2016年3月28日月曜日

2016年4月3日 午前10時30分
復活節第1主日合同礼拝(No.52
     司式 橋本  茂
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  ヨブ記19・25(93-1-42
讃 美 歌  5 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編54・1~9
讃 美 歌  318
聖書朗読  創世記23・1-20
祈  祷
讃 美 歌  323
使徒信条  (93-4-1A

説  教  「サラの死と埋葬」
        古代のある女性の生涯
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  111
献  金  対外献金「東支区深川教会会堂改築のために」    岡崎 大祐
報  告
頌  栄  331(二度繰り返して)
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】

教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵礼拝後、お茶の会、4月定例長老会

2016年3月26日土曜日

牧師の日記から(51「受難週の牧師の日々」
3月20日(日)受難週主日礼拝。新しい礼拝順序を試行する。と言っても、礼拝の始まる5分前から前々奏が始まり、使徒信条の位置が説教の後に移動するくらいの変更である。コロサイ書2・16-23の講解説教「キリストと共に死に」。この手紙は難解で、できる限り分かりやすく話そうと努めているが、聞く側はさぞかし忍耐が必要だろう。礼拝後、受難週全体祈祷会で共に祈る。その後、オリーブの会で「新しい礼拝順序と奏楽」について話し合う。議論が集中したのは「子どもの祝福」で、結局、年6回の合同礼拝の時だけ「子どもの祝福」を入れてみることになった。夕方、直子さんと一緒にサントリーホールへ。橋本悠久子さん出演のマタイ受難曲を聴く。最前列の席で、独唱の肉声や弦の響きを生で聴き、CDで聴くのとは違った発見があった。
21日(月)朝一番で太田春夫先生が訪ねてくれる。青山学院神学部出身の大庭昭博牧師没後10年の記念会のために上京された由。10時半から信濃町教会での北支区定期総会に高岸泰子さんと一緒に出席。問題は支区常任委員選挙で、私が選ばれてしまったこと。この支区に来て1年もたたないし、この年齢なので、選ばれるはずがないとタカを括っていたのだが……。委員会が開かれる月曜の夜は、既に日本聖書神学校の授業を入れてあり、困惑する。
22日(火)11時から故・四竃恭子さん追悼の記念礼拝で短く奨励。ロンドン日本人教会の関係者でつくる東京エクレシア会の主催。20人余の女性たちが集まって、恭子さんを偲ぶ。『キリスト者平和ネット』に連載しているコラムの原稿をようやく書き上げて、メールで入稿する。
23日(水)午前中、聖書を学ぶ会でマルコ福音書15・33-47を取り上げて学び、共に祈りを合わせる。午後、郵便局に行き、3月の対外献金・台湾震災の被災支援献金、『時の徴』の印刷費の送金など。
24日(木)一日中書斎に籠って、第6回神学生交流プログラム報告書の校正。これは昨年3月に行われたものだが、発行が遅れて、今になって慌てて編集作業をしている。並行して、8月に京都で開かれる同志社神学協議会での講演の準備に取りかかる。講演題などを3月末までに送らねばならない。
25日(金)午前中、門前仲町の歯医者さんで新しく作った義歯の調整。午後、新木裕さんが訪ねて来てくれて、少しゆっくりお話を伺う。以前この欄で紹介した松岡俊彦さんと、戦後すぐの時期、淵野辺で一緒にクリスマスを祝ったとのことで驚く。後は、ひたすらイースター礼拝の説教と墓前礼拝の奨励の準備。PCの調子がおかしくて、嘉信に遠隔操作で復旧してもらう。

26日(土)午後から教会学校の先生たちが集まってイースター・エッグ作りと、明日の愛餐会の準備。今年はCSからの提案で、子どもたちと一緒に食事をすることになっている。それにしてもなんだか段々忙しくなって来た。

2016年3月20日日曜日

2016年3月27日 午前10時30分
復活節第1主日合同礼拝(No.51
     司式 野口 倢司
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  ヨブ記19・25(93-1-42
讃 美 歌  5 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編53・1~7
讃 美 歌  298
聖書朗読  コロサイ書3・1-4
祈  祷
讃 美 歌  328
使徒信条  (93-4-1A
子どもの祝福

説  教  「キリストと共に生きる」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  333
聖餐式  配餐 橋本 茂、荒井久美子
讃 美 歌  81
献  金             荒井 眞
報  告
頌  栄  331
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校 合同礼拝に合流

礼拝後、イースター愛餐会(集会室)教会学校の子どもたちと一緒に食事をします。司会・野口洋子、3:00墓前礼拝、故・奥井清、故・鈴木三郎納骨式
牧師の日記から(50「最近読んだ本から」
スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ『チェルノブイリの祈り』『ボタン穴から見た戦争』『戦争は女の顔をしていない』(いずれも岩波現代文庫)著者は昨年のノーベル文学賞の受賞者。村上春樹さんの受賞が期待されていましたが、彼女が受賞し、おかげでこの作家を知りました。一種のドキュメンタリーの手法で、聞き書きが中心です。対ドイツ戦争や共産主義政権下の社会、そして原子力発電所の爆発事故などが、徹底して下級兵士や女性たち、さらに子どもの視線から独特の文体で描き出されています。『世界』の3月号に、ノーベル賞受賞記念講演が掲載されていますが、素晴らしい内容です。
ヘニング・マンケル『霜の降りる前に』(創元社推理文庫)スウェーデンの警察小説です。実は、1980年代に翻訳されたマイ・シューヴァル、ペール・ヴァール夫妻の共作『刑事マルティン・ベック・シリーズ』で、私は初めて北欧の現代小説を読みました。このシリーズは、1960年代のスウェーデン社会の変遷を、犯罪とそれを捜査する刑事たちの眼から描いた連作で、以降、スウェーデンの推理小説のレベルは格段の成熟を見せることになります。マンケルの刑事ヴァランダー・シリーズも、地方都市の警察で次々に起こる難事件を通して、この国の世相を鋭くえぐり出します。著者は昨年死去したそうで、愛読して来た作家が次々に亡くなって行くのは寂しい限りです。
倉本聡『昭和からの遺言』(双葉社)皆さんご存知のテレビドラマ『北の国から』の原作者・倉本さんは、私の恩師でもある新約聖書学者山谷省吾先生の甥にあたり、小学生時代ご家族の属した信濃町教会の日曜学校の生徒でした。クリスマスに、一年間日曜学校によく出席した生徒に精勤賞が渡されるのはキリスト教的ではないと批判して、以降教会から遠ざかったという逸話が残っています。その倉本さんも80歳になり、自分の生きて来た時代を振り返りながら、独特の文体で綴ったエッセーで、一気に読めます。
加藤陽子『シリーズ日本近現代⑤満州事変から日中戦争へ』(岩波新書)『それでも、日本人は戦争を選んだ』の著者である加藤さんは、政治的イデオロギーを極力排して、戦争へと至った経過を分かりやすく読み解いています。満州事変から日支事変は、すべて宣戦布告なき戦争で、だから「事変」と呼ばれていた経緯と事情を、この本で学びました。

井坂幸太郎『陽気なギャングは三つ数えろ』(祥伝社)1971年生まれのこの作家の小説は、どういうわけか私の気分にあってよく読みます。自分より若い世代の作家の小説がなかなか読めなくなった中で、不思議な例外の一人です。独特のユーモアのせいなのか、それともそのよどみのない文体のせいなのか分かりませんが、文庫や新書になると買い求めてしまいます。小説を読む楽しみを感じさせてくれます。(戒能信生)

2016年3月13日日曜日

2016年3月20日 午前10時30分
受難節第6主日礼拝(No.50
     司式 荒井久美子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  ヨエル書2・12-13(93-1-30
讃 美 歌  3 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編52・1~11
子どもの祝福 
讃 美 歌  297
聖書朗読  ゼカリヤ書9・9-10
コロサイ書2・16-23
祈  祷
讃 美 歌  315

説  教  「キリスト共に死に」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  303
使徒信条  (93-4-1A)
献  金            橋本悠久子
報  告
頌  栄  50
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校 お話し・野口洋子、奏楽・内山央絵、

礼拝後、受難週全体祈祷会 司会・荒井久美子、オリーブの会「礼拝順序と奏楽の一部改訂について」司会・荒井久美子、説明・橋本茂(軽食の用意あり)

2016年3月12日土曜日

牧師の日記から(49「第7回神学生交流プログラムに参加して」
3月7-9日、吉祥寺の聖公会ナザレ修女会を会場に、第7回神学生交流プログラムが実施されました。今回は、聖公会神学院、西南学院大学神学部、同志社大学神学部、関西学院大学神学部、日本聖書神学校、農村伝道神学校、東京神学大学の7つの神学校から合計14名の神学生が参加しました。校長はいつものように関田寛雄先生、今回の講師は旧約聖書学の泰斗並木浩一先生(ICU名誉教授)をお招きしました。
並木先生の二回の講演は、圧巻とも言うべき内容で、第一回目は、先生御自身の自伝的な歩みと旧約聖書学の学びについて周到なレジュメを用いての講演でした。これまで私が断片的に読んできた並木旧約聖書学を、先生御自身の思想的時系列で貫く刺激的かつ創造性豊かな内容でした。文献学的な隘路に陥るのでもなく、また歴史主義的な立場性に偏るのでもなく、学園紛争時代の教員としての痛苦な経験の中から思想する並木旧約学への探求が率直に披瀝されました。それは、聞く者の実存を問う迫力のこもった講演でした。二回目の講演は、現在の日本の政治的社会的状況を踏まえて、旧約聖書の世界からの個の尊厳を基礎づけるメッセージと、集団主義を乗り越える醒めた視線への展望が語られました。様々な神学校から、教派や教団の枠組みを乗り越えて集まった神学生たちは、並木先生の講演に鼓舞されて、密度の濃い出会いと交流が夜遅くまで繰り広げられました。特に今回は、並木先生の特別な配慮もあって、これまで参加して来なかった東京神学大学の学生も部分参加できたことは感謝でした。
二日目の午後は、フィールド・トリップとして、神田のニコライ堂を一同で訪ね、神学校の教師でもある北原史門司祭から正教会の歴史や信仰理解についての懇切な解説を伺いました。正教会から学ぶことは多く、自分たちの狭い教派の中に閉じこもっていては見えない視点を与えられました。
私はこのプログラムの責任者として参加しましたが、並木先生の講演に刺激され、また関田校長の開会礼拝と閉会礼拝の説教に励まされながら、楽しい、そして充実した三日間を過ごすことが出来ました。

現在の日本の教会は、私たちの属する日本基督教団だけでなく、各教派とも、教勢の停滞、信徒の高齢化といった共通の難題を抱えて、閉塞感にとらわれ、自己防衛的な内向きの議論に陥っているように見えます。そのようなこの国のキリスト教界の現状に風穴を開け、未来への展望を切り開くための一つの方法として、この神学生交流プログラムが構想されたのです。すぐにその効果が表れるわけではありませんが、やがてこのような試みが一つの可能性を切り開くのではないかと期待しています。いつの時代も、若者たちは可能性を秘めているからです。(戒能信生)

2016年3月6日日曜日

2016年3月13日 午前10時30分
受難節第5主日礼拝(No.49
     司式 常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  ヨエル書2・12-13(93-1-30
讃 美 歌  3 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編51・1~24
讃 美 歌  296
聖書朗読  コロサイ書2・6-15
祈  祷
讃 美 歌  306
使徒信条  (93-4-1A)

説  教  「キリストに根をおろして」
戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  523
献  金            津金 寿子
報  告
頌  栄  50
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
教会学校 お話し・常盤陽子(教会員説教)、奏楽・戒能直子
礼拝後、お茶の会

婦人会例会「新約聖書の女性たち⑨」(マルコ福音書1439)発題。茨木啓子

2016年3月4日金曜日

牧師の日記から(47「最近読んだ本から」
牧師になって初めて赴任した教会で、ある教会員のお宅を訪問した時のことです。狭い都営住宅の居間に置かれた小さな本箱に、ほんの僅かの書籍が並んでいました。何の気なしに眺めていると、こう言われました。「牧師先生は、私たちの代わりに本を読んで勉強してください。」以来、本を読むことを牧師の任務の一つと考えて来ました。何も神学書や専門書に限りません。生活に追われて本を読む余裕のない人たちに代わって、様々な本を読み、学んだことを教会員の皆さんにフィードバックすることも牧師の役割と受け止めて来たのです。ところで、この欄に紹介した書籍をアマゾンから取り寄せた方がおられるそうです。しかしその必要はありません。紹介した本は、印刷室の本棚に並べておきますので、貸し出しノートに必要事項を記入して、自由に持って行ってお読みください。以前の教会でもそうしていました。
G・パウゼヴァング『片手の郵便配達人』(みすず書房)作者はドイツの女性作家です。私も書評誌で初めてこの作家を知りました。1944年8月から45年5月まで、敗戦間際のドイツの片田舎を舞台に、ロシア戦線で負傷して片腕を失った17歳の郵便配達夫を主人公とする小説です。戦地からの手紙や戦死公報を届けるこの主人公の眼を通して、戦争末期のドイツ社会の様子が淡々と描かれます。その最後は衝撃的ですが、深い印象を残します。
伊藤亜沙『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)私たちの五感のうちで、視覚は特権的な情報源です。この視覚を取り除いたとき、脳や身体はどのように反応するかを描いています。著者はモダンアートを専攻する女性研究者で、視覚障碍者との共働の中で、見えない世界に果敢に切り込みます。例えば「視覚障碍者とつくる美術鑑賞ワークショップ」が紹介されています。同行した晴眼者が、障碍者に言葉で絵の説明をしなければなりません。そのやり取りの中で、思いもよらない発見があるというのです。つまり見えない人によって、見える者が全く新しい視点を与えられるというのです。一方で、視覚障碍者の異能への私たちの驚きと感嘆の中に差別視が混じっているという鋭い指摘にはハッとさせられました。
鶴見俊輔『まなざし』(藤原書店)昨年鶴見さんが亡くなってから何冊か刊行された追悼出版の一つです。鶴見さんの祖父・後藤新平、父・鶴見祐輔、姉・鶴見和子等についての私的な回想を中心に、これまで一般の書籍には掲載されなかったエッセイや文章が集められています。私は鶴見さんの愛読者で、多くを学んで来ましたが、その構えのないスタイルと野次馬精神、そしてしなやかでブレない姿勢に今もなお強い影響を受けています。

(この項続く 戒能信生)