2017年7月15日土曜日

牧師の日記から(118
 79日(日)主日礼拝。マタイ福音書52126の講解説教「兄弟への和解の勧め」。律法の条項を取り上げて対立命題として展開される独特の箇所。「殺すな」という戒律と「兄弟に腹を立てること」を等値して、そこに本質的な差異はないと主イエスは指摘する。先週、都議選での自民党の敗北のニュースに埋もれてあまり話題にならなかったが、東京湾の中央防波堤内埋立地の帰属をめぐり、東京オリンピックを控えて、江東区と大田区が都に裁定を委ねるというニュースがあった。東京中のゴミ収集車が自分の区を通ってこの土地が埋め立てられた経緯を江東区は主張し、海苔養殖などの漁業権を放棄した見返りを大田区が主張するこの紛争は、なんと50年に及ぶ当事者同士の協議ではついに決着がつかなかったのだ。この区境争いの特徴は、自民党から共産党まで、それぞれの区議会の主張が一致していること。つまり、区境争いはイデーロギーをも越えるという典型。そして、この紛争に関係のない人々は、全く関心を寄せないということも特徴の一つ。北方領土や竹島、尖閣諸島等の国境紛争を思い出した。これが人間の現実なのだ。礼拝後、婦人会例会でルカ福音書23638の「女預言者アンナ」を萩原好子さんの発題で取り上げる。この日の夜は直子さんの誕生日ということで、家族が集まって一緒に食事をする。久しぶりに長男の嘉信も顔を出した。
 10日(月)午前中、眼科の定期検診。緑内障の方は点眼で眼圧を下げて様子を見ることが続いているが、白内障も始まっているという。年を取るということはこういうことか。夜は日本聖書神学校の授業で、柏木義円を取り上げる。
 11日(火)早朝に起き出して、『キリスト教講話集』Ⅳの再校をチェックして出版社にメールで送稿。午前中は錦糸町の賛育会病院で定期検診。可もなく不可もないという状態は感謝すべきだろう。午後、早稲田奉仕園で木曜日の講座のビデオの準備。そのまま夜は山口里子さんのゼミに参加。「からし種の譬」(マルコ43032)は、詩編の「レバノン杉に鳥が巣をかける」(10416)の言い換えではないかという解釈を提案され、考えさせられた。神の国についてのイメージを、レバノン杉の大木から、からし種の灌木へと転換しているというのだ。
 12日(水)午前中は聖書を学ぶ会でレビ記1115章を取り上げる。いわゆる清浄と穢れに関する規定の部分だが、これが食物規定としてその後の時代に大きな影響を与える。しかし、ヴェーバーが指摘するように、捕囚期の圧倒的なバビロニアの先進文明に儀礼的遮断によって抵抗した事実も考えねばならない。
 13日(木)午前中、キリスト教会館1階のNCA事務所の改装工事のために、不要な物品を運び出す作業。午後は連続講座「日本キリスト教史を読む」の2回目。この暑さの中30名近い参加者があり、部屋が狭くて往生する。

 14日(金)午前中は会館管理組合委員会。一旦帰宅して、夕刻から富坂キリスト教センターの内面史研究会。「戦前の在外邦人教会の実態」というテーマの研究発表。資料の読み込みが足りず、まとめるのが大変ではある。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿