2024年4月21日日曜日

 

2024年4月28日 午前10時30分

復活節第5主日礼拝(No54

             司式 橋本  茂

前  奏  黙想      奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・81-88(カフ)

讃 美 歌  407

聖書朗読  ヨエル書3・1-5

祈  祷

讃 美 歌  388

説  教  「老人は夢を見、若者は幻を見る」

戒能信生牧師

讃 美 歌  346

使徒信条  (9341A

献  金               戒能直子                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井眞

礼拝後、定期教会総会(ホールにて、軽食の用意があります)

・総会後、週報等発送作業

・らふぁえる練習(2:00~)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月20日土曜日

 

 牧師の日記から(465

414日(日)主日礼拝はルカ福音書2439-53の講解説教「焼き魚と復活の主」。各福音書の復活証言に濃厚に残っているガリラヤでの復活伝承が、ルカ福音書だけには省かれている。にもかかわらず、エルサレムで弟子たちに現れた復活の主が「焼き魚」を一切れ食べたという伝承が採用されている。ガリラヤ湖で獲れる魚を焼いて食べる習慣は、ガリラヤの日常生活を反映している。「福音はエルサレムから地の果てまで」という神学的枠組みを主張して、ガリラヤ復活伝承を排除したルカ福音書にして、「焼き魚を食べる復活の主」という伝承を採用せざるを得なかったのだろう。多様な復活証言から教会が出発したことを示唆している。隠退教師の上林順一郎先生が礼拝に参加されていた。礼拝後、オリーブの会で、インドネシアから一時帰国した西村正寛さんの「椰子の木に囲まれて」の報告を聞く。イスラム国であるインドネシアの日常生活が紹介された。午後、教会会計の決算を検算する作業を直子さんに、エクセルの表作成を羊子に頼む。会計の野口倢司さんにメールで送り確認。

15日(月)昼から学生時代の友人たちが集まって、一種の同窓会。この日は、いつものメンバー(桜井秀教、久保田文貞、板垣弘毅、岡安博)に加えて静岡から戸井雄二さん、横浜から塩野靖男さんも参加された。夕方の6時過ぎまで延々6時間以上も話し合って、飽きることがない不思議な時間。『時の徴』の校正が届いたので、修正してメールで送稿。

16日(火)午前中、神学読書会で並木浩一先生の『ヨブ記を読もう』を取り上げる。初回ということで、並木先生が長年取り組んで来たヨブ記研究の簡単な紹介と、並木ヨブ記論の特徴について私が発題する。出席者は5名。午後は、キリスト教会館に行き、柴崎聰さんの読書会「キリスト教と文学」に参加。この日は、ミヒャエル・エンデの『モモ』が取り上げられる。出席者は8名で少なかったが充実した時間だった。総会資料の編集担当の荒井眞さんから、校正が届き、一部誤植などを修正して返送する。92歳になる荒井さんに、総会資料作成をお願いするのは恐縮の限りだが、大変助かっている。『柏木義円研究8号』の再校が届き、チェックして校了とする。但し表紙の目次のフォントをもう少し大きくしてもらう。年寄りには字が小さ過ぎるのだ。

17日(水)午前中、聖書を学び祈る会は休会。この日、先日93歳で亡くなった大塩光子さんの告別式が町屋斎場であるが、失礼して遠くから光子さんを偲んで祈るときをもつ。お世話になった人々が次々に亡くなっていくのは寂しい限り。午後、桜の散った後の堀端を散歩。

18日(木)荒井眞さんから総会資料の最終稿が届き、印刷部数等を打ち合わせ。夜、会計監査をお願いしている向山功さん宅を訪ねて、最後の確認をしてもらう。月曜会での大貫隆さんの贖罪論についての紹介と発題の準備。精密な書物なので、要約するのに骨が折れる。(戒能信生)

2024年4月14日日曜日

 

2024年4月21日 午前10時30分

復活節第4主日礼拝(No53

             司式 高岸 泰子

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・73-80(ヨド)

讃 美 歌  298

聖書朗読  イザヤ書62・1-

      ルカ福音書23・1-12

祈  祷

讃 美 歌  297

説  教  「ピラトの法廷」

戒能信生牧師

讃 美 歌  300

使徒信条  (9341A

献  金              石井摩耶子                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井眞

礼拝後、「私の愛唱聖句」高岸泰子

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月13日土曜日

 

 牧師の日記から(464)「最近読んだ本の紹介」

高階秀爾『エラスムス 闘う人文主義者』(筑摩選書)国立西洋美術館や大原美術館の館長を歴任した高名な美術史家である著者がエラスムスの評伝を書いたというので一読した。なんと半世紀以前、大学紛争の余燼冷めやらぬ時期に、ある雑誌に連載したものが元になっているという。著者があの時代の雰囲気の中でエラスムスに仮託して考えていたことを披瀝しているのだ。宗教改革の嵐が吹き荒れた時代に生きた稀有な人文主義者エラスムスの生涯を、その肖像メダルに刻まれた「CONCEDO NULLI(我、何者にも譲らず)」という標語を軸に読み解いている。エラスムスは、当時のカトリック教会の堕落を痛烈に批判し、ルターたち宗教改革者を評価するが、しかしそのどちらにも距離を置く独自の立場を貫こうとした。結果としてその両者から非難され、優柔不断、日和見主義者、卑怯者というレッテルを貼られて、孤立の内に死んだとされる。しかし著者は、そのエラスムスに自らの位置を重ねる。すなわち当時の学生運動の熱気に、正義を求める熱狂主義を見て、それに対してフマニストとして一定の距離を置こうとする。キリスト教や神学の立場からではなく、美術史の視点から、あえてエラスムスに自らを重ねようとしている。

和田春樹『回想 市民運動の時代と歴史家』(作品社)和田春樹さんは、ロシア史の専門的な研究者で、東大社会科学研究所の所長も務めた人。だが私たちの間では、ヴェトナム戦争反対の市民運動を共に担い、さらに韓国民主化闘争支援の運動を牽引した運動の仲間だった。この『回想』で取り上げられている時期、私は和田さんの活動範囲のすぐ近くにいて、会議でもしばしば一緒になったし、共にデモで歩いたし、何度も講演を聞いている。だから19671980年のこの時期の和田さんの活動の多くを、同時代人としての共感をもって読むことが出来た。そして難しい政治判断が求められた時の和田さんの誠実さを肌身で感じてきた。10年ほど前、池明観先生の感謝とお別れの会を主催したとき、シンポジストの一人に和田さんをお願いし、その時初めて個人的に言葉を交わした。私の質問「当時の市民運動の中で、さぞ忙しかったでしょうに、ロシア史の勉強を続けていましたか?」和田さんの答え「勉強していましたよ。」この本を読みながら、さもありなんと思わされた。

 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)吉本隆明の長女である漫画家のハルノ宵子が、晶文社刊の『吉本隆明全集』の月報に連載したものに、妹の作家吉本ばななとの対談を加えて一冊にしたもの。吉本主義者や吉本ファンの視点ではなく、家族の位置から最晩年の吉本の日常生活が率直に明かされている。吉本隆明という存在は、私たちの世代には一種神話化されているところがあるが、それを小気味がいいほど徹底的に解体してくれる。その上で、書いたものとその生活が重なっているという一点でこそ、父親を認め評価しているところがすばらしい。(戒能信生)

 

2024年4月14日 午前10時30分

復活節第3主日礼拝(No52

             司式 釜坂由理子

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・65-72(テト)

讃 美 歌  336

聖書朗読  イザヤ書61・1-

      ルカ福音書24・36-53

祈  祷

讃 美 歌  330

説  教  「焼き魚と復活の主」

戒能信生牧師

讃 美 歌  329

使徒信条  (9341A

献  金               石井寛治                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・荒井久美子

礼拝後、オリーブの会「椰子の木に囲まれて」発題・西村正寛(軽食の用意あり)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月7日日曜日

 

 牧師の日記から(463)「最近読んだ本の紹介」

茨木のり子『言の葉①②③』(ちくま文庫)この文庫本三冊に、茨木のり子のほとんど全詩集が収録され、さらに彼女のエッセーの主なものも収められ、この詩人の作品全体を見渡すことができる。この二ヶ月ほどの間に、この三冊を初めから終わりまで二度繰り返して読んだ。私は詩集などをきちんと読んでこなかったので、これは例外的なことになる。

先ずその詩だが、8冊の詩集『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『人名詩集』『自分の感受性くらい』『寸志』『食卓に珈琲の匂い流れ』『倚りかからず』からセレクトされたもの、詩集に未収録の詩、加えて韓国現代詩から著者が選び訳した数編が含まれている。現代詩は、人によって好き嫌いがあるだろうが、私自身が繰り返し読んで、心に残った詩の断片を、いくつか紹介してみよう。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を/人のせいにするな/みずから水やりを怠っておいて・・・初心の消えかかるのを/暮しのせいにするな/そもそもが ひよわな志にすぎなかった/駄目なことの一切を/時代のせいにするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」『自分の感受性くらい』

「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては止まり また噴きあげる/三歳の童子だって笑い出すだろう/文学研究せねば あばばばばと言えないとしたら/四つの島/笑ぎに笑ぎてどよもすか/三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア・・・」『四海波静』

 「人間には/行方不明の時間が必要です/なぜかはわからないけれど/そんなふうに囁くものがあるのです/三十分であれ 一時間であれ/ポワンと一人/なにものからも離れて/うたたねにしろ/瞑想にしろ/不埒なことをいたすにしろ・・・」『行方不明の時間』

 茨木のり子のエッセーは、不思議にも再読出来る。金子光晴や山之口貘、井伏鱒二の詩についての文章を、繰り返し楽しみながら読めるのだ。詩人だから言葉についての感覚が鋭いのは当然だが、次の一文にハッとさせられた。「聖書の今までの文語訳に比べて、新しい口語訳のいかにも間のびして味わいに乏しいかということはだれの目にも一目瞭然である。」ここまでは、しばしば聞くことだが、続いてこう述べる。「文語がどのようにして生まれ練りあげられてきたのか。母胎は漢文であろうし、奈良時代からとしても千年以上の歴史があるわけである。万葉仮名を案出し、吃り吃りぎくしゃくと文体を創りあげていった草創期から、文語の流麗さに至るまでご先祖達の払った苦労を思うと、なんともいえないいとおしさが湧いてくる。」つまり千年の歴史のある文語に比べて、口語はまだ百年足らずだという指摘に思わず納得させられた。(戒能信生)

 

2024年4月7日 午前10時30分

復活節第2主日礼拝(No51

             司式 石井 寛治

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・57-64(ヘト)

讃 美 歌  318

聖書朗読  出エジプト記15・1-11

      ルカ福音書24・13-35

祈  祷

讃 美 歌  327

説  教  「同行する主イエス」

戒能信生牧師

讃 美 歌  352

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「能登半島地震の被災教会のために」       荒井 眞                       

報  告  

頌  栄  331

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(9:30)お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・大森意索

礼拝後、週報等発送作業

・定例長老会(12:30-14:00

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。