牧師の日記から(533)「最近読んだ本の紹介」
大貫隆『福音書の隠れた難所』(YOBEL)著者から贈呈されて一読。福音書の中の難解とされるテキストについて、大貫さんの徹底したリサーチと厳密な校訂によって問題が整理される。いつもながら著者の誠実な研究姿勢に敬意を覚えた。しかし何より巻末の荒井献先生に対する「追悼講演」を繰り返し読んで改めて感銘を覚えた。大貫さんは荒井先生の言わば一番弟子であり、東京大学西洋古典学科での後任でもある。追悼講演の中で、恩師に対する最大限の評価と感謝をしながらも、学問研究の面では恩師の足らざるところ、あるいは自身との差異について遠慮会釈なく徹底的に批判している。聖書学研究所の学風と言えばそれまでだが、気持ちがいいくらいだった。「あとがき」での佐竹明先生に対する追悼と併せて興味深く読まされた。私自身は、荒井先生や佐竹先生の直接の弟子ではないけれども、様々な機会に声をかけていただき本当にお世話になってきた。お二人に改めて感謝をするとともに、先日の田川健三さんの逝去と併せて、世代の交代を痛感させられている。
塩出浩之『琉球処分』(中公新書)沖縄問題の原点に、明治政府によって琉球王国が滅ぼされた「琉球処分」があることは聞かされてきた。しかしその実態はよく知らなかった。本書は、琉球側の「尚家文書」に基づいて「琉球処分」の全過程を詳細に跡付けてくれる。琉球王国は、明・清と、薩摩を通して江戸幕府に両属する独立国家だった。それが明治維新以降、廃藩置県が適用され、最終的には日清戦争によって日本に「併合」されてしまうのだ。その根底に、沖縄を「植民地」と看做す維新政府高官たちの意識があったことが指摘されていて考えさせられた。実は、1969年の沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同の深層に、同じような問題が潜在していたのではないかと気づかされたのだ。合同する以前の沖縄キリスト教団は、WCCを初め、世界の教会と関係をもつ独立教会であった。ところが教団と合同することによって、教区の一つとして教団の統制下に置かれることになってしまった。そこに「琉球処分」と共通する問題があるのではないかと考えさせられている。(戒能信生)