2025年9月21日日曜日

 2025年9月28日 午前10時30分

聖霊降臨節第17主日礼拝(No.22)

               司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  28・1-

讃 美 歌  56

聖書朗読  フィリピ書2・1-11

祈  祷

讃 美 歌  393

説  教  「祈りを合わせて」

                大森意索伝道師

讃 美 歌  453

使徒信条 (9341A

献  金              石井 房恵

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、お茶の会

・週報等発送作業

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能牧師は、土沢教会創立120年記念礼拝のために2728日と出かけています。

2025年9月20日土曜日

 

牧師の日記から(534)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見俊輔『戦後思想三話』(ミネルヴァ書房)このところ視力が落ちてきたせいで小さい字の文庫本が読みにくい。全く読めないわけではないが、長時間読んでいると疲れてしまう。そこで、本箱から既に読んだことのある比較的大きな活字の書物を引っ張り出して再読することになる。鶴見俊輔のこの本もその一冊。1980年代に日高六郎さん(懐かしい!)が続けていたセミナーの後を受けて、鶴見さんが自由に戦後思想について語っている。この本の中で先ず取り上げられているのが吉田満。『戦艦大和の最後』の著者として知られるが、戦後は日本銀行の役員として働き、『日本銀行史』を執筆したことで知られる。江藤淳などと比較して、『戦中派の死生観』に示された吉田満の戦争責任についての姿勢を鶴見さんは最大限評価しているのだ。ただそこで吉田満がクリスチャンであることに一言も触れられていない。吉田は、戦後すぐの時期、カトリック教会で受洗しているが、その後、日本基督教団西片町教会に転会し、鈴木正久牧師の薫陶を受けている。教団議長として『戦争責任告白』を発表した鈴木牧師を、吉田さんは教会員として一貫して支え続け、『鈴木正久著作集』の編集にも携わっている。

それから本書の最後に紹介されているのが大島孝一さん。「毎月一回東京へ出ちゃ清水谷公園からのデモをやっていた。私のすぐそばでわりあい年配の人でいつも歩いている人がいるんですよ。プラカードを持って。その人と話をして、話があうんでおもしろいんですよ。別れるとき名刺をくれたんだ。名刺を見たら『女子学院院長』と書いてあった。女子学院の院長が、全くプライベートに一人の市民として毎月来てはプラカードを持って歩いているんです。びっくりしたんですよ。……この人はとにかく公私ともにそういうふうに生きてきた。私はこういう人が戦後出てきて今もいるということは、重要なことだと思う。日銀に吉田満がいたし、ここにはこういう人がいる。」

この大島孝一さんも、信濃町教会の篤実な教会員で、私自身も大変お世話になった人。鶴見さんが戦後日本のあるべき姿の体現者として評価する二人が、日本基督教団の教会員であることを嬉しく思ったので紹介する。(戒能信生)

 

2025年9月21日 午前10時30分

聖霊降臨節第16主日礼拝(No.21)

               司式 石井 寛治

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  27・1-14

讃 美 歌  540

聖書朗読  エゼキエル書37・26-28

ヤコブ書5・1-6

祈  祷

讃 美 歌  505

説  教  「富める者への警告」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  579

使徒信条 (9341A

献  金              岡﨑 大祐

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・向山功、奏楽・梅本順子

・礼拝後、オリーブの会(軽食の用意あり)岡﨑祐一さんのオルゴール演奏があります。

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・本日、大森意索伝道師は、北支区豊島岡教会の講壇奉仕で出張されています。

 

2025年9月13日土曜日

牧師の日記から(533)「最近読んだ本の紹介」

 大貫隆『福音書の隠れた難所』(YOBEL)著者から贈呈されて一読。福音書の中の難解とされるテキストについて、大貫さんの徹底したリサーチと厳密な校訂によって問題が整理される。いつもながら著者の誠実な研究姿勢に敬意を覚えた。しかし何より巻末の荒井献先生に対する「追悼講演」を繰り返し読んで改めて感銘を覚えた。大貫さんは荒井先生の言わば一番弟子であり、東京大学西洋古典学科での後任でもある。追悼講演の中で、恩師に対する最大限の評価と感謝をしながらも、学問研究の面では恩師の足らざるところ、あるいは自身との差異について遠慮会釈なく徹底的に批判している。聖書学研究所の学風と言えばそれまでだが、気持ちがいいくらいだった。「あとがき」での佐竹明先生に対する追悼と併せて興味深く読まされた。私自身は、荒井先生や佐竹先生の直接の弟子ではないけれども、様々な機会に声をかけていただき本当にお世話になってきた。お二人に改めて感謝をするとともに、先日の田川健三さんの逝去と併せて、世代の交代を痛感させられている。

塩出浩之『琉球処分』(中公新書)沖縄問題の原点に、明治政府によって琉球王国が滅ぼされた「琉球処分」があることは聞かされてきた。しかしその実態はよく知らなかった。本書は、琉球側の「尚家文書」に基づいて「琉球処分」の全過程を詳細に跡付けてくれる。琉球王国は、明・清と、薩摩を通して江戸幕府に両属する独立国家だった。それが明治維新以降、廃藩置県が適用され、最終的には日清戦争によって日本に「併合」されてしまうのだ。その根底に、沖縄を「植民地」と看做す維新政府高官たちの意識があったことが指摘されていて考えさせられた。実は、1969年の沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同の深層に、同じような問題が潜在していたのではないかと気づかされたのだ。合同する以前の沖縄キリスト教団は、WCCを初め、世界の教会と関係をもつ独立教会であった。ところが教団と合同することによって、教区の一つとして教団の統制下に置かれることになってしまった。そこに「琉球処分」と共通する問題があるのではないかと考えさせられている。(戒能信生)

  

2025年9月7日日曜日

 

2025年9月14日 午前10時30分

聖霊降臨節第15主日礼拝(No.20)

               司式 橋本  茂

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  26・1-12

讃 美 歌  521

聖書朗読  列王記上3・10-15

ヤコブ書4・13-17

祈  祷

讃 美 歌  431

説  教  「驕り高ぶるな」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  522

使徒信条 (9341A

献  金              戒能 直子

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年9月6日土曜日

 

牧師の日記から(532)「最近読んだ本の紹介」

 永瀬清子「悲しめる友よ」『流れる髪』(思潮社)先日、オリーブの会で週報のこの欄「読書紹介」について話題になった際、石垣りん、茨木のり子といった女流詩人を取り上げるのが珍しいという指摘があった。私は詩をあまり読まないのだが、この二人の女性詩人だけが例外と答えて、待てよと思い直した。もう一人、永瀬さんの詩を読んできたことを思い出したのだ。永瀬清子さんは、1995年に既に89歳で亡くなっている。私が尊敬していた井上良雄先生が、戦前、文芸評論家として活躍していた頃、「磁場」という同人誌の仲間だった。それもあって永瀬さんの詩集を時折覗いて来たのだった。例えばこういう詩。

「悲しめる友よ 

女性は男性よりさきに死んではいけない。

男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。

男性がひとりあとへ残ったならば誰が彼を十字架からおろし埋葬するであろうか。

聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから。

あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男性よりも弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性はそれにつりこまれる事はない。

これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、女子大学で教えないだけなのだ。」

 この詩が書かれたのは、1970年代で、永瀬さん自身が夫を見送り、一人息子を亡くした辛い時期だった。少し後で『関白宣言』(さだまさし)がヒットして、そのもとになったのではないかとフェミニズムの観点から批判されたこともあった。しかしこの詩を紹介した茨木のり子も指摘しているように、永瀬さんは戦前から厳しい弾圧や迫害の中で粘り強く詩を書き続け、だれよりも女性の自立を主張して来た人だ。その上で、女性は挫折した弱い男を十字架から降ろして埋葬する仕事を担わなければならないと自らのこととして書いているのだ。(戒能信生)