「牧師の日記から」(544)
森本あんり「人はなぜ真実に生きたいと思うのか」『世界』1月号(岩波書店)知友の森本あんりさんが、1970年代の連続企業爆破事件の被疑者として指名手配されていた桐島聡が、末期がんで担ぎ込まれた病院で、「桐島」であることを名乗った4日後に亡くなった事件を取り上げている。同じ世代を歩んだ者として、「妥協なく真実を生きるためには、がむしゃらに論理で迷いを断ち切り、世間のしがらみを捨てて自分の信念を行動に移すしかない」と思い込んでいたあの時代の空気に触れながら、自分が桐島でもあり得た可能性に論及している。その上で、なぜ彼は本名を名乗って死んだのかと問う。すなわち嘘や虚偽や誤魔化しに満ちたこの世界において、しかし彼はやはり最期には真実を求め、本名を名乗って自分を取り戻すことを選んだのではないかというのだ。そしてこう記している。「真実に生きてもいないし、信頼できるとも言えない。それでも人は、真実に生きたいと願い、人を信頼したいと願う。そのあえかな希求に、世界も(創刊80年を迎えた雑誌)『世界』も支えられている」と。一読して様々な感想を抱いた。一つは、あの当時、権力に抗する暴力は許されるという理屈が仲間内では横行していたが、私自身はその点にいつも違和を感じ続けていた。内ゲバや連合赤軍事件などについても、その内部の退廃に深刻な疑問を感じていた。ただ、2000年代になっても内ゲバで自分と同世代の死者が出たという記事を新聞で読むたびに、地下に潜った活動家たちのその後の歩みを想像して胸が痛んだ。桐島聡が本名を名乗って死んだことを、そこまで評価できるだろうかと疑問にも思うが、フェイクニュースが溢れるこの時代にあって、「真実に生きたい」と願うその一点に希望を託す他はないという森本さんの姿勢には共感を抱かざるを得なかった。
黒柳徹子『黒柳徹子の一生懸命対談』(ちくま文庫)テレビの長寿番組「徹子の部屋」での対談の中から、えりすぐりの貴重な対談を文庫化したもの。普段テレビの番組は見ないので、捧腹絶倒の対談を楽しんだ。しかしそれにしても、浮き沈みの激しい芸能界でこのように生き方を貫く徹子さんに敬服する。年末の慌ただしい中で楽しんで読まされた。(戒能信生)