2018年1月28日日曜日


2018年2月4日 午前10時30分

降誕節第6主日礼拝(No43

      司式 荒井久美子   

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-29

讃 美 歌  20 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編130・1~8 

讃 美 歌  129

聖書朗読  出エジプト記20・1-17 

祈  祷

讃 美 歌  225

説  教  「他の神があってはならない

        十戒①」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  226

使徒信条  (9341A

献  金  「王子教会子ども食堂を覚えて」           常盤 陽子        

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2018年1月27日土曜日


牧師の日記から(146

121日(日)主日礼拝。マタイ福音書72129の講解説教「岩の上に建てられた家」。昨年6月から断続的に取り組んできた「山上の説教」の最終回。礼拝後、オリーブの会で萩原奏さん(萩原好子さんのお嬢さん)のお話し「医療の視点から見たホームレス支援」。泌尿器科の専門医である奏さんが、山谷のホームレス支援に関わるようになった歩みを伺う。同志社大学時代の人力車同好会、法学部から医学部への転身、そしてホームレス支援へと、一見曲がりくねりながらもどこか一直線につながる道程をとても興味深く伺った。この日の礼拝に札幌の岸本和世牧師が出席され、オリーブの会にも参加された。その後、岸本先生を書斎に招いて四方山話をする。夜は、嘉信と清美さんの誕生日ということで家族が集まって一緒に食事。私が腕を振るって?海老と牡蠣のフライを作る。揚げ物は普段ほとんどしないので、若い人が集まるこういう機会でないと食べられないのだ。羊子がインフルエンザで寝込んでいるのが心配。明日は雪の予報。

22日(月)朝から西片町教会での北支区教師部研修会に出席。臨床牧会学の窪寺寺俊之先生の講演。心の病を負う若者が教会で様々なトラブルを起こし、牧師批判をしてきた実例報告をもとに参加者で話し合う。窪寺先生自身の牧会者としての歩みを聞きながら、自分自身の牧会の失敗や挫折を思い返され、とても有意義な研修会だった。午後から雪が降り始め、東京では珍しく23センチの積雪。夜は日本聖書神学校の授業の予定だったが、降雪による交通麻痺のため休講になる。それで研修会参加者たちと一緒に食事をし、夜遅くまで楽しく話し込む。深夜、降り積もった雪道を帰宅。疲れ果てて寝てしまう。

23日(火)朝目を覚ましたところに、直子さんが息せき切って帰って来た。2時間かけて前の道路や駐車場の雪掻きをしたとのこと。役立たずで、まことに申し訳ない。この日は在宅日で、一日書斎に籠もって、柏木義円研究会の会計処理やクリスチャン・アカデミーの次年度事業計画等の事務仕事をこなす。

24日(水)午前中、聖書を学ぶ会。申命記の最後の部分、モーセからヨシュアへの指導者交代、そしてモーセの死の箇所を取り上げる。「約束の地を遙かに望み見るが、そこに入っていくことはできない」というモーセの最期は、考えてみると私たち自身の最期を指し示しているのではないか。私たちはついに未完のままに生涯を終わらねばならないのだ。しかしそれは一面で解放でもあると思わされた。午後は、明日の授業の準備と、NCA運営委員会のアジェンダ作りなど。

25日(木)午前11時から、キリスト教会館の三者協議会。午後はNCAの事務仕事。3時から運営委員会で来年度の事業計画について話し合う。夜はそのまま東京バプテスト神学校の授業へ。この日は赤岩栄牧師の生涯を取り上げる。

26日(金)午前中、富坂キリスト教センターの岡田仁牧師が来訪。内面史研究会の来年度の計画と出版について相談する。午後は、NCAの次年度予算案作成や『時の徴』150号の発送の準備などの仕事を処理する。(戒能信生)

2018年1月22日月曜日


2018年1月28日 午前10時30分

降誕節第5主日礼拝(No42

      司式 荒井  眞   

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  6 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編129・1~8 

讃 美 歌  149

聖書朗読  出エジプト記19・1-9 

祈  祷

讃 美 歌  440

説  教  「鷲の翼に乗せて」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  398

使徒信条  (9341A

献  金             津金 寿子        

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

CS教師会

・週報等発送作業

2018年1月20日土曜日


牧師の日記から(145

114日(日)主日礼拝。マタイ福音書71320の講解説教「狭い門から入れ」。この国では難関校受験を指す「狭き門」という言葉が、本来はどのような意味で主イエスによって語られたのだろうか。その直前の言葉「人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい」という教えが、それを指し示している。この言葉を律法的としてではなく、喜びの福音として聞くとき、初めて「狭い門から入る」ことが私たちの使命となるのだろう。礼拝後、婦人会の例会で、創造物語のエバについて橋本悠久子さんの発題をもとに話し合う。

15日(月)夜は日本聖書神学校の授業。鈴木正久についての受講生たちのリーディング・レポート。ようやく現代の日本語で読める内容なので、学生たちの発題も熱を帯びてくる。

16日(火)午前中は神学読書会。深井智朗さんの『プロテスタンティズム』(中公新書)の前半を武蔵野教会の佐々木潤牧師の丁寧な発題で読む。出席者は牧師6名、信徒4名の計10名。『平和ネット』の連載コラムの原稿書き。戦時下の朝鮮人教会への弾圧に紹介。京都や神戸、名古屋等で、在日朝鮮人の牧師や信徒たちが多数検挙されている。いずれも朝鮮民族の自立を目指すべきと主張したからだという。ただ人名などの矛盾点があり、「特高資料」そのものに当たらねばならない。マイノリティ・センターにもなく、最終的には国会図書館に行って確認しなければならないようだ。しかし改めて治安維持法の問題を考えさせられる。共謀罪(テロ特措法)が同じような役割を果たすのではないだろうか。

17日(水)午前中は聖書を学ぶ会で申命記2930章を取り上げる。約束の地に入る直前のモアブ契約という形をとりながら、はるか後の時代のイスラエルの滅亡と捕囚についての歴史解釈を展開している。「40年の間、あなたたちの衣服は擦り切れず、足に履いたサンダルも擦り減らなかった」(294)という言葉に、穴の開いた靴下しかなかった時代のことを思い出した。夜は、日本聖書神学校の補講。井上良雄先生の生涯と信仰を取り上げる。このあたりになると、自分自身の体験と重なっていて客観的な説明が困難であることを痛感する。

18日(木)教会の駐車場裏の建物の取り壊し工事で地響きがする。午後、自転車でキリスト教会館に行き、NCAの事務仕事。夜は日本聖書神学校の補講。その後で、学生たちと一緒に近くのお寿司屋さんで打ち上げ。今年の受講生たちの中には様々な経験を積んだ社会人学生たちが含まれていて面白かった。

19日(金)教会の前に出来た建売住宅の最後の入居者が引っ越して来た。柏木義円研究会の会計報告を整理して、紀要に掲載するために送る。午後は、北支区報『北斗星』の1970年代のバックナンバーを読み返す。1970年代後半の諸教会の実情と課題が見えてくる。夜は支区宣教研究委員会でエパタ教会へ。その後近くの焼き鳥屋さんで、3月に転任する石田歩牧師(弓町本郷教会)の送別会。
  (戒能信生)

2018年1月14日日曜日


2018年1月21日 午前10時30分

降誕節第4主日礼拝(No41

      司式 橋本  茂   

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  6 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編128・1~6 

讃 美 歌  454(1-4節)

聖書朗読  エレミヤ書1・4-10

      マタイ福音書7・21-29

祈  祷

讃 美 歌  454(5-7節)

説  教  「岩の上に建てられた家」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  534

使徒信条  (9341A

献  金             竹森 静子        

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・橋本悠久子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、オリーブの会「医療の視点から見るホームレス支援」萩原 奏さん(軽食付き)なるべく多くの方がご参加ください。

2018年1月13日土曜日


牧師の日記から(144

17日(日)主日礼拝。申命記11812から「年の初めから年の終わりまで」と題して説教。荒れ野の40年にわたる放浪の旅を経て、モーセに導かれたイスラエルは約束の地を目前にしている。これから入っていく約束の地は、「エジプトの地とは異なり、自分の足で水をやる必要はない。山も谷もあり、天から降る雨で潤されている」と約束されている。すなわちエジプトのようにナイル川の水を灌漑し、足踏み水車で水を汲む必要はないというのだ。しかしそれは、約束の地が平坦な緑野ではなく、ただ雨水に頼る他にない貧しい土地だという意味でもある。「主が年の初めから年の終わりまで、常に目を注いでおられる」ことに信頼する以外にないということだ。それはそのまま、現在の私たちの行くべき道を指し示しているのではないだろうか。礼拝後、定例長老会。

8日(月)冷たい雨の休日。世間では成人の日の晴れ着が貸衣装業者の倒産で着られなくなったと騒いでいる。そんなものは着なくてもいいじゃないかとテレビの前で呟くと、楽しみにしている人もいるのよと直子さんに叱られる。直子さんの成人の日にはどうしたのかと聞くと、祖父母から贈られた振袖を着て写真だけ撮ったとのこと。私の育った家庭では晴れ着など着る習慣はなかった。単に経済的に余裕がなかったからだが、奇妙な習慣ではあると思った。

9日(火)年末からお正月にかけて、のんびりする日が多かった。特にどこにも出かけずひたすら本を読む毎日だったが、そろそろ仕事に手を付けなければならない。原稿や講演の仕事が山積みになっている。夜は北支区常任委員会。3月の支区総会に提案する牧師のサバティカル制度の大筋がまとまった。牧師の休暇や研修のための支援制度で、先ずは資金造成から始めることになりそうだ。

10日(水)午前中は聖書を学ぶ会で、申命記2627章を取り上げる。最古の信仰告白とされる266節は、「わたしの先祖は、滅びゆく一アラム人であり、わずかな人を伴ってエジプトに下り、そこに寄留しました」から始まる。つまり自らの出自についての徹底した謙遜から始まり、それが主なる神によって「宝の民」とされたことへの感謝へと続く。午後、四ツ谷の喫茶店で二人の編集者と打ち合わせ。2月にNCAのプログラム「編集者に聞く」の三回目が予定されており、今回はいのちのことば社の根田祥一さんに、CJCの郡山千里さんが聞く形をとる。福音派の本音がどこまで聞けるのか、今から楽しみではある。

11日(木)午前中、書斎のストーブのための灯油を買いに行くと、18ℓで1,700円もする。今までで最も高いのではないか。これも円安誘導政策の結果なのだろうか。午後、NCAの事務所で打ち合わせ。夜は東京バプテスト神学校の授業。

12日(金)午前中、キリスト教会館の管理組合委員会。3月の予算総会の準備について話し合う。災害に備えて水や食料の備蓄の提案をすることになるが、トイレの凝固剤も必要とのこと。それが食料よりも高価なのだ。食料よりも排泄の問題が深刻だという事実を改めて突きつけられる。(戒能信生)

2018年1月7日日曜日


2018年1月14日 午前10時30分

降誕節第3主日礼拝(No40

      司式 石井 房恵   

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由里子

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  6 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編127・1~5 

讃 美 歌  274(1-4節)

聖書朗読  申命記6・4-15

      マタイ福音書7・13-20

祈  祷

讃 美 歌  274(5-8節)

説  教  「狭い門から入りなさい」

  戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  404

使徒信条  (9341A

献  金             高岸 泰子        

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究(創世記28-324)担当・橋本悠久子

2018年1月6日土曜日


牧師の日記から(143)「最近読んだ本の紹介」

フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』(創元社推理文庫)新任弁護士の主人公が初めて引き受けた国選弁護事件は、自分が少年時代に世話になった財閥の総帥が殺害された事件だった。イタリアからの移民労働者の犯行で、犯人は犯行の事実を認めたものの、動機については頑強に供述を拒否する。やがて主人公の執拗な調査によって、加害者・被害者の過去が明らかになる。第二次世界大戦末期、イタリアでパルチザンによるテロ活動への報復として数十人を処刑した責任者が被害者であり、殺されたパルチザンの息子が犯人だったのだ。残酷な殺人事件は、こうしてナチスの戦争責任を問う法廷劇へと一変する。しかし戦争犯罪への追及を続けてきた戦後のドイツで、その財閥の総帥の罪がこれまで問われなかったのは何故か。そこに1968年に成立した小さな法律の存在があった。命令を受けて執行した者は、幇助者として時効の対象になる、と。その結果、その財閥の総帥は刑事訴追を免れたのだった。つまりドイツの法律では、ヒトラーやヒムラーのように命令した者の責任は問えるが、それに従った者の責任は法律的に問えないというのだ。犯人は、法的に責任追及が出来ないと知って、自ら報復したのだった。しかし「死者は復讐を望まない、望むのは生者だけだ」という言葉を残して犯人は獄中で自殺し、法廷は突然終結を告げる。読む者は改めて戦争責任を問うことの意味を考えさせられる。著者のシーラッハ自身著名な法律家で、これまでも独特なテイストの法廷小説を書いて来たが、ナチスの戦争責任には触れて来なかった。実はシーラッハの祖父は、ナチスの青年指導者として知られる有名な政治家で、戦後その責任を問われ20年の禁固刑を受けている。そのような出自を受けた著者自身が初めてナチスの戦争責任を問うこの短編を書いたことの重さを考えさせられた。

松本猛『いわさきちひろ 子どもへの愛に生きて』(講談社)童画家いわさきちひろの絵は何度も見てきた。そしてその夫が日本共産党の代議士松本善明であることも知っていた。この夫婦の取り合わせを以前から不思議に思っていたので、長男が書いたこの伝記を読んだ。二人の愛情と真摯な生き方から感銘を受けた。

下斗米伸夫『神と革命 ロシア革命の知られざる真実』(筑摩選書)ロシア革命から100年が経過し、その歴史的な背景がようやく研究対象になってきたようだ。著者はロシア政治史の研究者だが、ロシア正教会から異端として迫害された古儀式派と呼ばれる存在が、革命とソビエト誕生の背景にあったという仮説を展開している。ロシア正教会はロシア皇帝と結びついていたが、その異端とされる古儀式派は反権力・反国家の意識を保持しつつ生き延び、19世紀初頭ロシア産業界に隠然たる勢力を持っていたという。そしてボルシェビキ革命の際、それを支援しサポートした事実が明らかにされる。事実レーニンの周辺には、カリーニン、モロトフ、マレンコフ、ブルガーニン、モロトフなど古儀式派の子息たちが数多く存在した。宗教と政治の関係を新しい視点から問うている。(戒能信生)