2018年11月10日土曜日


牧師の日記から(187

114日(日)永眠者記念礼拝。ヘブライ書121-3から説教「雲のような証人たち」。千代田教会の関係逝去者160名、前身の大連西広場教会の逝去者を含めると、記録が残っているだけでも合わせて300名を超える「雲のような証人たちに」囲まれての礼拝。ご遺族たちも多数参加されて、礼拝後一緒に食事をしながら「信仰の先達たちを偲ぶ会」。

5日(月)午後、日本聖書神学校に行き、大量に借り出していた図書を返却する。講師の役得で、20冊まで3カ月借りることが出来るのだが、一冊返却漏れがあるとのことで、探さねばならない。夜は授業で、高倉徳太郎についての受講生たちのリーディングレポート。私も『福音的基督教』について発題する。

6日(火)小雨の中を自転車で西早稲田へ。会館管理委員会。この4年管理組合の委員長を担ってきたが、来年春の任期切れでようやく解放される。耐震改修工事の借金返済や耐用年数を超えているGHPの取り換えなど難題が山積みなのだが、後任の委員たちに任せられることになってホッとする。午後は宣教研究所の資料室で調べもの。日本基督教団『教憲』にある「公同教会」という言葉の由来について『時の徴』にエッセーを書かねばならないのだ。

7日(水)午前中聖書を学び祈る会。サムエル記上20-21章から、ダビデとヨナタンとの友情物語の個所を取り上げる。明日の連続講座で、植村環を取り上げるので、そのレジュメづくり。戦時下の環の時局迎合的な言説と、教会やYWCAなどのいわばインナーサークルにおける時局批判的な発言の矛盾・裂け目をどう読み解くかという難題がある。環の著作集に、戦時下の回想があるのを見つけたので、レジュメに加える。

8日(木)午後からNCAの連続講座で植村環について講演。参加者が狭い会場が満杯になるほどで、補助椅子を出してもらう。受講してくれた元ジャーナリストの松浦茂長さんから、ロシア駐在員だった頃の経験を聞く。ロシアでは、表向きの公的発言と、親しい友人同士のインナーサークルでの発言を使い分け、それは決して外部に洩れなかったというのだ。この国では本音と建て前の使い分けは評価されないが、独裁政権下でそれは当たり前のことだったという。この国独特の単純な正邪二元論が、重層的な歴史理解を浅薄なものにしているのではないだろうか。夕方帰宅して、明日の授業の準備。

9日(金)小雨の中を農村伝道神学校へ。授業で由木康を初めて取り上げる。ここ数カ月、由木牧師の著書を渉猟して、その生涯と信仰理解の特質を調べてきた。二葉独立教会(現・東中野教会)の牧師であるだけでなく、讃美歌作者・編纂者として、またこの国の礼拝学のパイオニアとして、さらにパスカルの翻訳者・紹介者として、この人は何人分もの仕事をして来た。戦時下の時局迎合讃美歌『興亜讃美歌』編纂から由木が除外されているところに、この「中庸の人」独特の立場が反映されているのではないかと仮説を立ててみた。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿