや記念出版が続くが、ルター・ルネサンス以降何が起こったかに注視しなければならない。宗教改革400年が盛大に祝われた僅か15年後には、ナチスが政権を取って第二次世界大戦が始まるのだ。午後帰宅し、準備をして夜は日本聖書神学校の後期の第1回授業。登録受講生は10人のはずなのに実際の出席者は11人いる。「11人いる!」と言うと、それに反応したのは一人だけだった。つまり萩尾望都の漫画『11人いる!』を知っていたのは、68歳の聴講生一人だけだったのだ。つくづく時代の移り変わりを感じさせられる。その後、受講生の一人が履修届を提出していなかったためと判明して、あっさり解決。
 26日(火)午前中、北支区教師部研修会で江古田教会へ。上林順一郎牧師の牧会50年の講演。さすがに含蓄のある楽しい内容だった。夜は、「戦争を許さないキリスト者の会」(通称「ゆるキリ!」)の集会に参加。ホーリネス教会の上中栄牧師のホーリネス弾圧についての講演を聞く。
 27日(水)聖書を学ぶ会で民数記11章を取り上げる。久しぶりに大坪正雄さんも出席してくれた。直子さんがイチジクのコンポートを作って披露した。今年のバザーに出品する予定だが、果たして売れるかしら。
 28日(木)一日雨。この日はキリスト教会館に顔を出す予定だったが、急務はないということでサボることとし、一日書斎で原稿を書いたり、本を読んだりして過ごす。鈴木範久先生の『日本キリスト教史』が刊行されたので、自分の勉強のこともありこれを精読しなければならない。一次資料を丹念に読み解き、そこから時代の本質的な問題を指摘するその姿勢にいつもながら教えられる。

 29日(金)この日も一日中在宅。10月の神学読書会でモルトマンの『希望の倫理』第4章について紹介と発題をしなければならないので、読み始める。長老会のアジェンダを修正して送る。今週は久しぶりにのんびりした。(戒能信生)

2017年9月24日日曜日


2017年10月1日 午前10時30分

聖霊降臨節第18主日礼拝(No25

     司式 荒井久美子

    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-4

讃 美 歌  18 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編119・113~120(サメク) 

讃 美 歌  543

聖書朗読  アモス書5・21-27 

マタイ福音書6・16-18

祈  祷

讃 美 歌  470

説  教  「宗教的な熱心さ!?」

戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  444

使徒信条  (9341A

聖 餐 式    配餐 常盤陽子、石井房恵

賛 美 歌  81

献  金  対外献金「日本キリスト教婦人矯風会の働きを覚えて」野口洋子

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話・野口洋子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2017年9月23日土曜日


牧師の日記から(128

 917日(日)主日礼拝。マタイ福音書6516の講解説教。『主の祈り』については一昨年集中的に取り上げているので、この日はマタイ福音書のコンテクストに沿って読み直した。特にカトリック教会の黙想について紹介し、私たちの祈りの理解をもう少し押し広げる必要に触れた。祈りは、神に向かって自分を開くことから始まる。そこでは言葉は必ずしも必要ない。礼拝後、オリーブの会で柴田哲子さんに「World Visionの働き」について紹介してもらった。その後、雨の中を浦安教会に行き、4時半からの招聘委員会に出席、後任牧師の候補を推薦した。この人事が御心にかない、祝福のうちに進められることを心から願う。その後、市川三本松教会に立ち寄り、福音教会の明治期の教会規則を見せてもらう。帰宅して『クリスチャン新聞』創刊50年記念号の原稿を書き上げて送る。

 18日(月)午前中、台風一過の快晴で猛暑の中、青山霊園での渡部澄彦さんの納骨式。家族・親族たち14人の参加。この霊園には、外人墓地の他、森有礼、平岩愃保、津田仙、山路愛山など明治から大正期にかけて活躍したキリスト者の墓がいくつもある。ビル群の真ん中に佇む古い墓石群が印象的。その後、一同で美味しい鰻をご馳走になる。帰宅して、キリスト者平和ネットの連載コラムの原稿を書いて送稿。戦時下の宣教師スパイ事件についての新聞報道を紹介する。

19日(火)午前中、神学読書会で、モルトマンの『希望の倫理』の第3章を取り上げる。この日の発題と紹介は百人町教会の賈晶淳牧師。出席者は、牧師が5名、信徒が3名の合計8名だった。午後、直子さんと庭のイチジクの実の収穫作業。今年は日照が少なかったせいか、成りが悪く小粒のものが多い。バザーのためのジャム作りに足りるかどうか。夜は丹絵理加さんの受洗準備のつもりだったが、連絡不十分で来られなかった。お詫びの葉書を出す。

20日(水)午前中、聖書を学ぶ会で民数記6章の「ナジル人の誓願」を取り上げる。きわめて古い宗教習慣に由来し、旧約のあちこちに痕跡が残っているし、新約のパウロの時代にも形を変えて存続している。そもそもイエスが「ナジル人=ナザレ人」と呼ばれたという有力な説があるのだ。この日は私の70歳!の誕生日で、何人もの教会員の方々から誕生カードが届いて恐縮する。傑作だったのは、荒井さん夫妻から届いたメール。「絵に描いた餅」ならぬメール上でのバースデイ・ケーキの写真が添えられていた。

21日(木)朝からキリスト教会館に行き、NCAの仕事。3時から運営委員会。来年3月に予定されている神学生交流プログラムの準備が始まる。校長はいつものように関田寛雄先生、講師は友人の神田健次さんで、会場はイエズス会鎌倉黙想の家。今から楽しみではある。第8回の報告書の初校の修正作業も。

22日(金)午前中は、会館管理組合の委員会。様々な案件を処理する。一度帰宅し、準備をして夜は北支区宣教研究委員会でエパタ教会へ。1970年代の北支区報『北斗星』のバックナンバーを読んで発題。(戒能信生)