2025年12月6日土曜日

 

「子育て相談カフェ通信」⑦大森意索 

今年も残すところ1ヶ月ちょっととなり、もうすぐアドべントとなります。4月から子育て相談カフェを開始しましたが、今のところ子どもの相談はなく、ある意味ホッとしています。実は8月9月と自分の仕事としての相談が、なかなが大変で、私自身が、知らず知らずのうちに疲弊していました。

もともと人と話すのは嫌いではないものの、結構気を使う割にはうっかりしていることもある性格なので、対人関係は苦手と思っていました。そんな私が1時間近く、時には1時間半、話を聞き、対応することにちょっと疲れてしまったのです。特に両親二人の意見がぶつかる場面では、1時間半でも足りず、かなり難しい状況となります。その上、何の解決にもならない、時間の無駄だと言われることもあり、二重に疲れる日々でした。そうした自分ではどうすることも出来ない課題に向き合っていることは学びにはなります。が、最近は疲れ過ぎてはいけないと、どんな場合も1時間は超えないように、両親の意見が違う場合には別々に対応するようにしています。それでも時には1人の対応でどっと疲れてしまいます。そんな時もありつつ、ちゃくちゃくと(?)子育て相談カフェの準備をしています。

さて、5月からフィリピの信徒への手紙の講解(後悔)説教を始めました。準備では、いろいろと学ぶことが多く、いつもギリギリまでやっているわりには、後で考えると、バタバタしていて言葉が多すぎるなあと気付かされます。先日、数名の牧師に説教原稿の文字数をお聞きしたとこところ、私の文字数が多いことに気がつきました。余分な言葉が多過ぎるのではないかと反省することしきりです。それに、「言葉、ことば」の難しさに戸惑うばかりの日々です。そんな日々の中で、あっという間に次の説教の用意が必要になって、いつもあたふたとしています。ただ、一人ではそこまでは聖書に向き合ってこなかったのだと気付かされましたし、準備をすることで、言葉に向き合うことになりました。これも、この教会で伝道師をさせていただいたおかげだと思います。そういう促しのために、こうして人前で話すのが苦手な私が、押し出されているのだろうと思わされる、今日この頃です。          

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