2015年10月17日土曜日

牧師の日記から㉘「須賀敦子さんの随筆」
書斎の入り口の壁に、文庫・新書専用の書棚があります。書庫の文庫・新書類はまだ整理がつかず段ボール箱につめ込んだままだったのを、羊子が何箱か開けてこの書棚に並べてくれました。引越しの時、大量に書籍の処分をして、再読しないと思われる文庫類は千冊以上ブックリサイクルに送りましたので、残っているものは、言わば私の愛読書ということになります。同じ作家の同じ文庫本を繰り返し読んでいるものあります。
私の場合、これまで主に電車の中が文庫本を読む時間でした。ところが千代田教会に来てから、あまりにも交通至便な場所にあるので、どこに行くにしても電車に乗る時間が大幅に短縮されてしまいました。神学校に行くのにも、キリスト教会館に行くのにも電車の乗車時間は15分前後で済みますので、なかなか本が読めません。でも長い間の習慣で、出がけにこの書棚から文庫本を抜き出して鞄に忍ばせていくことになります。
先日、何の気なしに選んだのが須賀敦子さんのエッセー集『ユルスナールの靴』でした。須賀さんは、イタリア文学の翻訳家ですが、長くミラノに在住していた人で、晩年は帰国して上智大学の教員をしていました。彼女はカトリック系の学校を出て、パリに留学しましたが、フランスの思弁的な哲学がどうしても肌に合わず、イタリアに留学し直した人です。若い時期、カトリック左派のエマウス運動にも関わった人で、思想的にも私は親近感がありました。しかしなにより中年になって書き出した彼女のエッセーの文体が魅力的で、刊行されている彼女の本はほとんど目を通しているはずです。ミラノでの経験や、長い期間にわたる精神的な放浪の思い出、日本の家族たちとの回想などを綴ったその文章は、ある種の艶というか、リズム感があり、今回再読して、改めて他のエッセー集にも手を出して再読してしまいます。
同じイタリアに住む作家では塩野七生さんの本も結構読んでいて、『ローマ人の物語』を初め文庫本になっているものはほぼ目を通していますが、塩野さんの文体が硬質で論理的なのに比べると、須賀敦子さんの文章には抒情性があり、詩的な魅力があります。私は日本の女性作家たちの文体に馴染めず、長く食わず嫌いでしたが、どういう訳か海外生活の長いこの二人の女性の文章は愛読して来ました。

千代田教会に来たら時間的余裕が出来て本を読むことが出来るだろうと期待していたのですが、少し暇になったようだと思われるらしく、講演や原稿執筆の依頼が次々に舞い込み、その準備に追われる日々が続いています。書棚に並んだ文庫本や新書類を眺めながら、いつになったらゆっくりこれらを再読することが出来るだろうかと嘆息しています。(戒能信生)

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