2017年11月19日日曜日

017年11月26日 午前10時30分
聖霊降臨節第26主日(収穫感謝合同)礼拝(No33
      司式 鈴木志津江  
    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子
招  詞  93-1-10
讃 美 歌  16 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編120・1~7 
讃 美 歌  109
子どもの祝福
聖書朗読  出エジプト記14・5-31
祈  祷
讃 美 歌  425
説  教  「海の奇跡」
  戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  367
使徒信条  (9341A
献  金                 茨木 啓子
報  告
頌  栄  29
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 合同礼拝に合流
・礼拝後、お茶の会
・週報等発送作業
CS教師会

・らふぁえる練習

2017年11月18日土曜日

牧師の日記から(136)「最近読んだ本の紹介」
中島岳志『親鸞と日本主義』(新潮選書)『中村屋のボース』で大佛次郎論壇賞を受賞した若き政治思想研究者が、今度は親鸞思想と国学の近接を取り上げている。戦時下の親鸞主義者たちが軒並み天皇制に絡め取られていった経緯を、倉田百三、亀井勝一郎、吉川英治、三井甲之、箕田胸喜といった人々の内面に分け入って分析している。大正期の煩悶青年たちが、親鸞の絶対他力の信仰を媒介にして超国家主義に陥っていった思想的系譜が跡づけられている。特に真宗大谷派の戦時教学がどのように形成されたかについて、194121315日に行われた真宗教学懇談会の記録に注目し、暁烏敏、曽我量深、金子大栄といった親鸞主義者たちの果たした役割について紹介されている。実はこの人々が戦後の真宗教学の中核を担うことになるのだが、これまで真宗内ではその戦争責任の問題はほとんど取り上げられてこなかった。この課題は、戦時下の日本的キリスト教の主張と並行しており、その共通性と差異についても考えさせられた。
木村恵子『キーフさん ある少年の戦争と平和の物語』(近代文芸社)キャンプソング「幸せなら手をたたこう」の作者である木村利人さん(生命倫理学者、元・恵泉女子大学長)の少年時代の歩みを、恵子夫人が物語化した少年少女向けの読み物。NCAに寄贈されていたのを一読した。夫の少年時代を妻が書くというのも珍しいが、これも一つの子どもの戦争体験の証言ではある。
谷川俊太郎『ワッハワッハハイのぼうけん』(小学館文庫)詩人・谷川俊太郎の童話に、和田誠が挿絵を描いた童話集。サンテグジュペリの『星の王子さま』に、大人になると子どもに見えるものが見えなくなるとあったが、超人・谷川俊太郎はいつまでも子どもの魂を保持しているらしいことが分かる。
内田樹『街場の天皇論』(東洋経済新報社)天皇の生前退位の意向表明を内田樹がどのように観ているか関心をもって読んだ。著者は民主主義と象徴天皇制は両立し得るという立場を打ち出している。平成天皇は、象徴天皇の役割として「傷つき苦しむ国民を慰謝することと、敵も味方も含めて先の大戦の戦没者たちの霊を弔うこと」と理解し、それが高齢で担えなくなったので退位したいと宣言したのだという。私は、生前退位の表明は第二の「天皇の人間宣言」と受け止めているので、著者の論理を大筋で了解できる。しかし象徴天皇制が国家神道と再び結びつく危険性への歯止めをどのように設定するか懸念が残った。

鵜沼裕子『近代日本キリスト者との対話 その信の世界を探る』(聖学院大学出版会)日本キリスト教史研究の先輩である著者から寄贈を受けた。内村鑑三や新渡戸稲造、賀川豊彦、高倉徳太郎といった人々の信の世界を思想史的に分析した論文集で、私自身の勉強の領域と重なるところがあり、大いに参考になる。そのうちいくつかは、学会誌などで既に目を通していたが、改めて教えられることが多かった。特に「郷土会」をめぐる新渡戸稲造と柳田国男との交流については初めて知ることができた。(戒能信生)
017年11月19日 午前10時30分
聖霊降臨節第25主日礼拝(No32
      司式 荒井久美子  
    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-10
讃 美 歌  16 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・169~176(タウ) 
讃 美 歌  449
聖書朗読  出エジプト記6・2-13
マタイ福音書7・7-12
祈  祷
讃 美 歌  517
説  教  「求めよ、さらば与えられん」
  戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  536
使徒信条  (9341A
献  金             石井 房恵
報  告
頌  栄  29
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 お話し・橋本悠久子、奏楽・内山央絵

・礼拝後、オリーブの会「超未熟児医療の現場から」大森意索(軽食の用意あり)

2017年11月11日土曜日

牧師の日記から(135)「最近読んだ本の紹介」
本村凌二『地中海世界とローマ帝国』(講談社学術文庫)「興亡の世界史」シリーズの一冊で、古代ローマ帝国の歴史をコンパクトにまとめている。一般的な啓蒙書ではあるが、聖書学やキリスト教史の観点からは見えてこない周辺社会の政治や経済についての最近の研究状況を瞥見させてくれる。特に最後の部分でローマ帝国滅亡の原因についての様々な学説が紹介されていて興味深かった。21世紀の現在、第二次世界大戦後支配的とされてきた諸価値が相対化され、アメリカ中心の政治や経済が凋落し、次のステージがどのように展開されるのか見えない混迷の時代において、800年も続いたローマ帝国の衰亡の歴史から学ぶところは多いだろう。政治学者・丸山真男の「ローマ帝国の歴史には人類の経験のすべてが詰まっている」という言葉を想い出しながら読まされた。
長谷部泰男・石田勇治『ナチスの手口と緊急事態条項』(集英社新書)改憲論をめぐって、麻生副総理の「ナチスの手口を学んだらどうかね」という発言を逆手にとって、自民党憲法草案の「緊急事態法」がいかに「ナチスの手口」と似ているかを究明している。憲法論とドイツ近現代史の専門家による対談集。
半藤一利『歴史に何を学ぶのか』(ちくまプリマー新書)『日本の一番長い日』の著者が、自分自身の編集者としての歩みと歴史に学んできた本音を吐露している。これは司馬遼太郎も指摘していたことだが、日清・日露戦争の公式戦記は改竄され、軍にとって都合の悪い部分はすべて書き換えられていたそうだ。戦争の悲惨な実態が正確に後世に伝えられなかったというのだ。中でも興味深いのは、著者が唱える「40年史観」。40年が経過すると凄惨な戦争の記憶が薄れるという。陸軍でも海軍でも、日露戦争の実戦経験者の多くは日米開戦に消極的だったが、主戦論者たちは日清・日露戦争後の陸海軍の膨張期に立身した軍人たちだったという。第二次世界大戦後、既に70年が経過する現在、戦争の悲惨さを知る経験者に取って代わって、戦争の実態を知らない人々が政治をリードしている。旧約聖書の伝える「荒野の40年」との対比を考えさせられた。

河合雅司『未来の年表 人口減少日本でこれから起きること』(講談社現代新書)少子高齢化が進むこの国の将来に何が起こるかを具体的に想定して、その対処法を提示するという触れ込み。その処方箋有効性には疑問の点も多いが、数値で予測される危機の実態が興味深い。例えば2039年に火葬場が不足すると予測されているが、既に地域によっては現実化している。牧師としての経験からも、多摩地区では明らかに火葬場が不足していて、亡くなってから一週間後以降にしか葬儀ができなくなっている。また2018年には大学の倒産が予測されている。既にいくつかのキリスト教主義学校で学生の定員割れで経営危機が迫っていると聞いている。以前紹介した村上由美子の『武器としての人口減社会』では、人口減少をバネにして働き方を改革し、日本社会を活性化すればいいと論じられていたが、そんな楽観的な予測が甘いということを教えてくれる。(戒能信生)
017年11月12日 午前10時30分
聖霊降臨節第24主日礼拝(No31
      司式 荒井久美子  
    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-10
讃 美 歌  16 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・161~168(シン) 
讃 美 歌  352
聖書朗読  詩編40・13-14、18
マタイ福音書7・1-6
祈  祷
讃 美 歌  393
説  教  「人を裁くな」
  戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  467
使徒信条  (9341A
献  金             荒井  眞
報  告
頌  栄  29
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 お話し・野口洋子、奏楽・内山央絵
・礼拝後、お茶の会、

・婦人会例会(聖書研究 マタイ福音書2020-28

2017年11月3日金曜日

牧師の日記から(134)「最近読んだ本の紹介」
カズオ・イシグロ『忘れられた巨人』(早川文庫)今年のノーベル文学賞受賞者の最近作。なんとアーサー王伝説を下敷きにファンタジー仕立てで、年老いた夫婦の旅路を物語る。普通ファンタジーと言えば、子どもか若者が主人公だが、本作では死出の旅に旅立つ老夫婦が主人公なのだ。そこに既に含意がある。さらにブリトン人とサクソン人の民族対立を背景に、血で血を洗う抗争の記憶を忘却すべきか、それとも記憶を取り戻して報復するかをテーマとしている。それは、日本生まれの少年を寛容に受け容れて来たイギリス社会への著者なりのメッセージを含むのだろう。しかし私にとって印象的だったのは、記憶をめぐるテーマだった。竜が吐く霧によって人々は記憶を喪失している中で、その竜を退治して記憶を取り戻そうとするのがメイン・ストーリーなのだ。しかし記憶の回復は、当然のことながら悪夢のような事実を想い出すことでもある。「許そう、しかし忘れない」は、日本の戦争責任についてアジアの人々から突きつけられた言葉だった。しかし忘れないということは、決して許していないということだという主張もある。過剰に情報が溢れる中で、いつしかある種の健忘症に陥っているこの国の現実を連想させられた。
久米宏『久米宏です。ニュースステーションはザ・ベストテンだった』(世界文化社)1980年代の後半から2000年代の初めにかけて、つまり私の40歳から50歳代の頃、夜10時から放送されるニュースステーションをほとんど毎晩のように観ていたと思う。その番組のキャスターを18年に渡って務めた著者が回顧する内幕物。見せる(魅せる)ニュース番組として、セットの造りから衣装、ニュースを読む速度や声質、さらにその高低にまで気を配り工夫したという。テレビを観ていたこちら側の当時の記憶が甦ってくるようだった。
ブライアン・フリーマントル『クラウド・テロリスト 上下』(新潮文庫)『消されかけた男』以来、独特のスパイ小説を書き続けてきた著者が、今度はアラブ・ゲリラによるテロをサイバー戦によって未然に防ぐというテーマを取り上げて いる。古典的な諜報員による情報活動ではなく、今やサイバー空間が情報収集活動の最先端になっているというのだ(国家安全保障局をめぐるスノーデン事件を!)。しかしかなり高齢のはずの著者がITの最前線を取り上げるその意欲には感心させられた。敵組織よりもむしろ味方同士のセクショナリズムや対立を書き込むというお得意の展開で、結末のどんでん返しも相変わらずの冴えを見せる。

竹森哲郎『黄昏の全共闘世代 その残滓が、今』(文芸社)1970年代の全共闘時代、慶応で学生新聞の編集長であった著者の断片的な回想と、70歳になろうとする現在の生活を行きつ戻りつしながら、全共闘世代が今何を思うかを率直に綴っている。90歳を超える母親の介護に気を配りつつ、趣味の競馬への想いを語る不思議なテイストのエッセー集。教会員の竹森靜子さんの息子さんが書いた書き下ろしで、同世代の私はある種の共感を抱きながら読まされた。(戒能信生)
017年11月5日 午前10時30分
聖霊降臨節第23主日・永眠者記念礼拝(No30
      司式 荒井  眞
    奏  黙 想        奏楽 釜坂由里子
招  詞  93-1-4
讃 美 歌  16 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・153~160(レシュ) 
讃 美 歌  521
聖書朗読  サムエル記下12・15b-23
祈  祷
讃 美 歌  575
永眠者氏名朗読
説  教  「地面から起き上がり」
  戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  384
使徒信条  (9341A
献  金  特別対外献金(北支区ワン・ドロップ献金を覚えて)   荒井久美子
報  告
頌  栄  29
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

2017年10月28日土曜日


牧師の日記から(133)「最近読んだ本の紹介」

 数年前、賀川豊彦記念松沢資料館から、昭和13年頃、賀川の紹介で茨城県鹿島の結核療養施設白十字会に赴任した医師・末長敏事について調査依頼がありました。手持ちの資料等に当たってみましたが手がかりが得られず、結局分からないと返事しました。ところが今年の7月、森永玲『反戦主義者なる事通告申し上げます/反軍を唱えて消えた結核医末永敏事』(花伝社)が刊行され、驚きをもって読みました。『長崎新聞』の連載を一冊にまとめたもので、島原出身の末長敏事という知られざるキリスト者の生涯を、残された断片的資料や証言から可能な限り追っています。先の調査依頼もこの連載のためだったのです。

末永敏事は明治20年、長崎県の島原半島の医家に生まれ、青山学院在学中に内村鑑三の感化を受けてキリスト者となります。医師を志し、長崎医専を卒業、台湾で医師として働いた後、アメリカに留学。約10年滞在して、結核の病理学的な研究で業績を上げます(後に京都大学から博士号を取得)。帰国後、内村の司式で中島静江と結婚。その後は一時自由学園で教え、故郷の島原で開業しますが、昭和8年に離婚。茨城で開業するも、昭和13年、賀川豊彦の紹介で鹿島の白十字会で働くことになります。その年の10月、国家総動員法による医療関係者能力申告の際、末長は以下の通告を茨城県知事宛に送ります。

「平素所信の自身の立場を明白に致すべきを感じ茲に拙者が反戦主義なる事及軍務を拒絶する旨通告申し上げます。」これによって敏事は、10月6日逮捕。家宅捜査で「小生軍備全廃論者なるが故に陸海軍人団と関係あることを厳しく嫌ふ。次に平民主義者なるが故に特権階級例令は皇室、貴族、富豪等と何等の関係あるを拒絶する」という文書が押収され、さらに周辺捜査で、敏事の次のような言説が確認されたとされています。「日支事変は支那から仕掛けられて居るのではなく日本から仕掛けた侵略戦争である」「現在日本の政治の実権は軍部が握って居る、近衛首相は軍部に乗ぜられて居る、その現はれが日支事変である。軍部の方針は世界侵略を目指して居る」「今次事変の当局発表新聞記事、戦争ニュースは虚偽の報道である。新聞に顕はるる戦死者の状況は戦争目的遂行の為の虚報で我軍の戦死者は発表以上に達して居る」「今度の戦争は東洋平和の為であると言ふて居るが事実は侵略戦争である。戦争は御神意に反する事であるから戦争に賛成することは日本が滅びることに賛成する様なものだ」。こうして末永敏事は陸海軍刑法違反(流言飛語罪)によって禁固3月の判決で収監されます。しかしその後の末長の消息は途絶え、1945年に亡くなったとされているのです。
長崎新聞によるこの調査が始まるまで、末永敏事について、内村研究でも、賀川研究でも一切知られていませんでした。全く忘れられた存在だったのです。しかしそれにしても、「特高月報」による敏事の発言は苛烈で、しかも的確に事態を見抜いていました。これほどの反戦主義者の存在が、その後キリスト教界において全く知られて来なかったこと自体不思議です。(戒能信生)

2017年10月22日日曜日

017年10月29日 午前10時30分
聖霊降臨節第22主日合同礼拝(No29
      司式 橋本  茂
    奏  黙 想        奏楽 向山 康子
招  詞  93-1-4
讃 美 歌  18 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・145~152(コフ) 
讃 美 歌  378
子どもの祝福            戒能牧師
聖書朗読  出エジプト記13・17-22
祈  祷
讃 美 歌  533
説  教  「火の柱・雲の柱として」
  戒能 信生牧師
祈  祷
讃 美 歌  377
使徒信条  (9341A
献  金              東 博昭
報  告
頌  栄  2
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校(合同礼拝に合流)
・礼拝後、千代田教会バザー(12:3015:00
 ご協力ください。お手伝いくださる方たちの昼食を用意してありますので、ホールでお食べください。
・永眠者記念礼拝準備

・らふぁえる練習
牧師の日記から(132
 1015日(日)主日伝道礼拝。「泣く者と共に泣く、・・・その先へ」という題で日本キリスト教婦人矯風会事務局長川谷淑子さんの説教。婦人矯風会の歩みと、特にアルコール・薬物依存症の人たちへの支援活動の体験の中から、ただ共に泣くだけではなく、その先への取り組みの必要を話された。大変示唆に富み、課題を与えられる内容だった。礼拝後、オリーブの会で食事を共にしながら、婦人矯風会の働きを、よく準備されたパワー・ポイントとスタンツで紹介された。
 16日(月)午前中、東駒形教会での牧師の勉強会・月曜会で深井智朗著『プロテスタンティズム』(中公新書)の後半部分の紹介と発題。特にトレルチの『社会教説』の概念とR・ニーバーのアメリカにおける教派の成立についての議論を紹介した。神学校の講義みたいだったという感想を聞いて、反省させられた。授業での話法はどうしても講義調になるので、どこか「上から目線」になるのだろう。午後帰宅して、準備をして夜は日本聖書神学校の授業。この日は救世軍の山室軍平の生涯と信仰を取り上げる。
 17日(火)午前中は神学読書会。モルトマンの『希望の神学』の第Ⅳ章の紹介と発題。政治や経済、環境や平和といったきわめて現代的な諸課題について、聖書とキリスト教神学の立場から取り上げている。それは神学の復権とも言うべきモルトマンの問題意識を示している。午後は、『時の徴』149号の発送作業と編集委員会。6人の同人が集まって、発送作業をしながら次号の編集の相談。次号150号には、『時の徴』の総目次を掲載することになった。夜は丹絵理加さんの受洗準備会で、マルコ福音書を一緒に読む。
 18日(水)朝一番で『時の徴』を購読者・寄贈先へ全部で800通近くをDM便で発送。10時半から聖書を学び祈る会。この日は民数記の後半から、荒野のイスラエルの放浪の旅の旅程と「逃れの町」の規定を取り上げる。このところちょっとタイトだったので、午後はさすがに疲れて、少しのんびりする。
 19日(木)一日書斎で仕事。夜は茗荷谷の東京バプテスト神学校で授業。この神学校での授業は、インターネットでつないで各地にライブの受講生が3名、さらにビデオの受講生が3人いる。教室で私の講義を直接聞く学生は今期は1人。テレビ画面でライブの学生たちの質問を受けながら授業は進められる。
 20日(金)朝から早稲田のキリスト教会館に行ってNCAの仕事と発送作業。午後3時から運営委員会。夜は蔵前のカフェ・エクレシアを会場に「編集者にその本音を聞く」に2回目。ぷねうま舎の中川和夫さんに、旧約聖書学者の月本昭夫さんがインタビュー。中川さんは元岩波書店の編集者で、岩波版旧新約聖書の刊行などを担当してきた編集者。IT革命で出版の形態が大きく変わり、本が売れなくなっている現状の中での希望を語られたのが印象的だった。常盤陽子さんのエスコートで荒井献先生が参加されたのには驚いた。

21日(土)台風の接近で一日中雨。明日の説教準備や週報作成。(戒能信生)

2017年10月15日日曜日

2017年10月15日 午前10時30分
聖霊降臨節第20主日伝道礼拝(No27
     司式 常盤 陽子
    奏  黙 想       奏楽 釜坂由利子
招  詞  93-1-4
讃 美 歌  18 
主の祈り  (93-5A) 
交読詩篇  詩編119・129~136(ペー) 
讃 美 歌  486
聖書朗読  ロマ書12・15
祈  祷
讃 美 歌  58
説  教  「泣くものと共に泣く、…その先へ」
日本キリスト教婦人矯風会事務局長
川谷 淑子さん
祈  祷
讃 美 歌  92
使徒信条  (9341A
献  金             橋本 茂
報  告
頌  栄  2
派遣・祝福
後  奏         
 
【本日の集会】
・教会学校 お話・橋本悠久子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、オリーブの会(於・ホール)「日本キリスト教婦人矯風会の働き」お話し・川谷淑子。軽食の用意があります。なるべく多くの方がご参加ください。

2017年10月14日土曜日


牧師の日記から(131

 108日(日)主日礼拝。マタイ福音書61921の講解説教「天に宝を積みなさい」。主イエスは、この世の富や豊かさについて明らかに批判的に語っている。典型的には「金持ちが神の国に入るよりも、ラクダが針の穴を通る方がまだやさしい」(マタイ192324)という言葉。当時のパレスチナでラクダは日常目にすることが出来る最大の動物。そのラクダが針の穴を通るのは不可能であるだけでなく、むしろ滑稽なことだった。それほど金持ちが神の国に入るのは困難だという意味。「貧しき者は幸いなり」と語ったイエスは、金持ちよりも貧乏人に身を寄せている。この箇所の最後に「神と富とに兼ね仕えることはできない」と言われていることに注意。「兼ね仕えてはならない」という命令ではなく、私たちキリスト者は「神と富とに兼ね仕えることはできない」者とされているというのだ。礼拝後、婦人会例会でルカ福音書2114の「レプタ二つを献げたやもめ」の個所を、鈴木志津恵さんの発題で学ぶ。その後、野口倢司さんの車で、高岸さん、直子さんと一緒に番町教会にバザーの用品を受け取りに行く。その帰り、野口さんに誘われて紀尾井町ガーデン・テラスで一緒に昼食をご馳走になる。

 9日(月)この日は休日で一日のんびりする。夜は人と会う約束があったのだがキャンセルになり、こんなことなら橋本悠久子さんの演奏会に行けばよかった。

 10日(火)午後、思い立って、直子さんと上野の国立博物館に運慶展を観に行く。康慶・運慶・快慶の主な作品がこれだけ並ぶと壮観。しかしこれらの仏像は、個人の作品というよりも、運慶たちが指導する工房集団の存在を前提とする。中でも康慶作「法相六祖座像」や運慶作「重源上人座像」に心を惹かれた。その表情には写実性だけでなく、ルネサンス期のミケランジェロなどの作品にも通じる精神性がある。しかしルネサンスは単に芸術運動としてだけではなく、その後の宗教改革や、さらに啓蒙主義思想への途を拓いたとされる。ところが、運慶たちの彫像技術と精神は不思議にも途絶えてしまい、その後の仏教美術に引き継がれなかった。鎌倉中期以降、法然・親鸞・日蓮といった新しい仏教の勃興と関わるのだろうか。夜は早稲田奉仕園の山口里子さんの新約ゼミに出席。ルカ福音書1320-21「パン種の譬え」を学び、またまた「眼からウロコ」の想いをする。

 11日(水)午前中、聖書を学び祈る会で民数記14章を取り上げる。出エジプトの経験とカナン侵入の出来事の時間差を「荒野の40年」として位置付け、そこに世代交代の物語を想定している。旧約聖書独特の歴史理解と言えるだろう。

12日(木)午後からNCAの連続講座「日本キリスト教史を読む」の5回目で内村鑑三を取り上げる。さらに出席者が多くなり、会場に入りきれないほどで嬉しい悲鳴。この講座のオプショナル・ツアーを計画し、富士見町教会、本郷中央教会、弓町本郷教会をめぐる企画を提案する。夜は東京バプテスト神学校の授業。

13日(金)午前中、会館管理組合委員会。午後帰宅して、来週予定されている二つの読書会と研究会での発題の準備に追われる。(戒能信生)

2017年10月7日土曜日


牧師の日記から(130

 101日(日)主日礼拝、聖餐式。マタイ福音書61618の講解説教「宗教的な熱心さ?」。当時の信仰熱心な人々は、断食中に食べ物を勧められないように「顔を見苦しくする」断食顔をしたという。イエスはそれを批判し、むしろ「頭に油をつけ、顔を洗え」と、言わば祝祭の用意をするように命じる。それで思い出したのが、宗教改革者マルティン・ルターのエピソード。ある時ルターが不機嫌な顔をしていた。すると妻のカタリーナが喪服を着て現れた。ルターが驚いて「だれか亡くなったのか」と聞くと、「あなたが神は死んだかのような不機嫌な顔をしているから」と答えた。ルターは笑って謝ったという。戦争の噂が聞こえ、政治的な混迷が深まる今、宗教的な熱心さを追い求めるのではなく、むしろ自分自身の不信仰に耐えて、不機嫌な顔をやめようということではないか。

2日(月)3か月に一度の眼科の検診。四ツ谷駅前の白戸眼科(緑内障の専門病院)は、患者さんで満杯。中にはかなり深刻な病状の人もいるようだ。私の緑内障の進行は一応抑えられており、まだ手術はギリギリ必要ないとのことで、点眼を続けて様子を見ようということになった。夜は日本聖書神学校の授業。

3日(火)一日中、書斎でパソコンの前に座っているが、なかなか原稿の仕事が進まない。夜は丹絵理加さんの受洗準備会でマルコ福音書を一緒に読む。

4日(水)午前中は聖書を学び祈る会。民数記1213章を取り上げて学ぶ。いよいよカナンの地に斥候を派遣して様子を探る箇所。乳と蜜の流れる約束の地には、高い城壁があり、巨人族が住んでいて、とてもかないそうにないという悲観的な報告。その証拠に巨大な葡萄を担いできて見せたという。そう言えば、最初に「巨峰」を食べたとき、「葡萄のお化け」と説明されたことを思い出す。野生の野葡萄しか知らない人々にとって、品種改良をして人工栽培された葡萄はそれこそお化けのような大きさに見えたのかもしれない。11月の末に柏木義円公開講演会が予定されているので、その準備。この間の会計報告を作成し、集会案内と一緒に会員に発送する作業。この研究会の事務局を担当しているのだ。

5日(木)朝からキリスト教会館に行って、NCAの仕事。改装工事が始まった6階の鍵をまとめて東京YMCAの山添主事に渡す。後は、第8回神学生交流プログラムの報告書が出来てきたので、参加神学生や賛助者たち合わせて150通ほどを発送する作業。NHKから先日の「宗教の時間」の録音が送られてくる。

6日(金)午後、馬喰横山の画廊で開かれている友人のカメラマン小山貴和夫さんの写真展に出かける。若い頃から撮りためた報道写真の数々を、同世代の自分の歩みを思い出しながら感慨深く観た。その後、地下鉄丸ノ内線茗荷谷駅近くの東京バプテスト神学校へ。10月から後期の授業が始まり、その準備の教師会に出席するため。その後、雨の中を王子北教会での北支区連合祈祷会に出席。

7日(土)午後から、教師を免職された北村滋郎牧師支援の集会に参加。夕方帰宅して、明日の週報の作成と印刷。そして説教の準備。(戒能信生)

2017年10月1日日曜日


017年10月8日 午前10時30分

聖霊降臨節第19主日礼拝(No26

     司式 鈴木志津恵

    奏  黙 想       奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-4

讃 美 歌  18 

主の祈り  (93-5A) 

交読詩篇  詩編119・121~128(アイン) 

讃 美 歌  540

聖書朗読  コヘレト3・1-17 

マタイ福音書6・19-24

祈  祷

讃 美 歌  437

説  教  「宝を天に積め」

戒能 信生牧師

祈  祷

讃 美 歌  569

使徒信条  (9341A

献  金             萩原好子

報  告

頌  栄  2

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話・野口洋子、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・婦人会例会 聖書研究(ルカ福音書2114)担当・鈴木志津恵

・番町教会からのバザー用品を受け取り(担当・野口倢司)