2015年9月27日日曜日

2015年10月4日 午前10時30分
聖霊降臨節第20主日礼拝No.26
     司式  常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  (93-1-10
讃 美 歌  10 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編27・1~14
讃 美 歌  211
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  460
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  「御国を来たらせたまえ」
              戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  579
献  金(対外献金「北支区ワンドロップ献金のために」)       野口洋子
報  告
頌  栄  88(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年9月26日土曜日

牧師の日記から㉕「最近読んだ本から」
瀬沼拓郎『アイヌ学入門』(講談社現代新書)アイヌ学の最近の知見を分かりやすく紹介してくれる。特に沈黙交易や小人伝説の由来については初めて教えられることがいくつもあった。アイヌ語の挨拶の言葉、「イランカラプテ」のもともとの意味は「あなたの心にそっと触れさせてください」という意味だと知り、その繊細な表現に感銘を受けた。
小熊英二『アウトテイクス』(慶應義塾大学出版会)アジアに関わる近代日本の思想家たちの言説を取り上げて論じた評論集。岡倉天心、新渡戸稲造、矢内原忠雄、柳田国男、丸山眞男、清水幾太郎といった人々のアジア観を批判的に分析していて興味深い。この著者の書いたものは大部な本が多く、読み切るのに往生するが、それだけの魅力と説得力がある。
村上春樹『職業としての小説家』(スイッチ・パブリッシング)処女作の頃からベストセラー作家としての現代に至るまでの小説家としての歩みが自ら披瀝されている話題の本。村上春樹の小説はほとんどすべて目を通して来た。しかし一部の評論家(加藤典洋等)たちのような深読みの解釈はしないで、読む愉しさに徹してきたように思う。それがこの作家の読み方にふさわしい。
高野秀行・清水克行『世界の辺境とハードボイルド室町時代』(集英社インターナショナル)以前『喧嘩両成敗の誕生』でこの国の中世史研究に新しい視野を切り開いた清水克行と、アジアやアフリカの辺境を探報して来たノンフィクション作家高野秀行との異色の対談集。辺境の部族社会に今も生きている慣習を補助線として室町時代の人々の暮らしに焦点を当てると、従来の固定化念が壊されていくのが興味深かった。
安部龍太郎『等伯 上下』((文春文庫)戦国時代末期に北陸や京都を中心に活躍した絵師長谷川等伯の生涯を小説化した直木賞作品。等伯の絵が好きで、全画集も持っているが、それぞれ作品の歴史的背景が小説として提示されていて、画集を取り出して眺めながら楽しく読んだ。特に等伯の肖像画の解釈が面白かった。
水木しげる・荒俣宏『戦争と読書』(角川新書)マンガ『ゲゲゲの鬼太郎』の作者として知られる水木しげるの、出征前の日記を手掛かりに、戦時期を生きた特異な若者の心の世界を追っている。皇民化教育とか皇国史観に全く影響されなかった水木しげるの精神の在りように驚かされた。

加藤聖文『大日本帝国の崩壊 東アジアの1945年』(中公新書)1945815日前後の日本の植民地支配の実態を資料から紹介している。台湾で、朝鮮で、満州で、特に815日以降何が起こったかを丁寧に追いながら、大日本帝国崩壊の実態を暴いている。(戒能信生)

2015年9月20日日曜日

2015年9月27日 午前10時30分
聖霊降臨節第19主日礼拝No.25
     司式  野口 倢司
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  (93-1-50
讃 美 歌  13 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編26・1~12
讃 美 歌  149
聖書朗読  創世記18・1-15
祈  祷
讃 美 歌  437
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『諦めの笑いを打ち破って』
              戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  442
献  金            永松 信行
報  告
頌  栄  85(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年9月19日土曜日

牧師の日記から㉔「東北教区被災者支援センターエマオのこと」
先週の土曜日(912日)に日本クリスチャン・アカデミーの主催で、東北教区被災者支援センターエマオのスタッフ佐藤真史さんをお招きして、「3・11を生きるキリスト教」というテーマで講演してもらいました。参加者は多くはなかったのですが、とてもいい集会だったのでその一部を紹介します。エマオは、東日本大震災以降、特に仙台の海岸一帯の津波被災者たちの救援活動を中心に活動を続けてきました。佐藤牧師は、農村伝道神学校での私の教え子の一人で、仙台のいずみ愛泉教会の担任教師と兼任で、エマオの教団派遣スタッフを担っています。
震災から4年半が経過し、仙台地区では復興住宅の建設が進み、来年春には仮設住宅が廃止になるので、被災者たちの復興住宅への移転が進められています。仮設住宅はプレハブ作りですので、冬は寒く夏は暑く、壁も薄くて住環境も良くありませんでした。それに比べればコンクリート作りの復興住宅の方が住居として優れていることは明らかです。しかし仮設住宅は無料だったのに、復興住宅はそれぞれの収入に応じた傾斜家賃ですが有料になります。ですから、そこでは当然のことながら、格差が生じることになります。これからの生活設計が立てられる人たちはいいのですが、お年寄りや障碍者等、今後の生活の目途が立てられない人たちは、うまく適応できないという事態になっているそうです。つまり「復興」が、これまで等しく被災者であった人たちに新しい格差をもたらすことになっているというのです。これはやむを得ないという側面もありますが、これまで同じ被災者として過酷な生活を共に支え合って来た被災者たちを分断することでもあります。エマオのスタッフたちは、仮設住宅に取り残されているお年寄りたちに最後まで寄り添う姿勢で、その生活を支える活動を続けて行こうとしています。

もう一つは紹介されたのは、東北教区放射能問題支援対策室「いずみ」の働きです。福島では、子どもたちの甲状腺検査が無料で受けられますが、福島第一原子力発電所から離れているという理由で宮城県では実施されていません。「いずみ」は、希望者に無料で専門医による検査を行っており、宮城県南部の各地で定員を超える申し込みがあるそうです。佐藤真史君には、5歳と2歳の子どもがいますが、検査を受けたところ、要注意という結果が出たそうです。被災地で働こうという親の決断の犠牲に子どもがなっていいのかという難問を突き付けられています。その苦衷を語りながら、佐藤君は「いずみ」の働きの大切さを強調していました。ともかく被災地の最前線で被災者たちの現実に寄り添いながら働く働き人の姿に感銘を受けました。そしてその働きを覚えて支援を続けなければと考えさせられました。(戒能信生)

2015年9月13日日曜日

2015年9月20日 午前10時30分
聖霊降臨節第18主日礼拝No.24
     司式  茨木 啓子
    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵
招  詞  (93-1-50
讃 美 歌  13 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編25・1~22
讃 美 歌  495
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  360
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『御国が来ますように』
              戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  218
献  金            岡崎 大祐
報  告
頌  栄  85(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年9月12日土曜日

牧師の日記から㉓「この夏読んだ本のこと」
この夏読んだ本の中から、神学関係のものを除く一般書のいくつかを紹介してみましょう。牧師はたくさんの書籍をもっているようだが、一体どんな本を読んでいるのかという質問があったからです。
倉橋正直『戦争と日本人 日中戦争下の在留日本人の生活』(共栄書房)。著者は、愛知県立大学の名誉教授で、以前満州開拓基督教村の資料のことで私を訪ねて来て以来の付き合いです。戦前の中国大陸への日本の侵略の実態を、詳細な資料に基づいて研究している歴史学者です。キリスト教に触れた著書を贈呈してくれますが、これもその一冊で、例えばこの本の中で取り上げられている「救世軍の報国茶屋-日中戦争期の軍隊慰問事業」という論文などは、侵略戦争にキリスト教界がどのように関わったかの実例でもあります。大連日本基督教会の中心的な教会員の一人であった柴田博陽についても、倉橋さんは研究されているそうです。
島田裕巳『戦後日本の宗教史』(筑摩書房)。私は日本宗教史も自分のささやかな勉強の領域としていますが、宗教学者である著者は天皇制・祖先崇拝・新宗教を軸として戦後の各宗教の変遷を分析しており、大変参考になります。特に細かなデータや最近の新宗教の動向などについて教えられることがたくさんありました。
鈴木健次『戦争と新聞 メディアはなぜ戦争を煽るのか』(ちくま文庫)。著者は元・毎日新聞の記者で、これは新聞に連載したものをまとめたもので、明治以降の新聞報道で戦争がどのように扱われて来たかを跡付けています。西南戦争や日清・日露戦争がどのように報道されたかについては私も初めて知りました。特に昭和に入ってから、軍に批判的な新聞社に対して在郷軍人会が不買運動をして圧力をかけた実態や、次第にマスコミが無力化されて行った経緯に、現在と通じる不気味なものを感じました。
九井涼子『ダンジョン飯』(KADOKAWA)。これは漫画です。羊子(アニメ会社勤務)が買って来て勧めてくれました。ダンジョンというのは、地下迷宮を指すゲーム用語で、主人公たちがチームを組んで地下迷宮で魔物をやっつける旅の中で、お腹が減って魔物を料理して食べるという荒唐無稽なものです。しかし奇妙な魅力があり、最近のマンガの中では出色の作品です。

F.v.シーラッハ『犯罪』(創元社推理文庫)。著者はナチスの青年指導者だったB.v.シーラッハの孫にあたるそうです。殺人事件を担当する弁護士の視点から現代のドイツ社会の断面を描いた不思議な味わいの小説です。最近、北欧やヨーロッパの優れたミステリーが翻訳されるようになり、それぞれの社会の裏面を知ることが出来るので私はよく読みます。(戒能信生)

2015年9月6日日曜日

2015年9月13日 午前10時30分
聖霊降臨節第17主日礼拝No.23
     司式  橋本  茂
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由理子
招  詞  (93-1-50
讃 美 歌  13 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編24・1~10
讃 美 歌  491
聖書朗読  マタイ福音書6・9-13
祈  祷
讃 美 歌  452
使徒信条  (93-4-1A)
説  教  『天にまします我らの父よ』
              戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  493
献  金            荒井  眞
報  告
頌  栄  85(二度繰り返して)
派  遣
祝  福

後  奏         

2015年9月3日木曜日

牧師の日記から㉒「柴田博陽関係資料のこと」
前々回の「牧師の日記から」に、千代田教会のルーツである大連日本基督教会の機関誌『霊光』のことを紹介しました。この『霊光』をどうやってデータ保存しようかと考えているところに、既に画像処理をしてCDに焼いたものがあるとのことで、近いうちに永松信行さんが送ってくれることになっています。
さらに、この『霊光』の発行人であった柴田博陽について、お孫さんにあたる橋本悠久子さんの許に、関係資料があると伺い、これも見せてくれるようにお願いしました。先週、橋本さん御夫妻が、大きなキャリーバックに入れて持って来てくれたのが、次のような資料です。
・柴田博陽『世界一周回顧録』(大正12820日、大阪屋號書店)
・『世界一周記念帳』(原本)
・柴田博陽『大連慈恵病院沿革史』(大正1491日、大連慈恵病院)
・柴田博陽『大連日本基督教會沿革史 建設二十年記念』(昭和29月、大連日本基督教会)
・成富勇編『大連番地入案内』(昭和19130日、大陸出版社)
・中沢正七編『日本の使徒トマス・ウイン伝』(1967年、新教出版社)(複写)
・中村繁次編『三吉務牧師の面影』(1976430日、旧西広場の会)

これに加えて、既に私の手許には次のような関連資料があります。

・西広場の会編『にしひろば』(No.2[1978923])~No.34最終号[200911]
・白井慶吉『白井慶吉説教及論考集』(198358日、白井慶吉説教及論考集刊行委員会)
・西広場教会の思い出出版委員会編『西広場教会の思い出』(19911010日、大連西広場の会)
・橋本悠久子『柴田博陽についての話』(2006109日、西広場の会における講演原稿)


少しずつ大連日本基督教会の関連資料が集まってくる感じです。教会員の皆さんの手許に、ここに挙げた以外の資料は残っていないでしょうか。特に、大連日本基督教会の『週報』や『総会資料』がまだ一つも見つかっていません。ご存知の方は是非ご連絡下さい。(戒能信)