2025年9月13日土曜日

牧師の日記から(533)「最近読んだ本の紹介」

 大貫隆『福音書の隠れた難所』(YOBEL)著者から贈呈されて一読。福音書の中の難解とされるテキストについて、大貫さんの徹底したリサーチと厳密な校訂によって問題が整理される。いつもながら著者の誠実な研究姿勢に敬意を覚えた。しかし何より巻末の荒井献先生に対する「追悼講演」を繰り返し読んで改めて感銘を覚えた。大貫さんは荒井先生の言わば一番弟子であり、東京大学西洋古典学科での後任でもある。追悼講演の中で、恩師に対する最大限の評価と感謝をしながらも、学問研究の面では恩師の足らざるところ、あるいは自身との差異について遠慮会釈なく徹底的に批判している。聖書学研究所の学風と言えばそれまでだが、気持ちがいいくらいだった。「あとがき」での佐竹明先生に対する追悼と併せて興味深く読まされた。私自身は、荒井先生や佐竹先生の直接の弟子ではないけれども、様々な機会に声をかけていただき本当にお世話になってきた。お二人に改めて感謝をするとともに、先日の田川健三さんの逝去と併せて、世代の交代を痛感させられている。

塩出浩之『琉球処分』(中公新書)沖縄問題の原点に、明治政府によって琉球王国が滅ぼされた「琉球処分」があることは聞かされてきた。しかしその実態はよく知らなかった。本書は、琉球側の「尚家文書」に基づいて「琉球処分」の全過程を詳細に跡付けてくれる。琉球王国は、明・清と、薩摩を通して江戸幕府に両属する独立国家だった。それが明治維新以降、廃藩置県が適用され、最終的には日清戦争によって日本に「併合」されてしまうのだ。その根底に、沖縄を「植民地」と看做す維新政府高官たちの意識があったことが指摘されていて考えさせられた。実は、1969年の沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同の深層に、同じような問題が潜在していたのではないかと気づかされたのだ。合同する以前の沖縄キリスト教団は、WCCを初め、世界の教会と関係をもつ独立教会であった。ところが教団と合同することによって、教区の一つとして教団の統制下に置かれることになってしまった。そこに「琉球処分」と共通する問題があるのではないかと考えさせられている。(戒能信生)

  

2025年9月7日日曜日

 

2025年9月14日 午前10時30分

聖霊降臨節第15主日礼拝(No.20)

               司式 橋本  茂

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  26・1-12

讃 美 歌  521

聖書朗読  列王記上3・10-15

ヤコブ書4・13-17

祈  祷

讃 美 歌  431

説  教  「驕り高ぶるな」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  522

使徒信条 (9341A

献  金              戒能 直子

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年9月6日土曜日

 

牧師の日記から(532)「最近読んだ本の紹介」

 永瀬清子「悲しめる友よ」『流れる髪』(思潮社)先日、オリーブの会で週報のこの欄「読書紹介」について話題になった際、石垣りん、茨木のり子といった女流詩人を取り上げるのが珍しいという指摘があった。私は詩をあまり読まないのだが、この二人の女性詩人だけが例外と答えて、待てよと思い直した。もう一人、永瀬さんの詩を読んできたことを思い出したのだ。永瀬清子さんは、1995年に既に89歳で亡くなっている。私が尊敬していた井上良雄先生が、戦前、文芸評論家として活躍していた頃、「磁場」という同人誌の仲間だった。それもあって永瀬さんの詩集を時折覗いて来たのだった。例えばこういう詩。

「悲しめる友よ 

女性は男性よりさきに死んではいけない。

男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。

男性がひとりあとへ残ったならば誰が彼を十字架からおろし埋葬するであろうか。

聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから。

あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男性よりも弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性はそれにつりこまれる事はない。

これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、女子大学で教えないだけなのだ。」

 この詩が書かれたのは、1970年代で、永瀬さん自身が夫を見送り、一人息子を亡くした辛い時期だった。少し後で『関白宣言』(さだまさし)がヒットして、そのもとになったのではないかとフェミニズムの観点から批判されたこともあった。しかしこの詩を紹介した茨木のり子も指摘しているように、永瀬さんは戦前から厳しい弾圧や迫害の中で粘り強く詩を書き続け、だれよりも女性の自立を主張して来た人だ。その上で、女性は挫折した弱い男を十字架から降ろして埋葬する仕事を担わなければならないと自らのこととして書いているのだ。(戒能信生)

2025年8月31日日曜日

 

2025年9月7日 午前10時30分

聖霊降臨節第14主日礼拝(No.19)

               司式 大森 意索

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  25・1-22

讃 美 歌  411

聖書朗読  ハバクク書3・17-18

ヤコブ書4・11-12

祈  祷

讃 美 歌  565

説  教  「裁いてはならない」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  528

使徒信条 (9341A

献  金  対外献金「北支区ワンドロップ献金のために」     高岸 泰子

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索伝道師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、持ち寄り昼食会(ホール)

・定例長老会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

 

2025年8月30日土曜日

 

子育てカフェ通信④

 8月も後半になりました。ときどきスコールのような雷雨があり、日本も最近はまるで亜熱帯気候のようになりました。暑さのなかで、セミが鳴く季節ですが、今年は梅雨の雨が少なかったためか、セミも例年よりも少ないそうです。私は毎月1回、岡山に行っておりますが、今回は岡山の教会について説明することにしました。

岡山御津キリスト教会という名称で、単立の教会です。私の両親は、もとは千代田教会から近い市ヶ谷の場所にあった、日本基督教会の市ヶ谷教会に属していました。市ヶ谷教会は東京大空襲で焼けてしまい、戦後は池袋西教会に移行しました。で、戦前に市ヶ谷教会で結婚した両親は、父親が中国の宣教師となったため、一緒に中国に渡ったようです。しかし、中国人の中に入っての宣教でしたので、かなり過酷だったようで母は体調を崩し、一人帰国しました。父は中国で敗戦を迎え、その後帰国しますが、中国への宣教と謝罪の思いが強かったため、何とか中国に戻りたいと願っていたようです。しかし中国は混乱の後共産党支配となり、宣教師を受け入れる状況にはありませんでした。このため戦後は、父は北海道や東京、岡山と移って、大陸への足掛かりはないかと私の小さい頃は台湾を行き来していたようです。

同じく戦後、中国での宣教が困難となっていたため、中国から岡山の地で宣教をすることになった、スウェーデンミッションの日本聖約キリスト教団から誘われて、岡山の地に教会を作ることに協力することになったのでした。こうして1952年に岡山御津キリスト教会ができたのでした。父は中国でもそうだったのだと思いますが、教会はその地域の人たちがつくっていくものであり、宣教師はあくまでお手伝いという意識が強かったのでしょう。詳しい事情はわかりませんが、おそらくスウェーデンミッションの宣教師と何らかの対立があり、その教団から出る形で単立教会となったのでした。私は知りませんでしたが、姉によりますと、このことで、我が家の生活がガラッと変わったとのことです。

こういう経緯で、岡山御津キリスト教会は73年前にでき、教会員は数名の小さな教会ですが、私も月1回礼拝に出席することにしています。そして、これからも地方の教会の視点ももって伝道師としてやっていきたいと思っています。(大森意索)        

2025年8月24日日曜日

 

2025年8月31日 午前10時30分

聖霊降臨節第13主日礼拝(No.18)

               司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  24・1-10

讃 美 歌  218

聖書朗読  コヘレトの言葉11・1-8

祈  祷

讃 美 歌  416

信徒講壇  「朝に種を蒔け」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  549

使徒信条 (9341A

献  金              内山 央絵

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、入門の会「十戒⑧」戒能牧師

・お茶の会

・週報発送作業

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・大森意索伝道師は、本日、岡山御津キリスト教会の講壇奉仕で出かけています。

2025年8月23日土曜日

 

牧師の日記から(531)「最近読んだ本の紹介」

 先週、渡辺一夫の『敗戦日記』を紹介し、昭和20316日の日記から次の一節を引用した。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。」

それで思い出したのは、堀豊彦先生が斎藤勇先生を追憶した短い文章。堀豊彦は東大法学部教授、斎藤勇はこの国の英文学の草分けの一人で、いずれも篤実なクリスチャンだった。太平洋戦争の末期近く、東京帝国大学文学部教授会の席上で、和辻哲郎と斎藤勇両教授が対立したエピソードについての証言。

「故和辻哲郎教授がわが国の聖戦を主張して英米畜などに負けてたまるかと、声高らかに論ぜられた。これに対して、斎藤勇先生が戦争は悪い、戦争に聖戦などなし、彼我に五分五分の言分がある。特に一方的に、しかも人間の尊厳を汚すような米英畜などという悪罵は慎むべきであると、述べられた。すると和辻教授は更に声を励まして、斎藤先生を非国民だとして極め付けられ教授会の席で罵倒された。斎藤先生は堅く黙して剛毅なる沈黙を以て対応されたという。同席の教授たちの反応については不肖である。」(東大学生基督教青年会『会報』78号)

和辻哲郎ほどの知識人にして戦時下の実情はこうだったのだ。それに対し斎藤勇先生の姿勢は断固たるものだった。

それでまた思い出したのが、戦後間もない頃、矢内原忠雄先生のある講演会での発言。矢内原の講演を聞いた聴衆の一人(牧師だったと伝えられる)が「留学して海外の事情に詳しい矢内原先生のような専門家は戦争の実相を見抜けたかもしれないが、我々素人には本当のことは分からなかった」と感想を述べた。それに対して矢内原はこう応えた。「東京大学には、理系・文系を問わず、それこそ海外に留学したその道の専門家たちが何人もいました。しかしその人たちも見抜けなかったのです。しかし私にはこの聖書がありました。聖書を通して、あの戦争の本当の姿を見抜くことができたのです。」(この発言は伝承で、矢内原全集などを探しても見つかりませんでした。)知識人の限界と聖書の信仰の重要さを教えられます。(戒能信生)