2017年6月16日金曜日

牧師の日記から(113
 611日(日)この日は「花の日子どもの日」で、教会学校の生徒たちがすぐ前にあるケアハウス「ミモザの家」にお花を持って行って喜ばれた。主日礼拝ではマタイ福音書5310の「山上の祝福」を学ぶ。「さいわいである」という主イエスの祝福と、創世記冒頭の天地創造における「これを見て、良しとされた」という創造主の肯定とを結び付けて考えてみた。つまりイエス・キリストの福音は、罪の糾弾から始まるのではなく、先ず「貧しい者」「悲しむ者」「飢え渇く者」「迫害されている者」に対する全的肯定から始まっているのではないか。礼拝後、婦人会例会では、高岸泰子さんの発題で、ルカ福音書13章の「腰の曲がった女性」の記事を取り上げて学ぶ。
12日(月)午前中、神学校の授業の準備のために、鈴木範久先生の『内村鑑三の人と思想』を読み直す。『内村鑑三日録』全12巻の著者だけに、内村の日常の細部にわたって検証されており、読む度に新しい発見がある。午後、日本聖書神学校でのボイス・トレーニングに参加。礼拝で語られる言葉を豊かにするための実地訓練。夜は「日本キリスト教史」の授業。9時半ごろ帰宅すると、渡部澄彦さんが今日の夕方亡くなったとの連絡があり驚く。来週お見舞いにお訪ねする予定だったのだ。明日お訪ねし、ご家族と葬儀のことなどを相談することとする。
13日(火)朝一番で浦安の渡部さん宅へ。枕頭の祈りをし、告別式の相談。午後から教団に廻り、宣教研究所で資料の閲覧。昭和12年以降、当時の一般新聞紙上で、度々キリスト教に対するバッシングが繰り返されている。同志社騒動、救世軍事件、そして宣教師スパイ事件など。それらは、いずれも内部の反対者による運動に端を発し、文部省や検察の意図的なリークが拍車をかけ、当局の意向を「忖度」したマスコミ各社が競ってバッシング記事を掲載するというパターンが多い。ことに最近のマスコミの中に、政府寄りの立場でその代弁をする傾向が目立つこと、また現在参議院で審議されている「共謀罪」とも重ねあわせて考えさせられる。夜はそのまま、早稲田教会で行われた山口里子ゼミに出席。
14日(水)午前中は聖書を学ぶ会。出エジプト記34章の十戒の再授与を取り上げる。午後はキリスト教会館に行き、明日予定されていた管理組合委員会延期の手続きと連絡、その後宣教研究所で調べもの。夕方帰宅して明日の葬儀の準備。
15()参議院の徹夜国会で、早朝「共謀罪」が強行採決されたというニュースを見ながら、直子さんと一緒に出掛ける。10時から渡部澄彦さんの自宅で納棺式、11時から浦安市斎場で告別式と火葬。教会からは荒井眞・久美子さん夫妻が出席してくれた。この斎場は、ディズニーランドが見える海辺にあり、少し不便な場所だが、設備の整った近代的な施設で、しかも公営なので使用料も安いとのこと。夜は信濃町教会で開かれた「共謀罪」の学習会に参加。

16日(金)この日は一日在宅で、『キリスト者平和ネット』の連載コラムの原稿を仕上げて入稿。そして『キリスト教講話集』Ⅳの校正作業。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿