牧師の日記から(514)「最近読んだ本の紹介」
鶴見俊輔『隣人記』(晶文社)本棚から引っ張り出して再読。著者の交遊録が、独特の文体で記される。かなり以前に読んだので内容はほとんど忘れているが、改めて鶴見さんの簡潔な文体に感銘を受ける。以前にも紹介したと思うが、永井荷風に触れて、その日記『断腸亭日乗』から引用している。「昭和18年10月12日 数日前より毎日台所にて正午南京米の煮ゆる間仏蘭西訳の聖書を読むことにしたり。米の煮え始めてより能く蒸せるまでに四五頁を読み得るなり。余は老後基督教を信ぜんとする者にあらず。信ぜむと欲するも恐らくは不可能なるべし。されど去年来余は軍人政府の圧迫いよいよ甚しくなるにつけ精神上の苦悩に堪えず、遂に何等か慰安の道を求めざるべからざるに至りしなり。耶蘇教は強者の迫害に対する弱者の勝利を語るものなり。この教は兵を用いずして欧州全土の民を信服せしめたり。現代日本人が支那大陸及南洋諸島を侵畧せしものとは全く其趣きを異にするなり。聖書の教えるところ果して能く余が苦悩を慰め得るや否や。他日に待つ可し。」その上で、鶴見さんは戦時下の自身の体験を次のように記す。「戦争中、私は毎日、新約聖書を読んでいた。キリスト教会にゆくと、そこではほとんど毎回、戦争讃美をするので、そこを避けて、ひとりで読んでいた。今まわりにあるのと別の世界がそこにあった。」この言葉を、戦時下の教会についての私の論稿のエピグラフに引用している。日本の教会は、この問いに向き合わねばならない。
鈴木唯生『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)芥川賞受賞作で、バプテスト連盟の牧師の息子が書いたことで話題の書。友人に勧められて一読。ゲーテの名言とされる「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という言葉の出典と真偽をめぐって、ゲーテ研究者とその家族、学会周辺に起こる出来事が描かれる。全編ペダントリーな議論のオンパレードで、西南学院大学大学院に在籍し、まだ24歳という若き作者の博覧強記振りに感嘆させられる。しかし一方で、これが2025年のこの国を代表する文学作品だろうかとも考えさせられ、寂しく感じた。芥川賞受賞作に目を通さなくなって久しいが、ある意味でこの国の現状を反映しているとも思わされた。(戒能信生)