2021年6月19日土曜日

 

牧師の日記から(322

613日(日)主日礼拝。ルカ福音書711-17の講解説教「もう泣かなくてもよい」。ルカだけが伝えるこの「ナインの寡婦」の物語は、イエスのガリラヤ伝承の原型が比較的保持されていると言われる。預言者エリヤの伝説が下敷きになっているが、ここでは癒された少年もまたその母親の信仰も前提とされていない。イエスの「憐み」(splangnizomai)の対象は貧しいガリラヤの民衆に拡がっている。礼拝後の聖書を読む会では、齊藤織恵さんがダビデの妻バト・シェバについて発題してくれた。

14日(月)午後、日本聖書神学校と神学生出席教会との懇談会にZoomで参加。それぞれの神学生の教会での活動や働きの報告を聞く。夜は都バスで目白まで行き、神学校での講義。この日は内村鑑三についての受講生のリーディング・レポート。なかなか力作が多く、こちらも教えられる。

15日(火)午前中、神学読書会。バルトの『教義学要綱』第7節「高きにいます神」を山田邦彦牧師の発題と紹介で取り上げた。牧師7名と信徒1名の参加。午後、『柏木義円研究』誌の印刷代などを振り込みに郵便局へ。木曜日に行われるNCA運営委員会のアジェンダを作成し、メールで各委員に送る。その後は、ひたすら矢島楫子の資料を読む。

16日(水)午後3時半から、NCAの評議員会にZoomで陪席。前年度の事業報告と次年度事業計画を承認。任期が切れる理事・評議員の構成について審議。財政的な危機の中にあるNCAを支えなければならない。夜9時から、やはりZoomである教会の後任牧師招聘の相談。コロナ禍で各教会が様々な困難を負っているようだ。合間を縫って、矢島楫子の資料読み。

17日(木)午後から、NCAの運営委員会をZoomで。コロナ禍の中で各プログラムは苦戦しているが、山口里子さんの聖書講座や私の「日本キリスト教史を読む」のアンコール講座に、それほど宣伝もしないのに、全国から90名近いZoomでの参加者がある。このような講座に潜在的な需要があるようだ。来年度、新たに「キリスト教美術」「キリスト教文学を読む」といった講座を始めようかという話になる。

18日(金)一昨日、並木浩一先生の近著『ヨブ記注解』が送られてきた。500頁近い注解書なので通読するわけには行かないが、「序論」をなんとか読み終えた。最後の部分で「ヨブ記はポリフォニック(多声的)」と説明されていて、これまでヨブ記の構造的な矛盾が一挙に解消する感じがした。つまり、導入部で苦難を雄々しく受け止めたヨブが、3章以下であれほど激しく神に議論を挑むのは何故か、さらに終結部の大団円とどう結びつくのかといった文献学的なアポリアが全体として乗り越えられるのだ。この見方は聖書全体にも適応できるのだろうかなどと考えさせられた。

19日(土)朝9時半から、NCAの理事会をZoomで。理事の役割分担を協議する。今週もZoomによるリモート会議が多かった。その利便性から、コロナ禍が落ち着いてもこの方式は定着するのではないか。(戒能信生)

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