牧師の日記から(531)「最近読んだ本の紹介」
先週、渡辺一夫の『敗戦日記』を紹介し、昭和20年3月16日の日記から次の一節を引用した。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。」
それで思い出したのは、堀豊彦先生が斎藤勇先生を追憶した短い文章。堀豊彦は東大法学部教授、斎藤勇はこの国の英文学の草分けの一人で、いずれも篤実なクリスチャンだった。太平洋戦争の末期近く、東京帝国大学文学部教授会の席上で、和辻哲郎と斎藤勇両教授が対立したエピソードについての証言。
「故和辻哲郎教授がわが国の聖戦を主張して英米畜などに負けてたまるかと、声高らかに論ぜられた。これに対して、斎藤勇先生が戦争は悪い、戦争に聖戦などなし、彼我に五分五分の言分がある。特に一方的に、しかも人間の尊厳を汚すような米英畜などという悪罵は慎むべきであると、述べられた。すると和辻教授は更に声を励まして、斎藤先生を非国民だとして極め付けられ教授会の席で罵倒された。斎藤先生は堅く黙して剛毅なる沈黙を以て対応されたという。同席の教授たちの反応については不肖である。」(東大学生基督教青年会『会報』78号)
和辻哲郎ほどの知識人にして戦時下の実情はこうだったのだ。それに対し斎藤勇先生の姿勢は断固たるものだった。
それでまた思い出したのが、戦後間もない頃、矢内原忠雄先生のある講演会での発言。矢内原の講演を聞いた聴衆の一人(牧師だったと伝えられる)が「留学して海外の事情に詳しい矢内原先生のような専門家は戦争の実相を見抜けたかもしれないが、我々素人には本当のことは分からなかった」と感想を述べた。それに対して矢内原はこう応えた。「東京大学には、理系・文系を問わず、それこそ海外に留学したその道の専門家たちが何人もいました。しかしその人たちも見抜けなかったのです。しかし私にはこの聖書がありました。聖書を通して、あの戦争の本当の姿を見抜くことができたのです。」(この発言は伝承で、矢内原全集などを探しても見つかりませんでした。)知識人の限界と聖書の信仰の重要さを教えられます。(戒能信生)