2025年12月13日土曜日

 

 

子育て相談カフェ通信⑧「子どもの教会」

この教会に転会して10年になりますが、今年もクリスマスになります。私は今年、神学校を卒業しましたが、昨年の夏は卒業論文に追われていました。と、言っても私の場合、論文というよりも、長い間神学校に通っていたこともあり、自分なりのまとめをしたいと考えていたのです。そのため、私の選んだテーマは「子どもの教会 ―礼拝と課題」でした。子どもの教会と聞いて、「教会学校」と、どう違うのか、と思われるかたもおられるでしょう。今回はその話をしたいと思います。

私自身は、子どもの頃は日曜学校で育った世代ですし、この教会の方も日曜学校世代が多いかと思います。その名称が、戦後教会学校に変わります。なぜ変わったかというと、戦後の高度経済成長下で、日曜日に子どもの居場所としての日曜学校が活気づいていたこともあり、お寺や他の宗教でも子どものための日曜学校を始めた訳です。それで、教会では日曜学校を教会学校と名称変更が行われたようです。では教会学校を「子どもの教会」と呼ぶ教会があるのはなぜなのか?実は私もよくわかっていませんでした。

1989年に国連で「子どもの権利に関する条約」が採択され、日本でも1994年に批准されました。子どもが、個としての権利を持っていることが承認されたのです。そうした中で、それまでの人材育成を目的とした公教育への批判とともに、キリスト教教育についても再検討がなされていきます。子どもへの教育の視点も、集団から個別の成長へと捉え直されるようになりましたこうした時代の変化もあり、教会においても学校教育システムの模倣に対する反省が生じました。このためいくつかの教会では、2000年以降、先生が生徒たちに知識を教えるという学校教育のあり方から、礼拝を共に持つということを重視して「教会学校」から、「子どもの教会」(Children Church: CC、または子どもの礼拝Children Service: CS)という名称変更がなされたのです。名称だけでなく子どもの教会では、教師と生徒という関係性の見直しから、指導者の名称も「先生」から「リーダー」となり、内容も知識を伝えることから、リーダーを中心として子どもと共にもつ礼拝が模索されたのです。

来週はクリスマスです。千代田教会でも、子どもたちと一緒に礼拝が持たれることは素晴らしいと思います。(大森意索)

 

 

2025年12月7日日曜日

 

2025年12月14日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No.33)

                司式 戒能 信生

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(3節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  37・23-40

讃 美 歌  175

聖書朗読  フィリピ書3・1-11

祈  祷

讃 美 歌  231

説  教  「主にあって、光のうちに」

               大森意索伝道師

讃 美 歌  39

使徒信条 (9341A

献  金              梅本 順子

報  告  

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校  お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後「私の愛唱聖句」石井摩耶子

・(茨木啓子さん訪問)

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。

2025年12月6日土曜日

牧師の日記から(542)「最近読んだ本の紹介」

 川上未映子『きみは赤ちゃん』(文春文庫)著者は、芥川賞を初め多数の文芸賞を軒並み受賞している若い小説家。村上春樹との共著『みみずくは黄昏に飛びたつ』を読んだだけだが、その鋭いセンスと感覚に驚かされた。その作家が35歳で初めて出産し、その経験の一部始終をリアルタイムで報告したもの。出産に関わるすべてのことが当然のことながら女性の側からありのままに描かれる。その根底に貫かれるのは、夫(あるいはすべての男性)の無知と無理解に対する痛烈な非難と怒り。読んでいて、居たたまれなくなるほど。直子さんが3人の子どもを出産してくれたが、夫であり父親である私は、ただ側にいただけで、産む性の側の痛みや辛さのことを全く理解していなかったことを思い知らされる。つわり、マタニティーブルー、分娩の壮絶な苦しみ、産後クライシス、そして育児……。例えば、夜泣きする新生児に3時間おきに母乳を与えながら、傍らで鼾をかいて寝ている夫に瞬間的に殺意を覚えるくだりなどは、実に身につまされた。今さら遅いが、改めて直子さんに感謝する。

 又吉直樹・ヨシタケシンスケ『本でした』(ポプラ社)お笑い芸人・又吉直樹が芥川賞を受賞したので話題になったが、その小説は読んでいない。しかし絵本作家として国際的に活躍しているヨシタケシンスケとの共著だというので目を通した。ある街に住み付いた若者二人が「どんなものでも本に戻します」という不思議な看板を出す。無くした本、忘れた本、壊れた本の表題でも、その一部でも判れば復元するというのだ。町の住民が面白がって、次々に注文したものが、楽しいイラスト付きで紹介される。子どもも読めるし、大人でもいろいろ考えさせられる。最後に、二人の若者のインチキがバレるが、それ以降、その街からたくさんの作家が生まれたというファンタジー。

 森本あんり『キリスト教でたどるアメリカ史』(角川ソフィア文庫)アメリカ史に関する書籍は多数あるが、キリスト教との関連で取り上げたものは少ない。著者の森本あんりさんが、ピルグリムの渡航から始めて、大覚醒、独立戦争、南北戦争、大恐慌、第二次大戦後の膨張するアメリカ、現在のトランプ現象までをキリスト教を軸にして解説してくれる。(戒能信生) 

2025年12月7日 午前10時30分

待降節第2主日礼拝(No.32)

                司式 大森 意索

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(2節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  37・1-22

讃 美 歌  240

聖書朗読  エレミヤ書36・1-3

ヨハネ福音書2・1-11

祈  祷

讃 美 歌  286

説  教  「水を汲んだ働き人」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  532

使徒信条 (9341A

献  金  対外献金「日本基督教婦人矯風会の働きを覚えて」   梅本 和義

報  告  

頌  栄  91

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校  お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後 アドベント全体祈祷会(司会・大森伝道師)

・持ち寄りランチ(ホール)

・招聘委員会、・定例長老会

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。 

 

「子育て相談カフェ通信」⑦大森意索 

今年も残すところ1ヶ月ちょっととなり、もうすぐアドべントとなります。4月から子育て相談カフェを開始しましたが、今のところ子どもの相談はなく、ある意味ホッとしています。実は8月9月と自分の仕事としての相談が、なかなが大変で、私自身が、知らず知らずのうちに疲弊していました。

もともと人と話すのは嫌いではないものの、結構気を使う割にはうっかりしていることもある性格なので、対人関係は苦手と思っていました。そんな私が1時間近く、時には1時間半、話を聞き、対応することにちょっと疲れてしまったのです。特に両親二人の意見がぶつかる場面では、1時間半でも足りず、かなり難しい状況となります。その上、何の解決にもならない、時間の無駄だと言われることもあり、二重に疲れる日々でした。そうした自分ではどうすることも出来ない課題に向き合っていることは学びにはなります。が、最近は疲れ過ぎてはいけないと、どんな場合も1時間は超えないように、両親の意見が違う場合には別々に対応するようにしています。それでも時には1人の対応でどっと疲れてしまいます。そんな時もありつつ、ちゃくちゃくと(?)子育て相談カフェの準備をしています。

さて、5月からフィリピの信徒への手紙の講解(後悔)説教を始めました。準備では、いろいろと学ぶことが多く、いつもギリギリまでやっているわりには、後で考えると、バタバタしていて言葉が多すぎるなあと気付かされます。先日、数名の牧師に説教原稿の文字数をお聞きしたとこところ、私の文字数が多いことに気がつきました。余分な言葉が多過ぎるのではないかと反省することしきりです。それに、「言葉、ことば」の難しさに戸惑うばかりの日々です。そんな日々の中で、あっという間に次の説教の用意が必要になって、いつもあたふたとしています。ただ、一人ではそこまでは聖書に向き合ってこなかったのだと気付かされましたし、準備をすることで、言葉に向き合うことになりました。これも、この教会で伝道師をさせていただいたおかげだと思います。そういう促しのために、こうして人前で話すのが苦手な私が、押し出されているのだろうと思わされる、今日この頃です。          

2025年11月23日日曜日

 

2025年11月30日 午前10時30分

待降節第1主日礼拝(No.31)

                司式 大森 意索

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(1節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  36・1-13

讃 美 歌  54

聖書朗読  イザヤ書51・4-8

ヨハネ福音書1・1-13

祈  祷

讃 美 歌  235

説  教  「初めに言葉があった」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  241

使徒信条 (9341A

献  金              石井摩耶子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後 入門の会「十戒⑧」戒能牧師

・週報発送作業

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。

2025年11月22日土曜日

 

牧師の日記から(541

 1116日(日)主日礼拝。ヤコブ書の講解説教の最終回で、51320を取り上げる。半年間苦労してきたが、私自身が学ばされたことは多い。この手紙が書かれた1世紀末頃の教会の実情が窺えるからだ。特にこの手紙の最後に、教会生活から離れた人たちへの責任について触れていることを重く受け止めさせられた。礼拝後オリーブの会。石井房恵さんが用意してくれた三色丼を頂きながら自由に歓談。ボンヘッファーの映画を観てきた人たちの感想を聞いて、最後に讃美歌469を一緒に歌う。

 17日(月)午前中、月曜会に出席するため東駒形教会へ。近藤勝彦著『日本キリスト教神学小史』の北森嘉蔵の章を、後藤田さんの紹介で読む。北森先生のことを知らない牧師たちが多いので、私が学んだことやいくつかのエピソードを紹介する。午後帰宅して、明日の神学読書会の発題の準備。

 18日(火)午前中、神学読書会でカルヴァンの『キリスト教綱要』第6章を私が発題で読む。1月から波多野精一の『時と永遠』を読むことになる。午後は西早稲田のキリスト教会館で読書会「キリスト教と文学」に参加。ディッケンズの『クリスマス・キャロル』が取り上げられたが、吝嗇で意地悪な主人公スクルージ―が、最後には悔い改めて善人になるお話しだが、この手の回心物語は日本の文学にはほとんどないということが指摘され、考えさせられた。夜は富士見町教会で東支区北支区合同の連合祈祷会。約50名の参加者が共に祈りを合わせる。

19日(水)午前中、新宿武蔵野館に話題のボンヘッファーの映画を観に行く。ところどころ脚色されているが、概ねよく出来た映画だった。久しぶりに新宿の雑踏の中を歩く。

20日(木)午前中、門前仲町の歯科医で定期検診。午後は大森伝道師との牧師会。クリスマス・カードの準備。4時半からNCAの運営委員会にZoomで参加。『時の徴』の原稿に手をつける。

21日(金)一日書斎にこもって仕事。『時の徴』に連載している高倉徹総幹事日記のデータがPCのクラッシュで失われたので、プリントアウトしたものを嘉信にOCRで読み込んでもらう。最新のOCRで見事に復元されて来たので、その原稿整理の作業。長く机に向かっていると腰が痛くなるのが困る。(戒能信生)