2017年7月22日土曜日

牧師の日記から(119)「最近読んだ本の紹介」
 ジェラード・ラッセル『失われた宗教を生きる人々 中東の秘境を求めて』(亜紀書房)「父の日」のプレゼントに長男の嘉信が送って来た。奇妙な書物を見つけると、自分では読まないくせに父親には読ませようという気になるらしく、時々こういうことがある。イギリスの外交官で中東の専門家である著者が、現在のアラブ社会に生きる宗教的マイノリティーたちの現在を追ったドキュメント。マンダ教、ヤズィード教、ゾロアスター教、ドゥールズ派、サマリア人、コプト教、カラーシャ教の教徒たちの現在を紹介している。歴史の中に消滅したと思われていたこれらの教徒たちが現在でも生き延びて、その宗教的伝統と民族的自覚を今なお保持し続けていることに驚く。例えば、サマリア人は紀元前7世紀アッシリア帝国によって滅ぼされた北王国イスラエルの末裔で、福音書に「良きサマリア人」として登場する。そのサマリア人たちが、現在も残存しているというのだ。但しこれらの教徒たちは、この間のイラク戦争やISの勃興等で、居住する地を追われ、多くが難民となってEUやアメリカに逃れて来ているという。
ジェイムズ・ウィンブラント『歯痛の文化史 古代エジプトからハリウッドまで』(朝日新聞社)これも娘の羊子からのプレゼント。歯痛や歯周病のメカニズムが医学的に解明される以前の社会では、虫歯には悪魔が宿っているとされ、呪術的治療がまかり通っていたという。その迷妄の歴史を、古代エジプトから現在まで資料によって辿る。「歯痛は人を哲学的にさせる」と言ったのはキルケゴールだったと思うが、読んでいてなんだか鬱的気分になった。そう言えば、旧約聖書には虫歯についての記述はほとんどない。唯一の例外が箴言2519で「悪い歯、よろめく足、苦難の襲うとき、欺く者を頼りにすること」という一文があるだけ。但しこれは、老齢になって足腰が弱り、歯が抜け落ちるという状態を表現したものだろう。つまり古代や中世では、砂糖を口にするのはごく一部の富裕層に限られていたので、一般庶民には虫歯はほとんど見られなかったらしい。福音書においてもイエスの奇跡の癒しの中に、虫歯や歯痛は含まれていない。この国では、内村鑑三が歯痛の苦しみを歯科医に癒され、感謝する書「Dentistry is a work of Love」が軽井沢の星野温泉に残っているという。

松本宣郎『ガリラヤからローマへ 地中海世界をかえたキリスト教』(講談社学術文庫)著書の名前は聞いていたが、著書を読むのは初めて。24世紀の地中海世界でキリスト教がどのような位置にあったかを概観してくれる。新約聖書後の時代なので、直接的な資料はなく、ローマ社会の反キリスト教文書と、それに対抗して書かれた教父たちの弁明等を読み解きながら、帝国内にキリスト教がどのように受け容れられて行ったかを追っている。最近の研究成果にも目を配り、初めて知ることも多かったが、しかしどうも面白くない。結論が常識的で当たり障りのないところを押さえているという印象を否めない。キリスト教思想と地中海世界の価値観の衝突をさらに突っ込んで書き込んで欲しかった。(戒能信生)

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