2024年1月20日土曜日

 

牧師の日記から(452

114日(日)主日礼拝。この日から再びルカ福音書の講解説教に戻り、2216の講解説教「ユダの裏切り」。ユダが礼拝説教で取り上げられることはほとんどない。しかしルカ福音書は、ユダの裏切りの理由について、ただ「サタンが入った」と説明するだけ。旧約以来、サタンもまた神の支配のもとに置かれているので、ルカ福音書はユダを特別な悪人として断罪していないことになる。『ユダの弁護人』という小説は、ユダはイエスに命じられてこの辛い役割を担ったとして、「福者」にすべきという「列福請願」が提出されたことをテーマとしている。K・バルトも、ユダが最初に「引き渡す」役割を担ったにすぎないとして、ユダもまた救いの中に入れられていると説明している。ユダの問題は今もなお、様々な問いを突きつけている。午後3時から、神奈川教区青年委員会主催の「青年の集い」が川崎教会で行なわれた。「教会籍ってなあに?」というテーマで私が講師を務める。私の牧会の経験から、教会籍をめぐるいくつかのケースを紹介する。25人ほどの若者?が集まり、喧々囂々の議論が続いて楽しかった。参加者の中に何人もの教え子がいて挨拶されたが、こちらはほとんど覚えていないので往生する。

15日(月)午前中、眼科の定期検診。6月に緑内障と白内障の手術を同時にすることになった。これも加齢のなせるわざ。夕方、日本聖書神学校の授業のため目白の神学校へ。学生たちが工夫した礼拝に出席する。

16日(火)午前中、神学読書会でハルナックの『マルキオン』第7章を、岡田仁牧師の紹介で取り上げる。午後は、早稻田のNCA事務所で「キリスト教と文学」の読書会。この日は長与善郎の『青銅の基督』が取り上げられる。江戸時代の初め、萩原遊佐という実在の鋳物師が、長崎奉行から依頼されて鋳物の踏み絵を制作する。それがあまりに見事な出来映えだったので、本人は否定しているのに切支丹として処刑されたという小説。芸術と信仰の問題が象徴的に扱われており、遠藤周作の『沈黙』に先駆ける切支丹小説となっている。寒さが厳しく風も強い。能登の被災地の苦労を想像する。輪島教会等に被害があったようだ。

17日(水)午後から町田の農村伝道神学校へ。この日は隅谷三喜男先生を取り上げる。帰りは、いつものように聴講生の原田さんの車で京王多摩センター駅まで送ってもらって助かる。

18日(木)『時の徴』や千代田教会の郵便振替はIT化されているが、その口座が開けないので問い合わせたところ、誤送信があったとかでロックされているという。それを解除するためには文書の提出が必要で、ゆうちょダイレクトのHPから申請書をプリントアウトし、必要事項を記入して郵送する。インターネット時代に何とも手間にかかること。

19日(金)午前中、豊洲の高岸徹・泰子さん宅を訪問。岐阜から娘さんの幸子さんも来れていて一緒に家庭集会で箴言を学ぶ。(戒能信生)

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