2025年4月27日日曜日

 

2025年5月4日 午前10時30分

復活節第3主日礼拝(No.1)

             司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  10・1-18

讃 美 歌  432

聖書朗読  列王記上17・1-7

      ヤコブ書1・1-8

祈  祷

讃 美 歌  326

説  教 「藁の書簡に学ぶ」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  403

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「立川からし種教会会堂建築のために」     梅本順子

報  告  

頌  栄  27

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、2025年度長老任職式

・定例長老会(新旧長老会)

・第1回招聘委員会

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月26日土曜日

 

牧師の日記から(517)「最近読んだ本の紹介」

 細見和之『石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と死』(中公文庫)詩人・石原吉郎は信濃町教会の教会員だった。周囲がすべてスーツ姿の中で、灰色のジャンパーを着て礼拝に出席している小柄な石原さんの姿を覚えている。しかし言葉を交わしたことは一度もない。ご自身のシベリア体験を書かれた『望郷と海』を繰り返し読み込んで、その独特の文体から決定的な影響を受けた。けれどもその難解な詩には、何度か挑戦したが遂に歯が立たなかった。その石原吉郎の詩について、ドイツ文学の研究者で詩人でもある著者が、シベリア体験とは切り離して読み解こうと試みたのが本書。中でも「ペシミストの勇気について」で知られる鹿野武一について、その妹の証言や手記などをもとにその実像を紹介しているのが興味深かった。石原は、過酷なシベリア体験の中での自分の理想像を鹿野に重ねていると分析しているのだ。管季治が紹介したエスペランティスト鹿野武一の美しい姿との落差について、それが鹿野をも打ちのめした収容所での過酷な体験を推測していて考えさせられた。

リタ・ナカシマ・ブロック、他『灰の箴言 暴力、贖罪における苦しみ、救済の探求』(松籟社)訳者の福嶋裕子さんから贈られて、リタ・ナカシマの書いた部分だけを読了した。米軍兵士と看護婦をしていた日本人女性の間に生れ、その後沖縄、ドイツ、アメリカで育ったアジア系アメリカ人女性の若き日の苦悩の歩みが物語られている。福音派系の家庭環境で育ち、日系人としてのアイデンティティーの揺らぎ、父権主義的な父親との衝突、さらに人種差別による痛苦な経験の中で、宗教学を学び、キリスト教信仰を捉え直し、博士課程まで進んで研究者として自立するに至る。まだフェミニズム運動などが拡がる以前のアメリカ社会での日系人女性の悩みと苦闘の歩みが綴られている。

和田誠『切抜帳』(新書館)和田誠さんのイラスト、カット、ポスター、似顔絵、週刊紙の表紙、装丁などが切り抜かれ、エッセーや仕事場日記、対談、脚本などと取り混ぜて編集されているオシャレな一冊。文庫本の細かい字が読めないと嘆いていたら、羊子が誕生日にプレゼントしてくれた。以来、手許に置いて暇があれば繰り返し眺めている。(戒能信生)

2025年4月20日日曜日

 

2025年4月27日 午前10時30分

復活節第2主日合同礼拝(No.52)

             司式 釜坂由理子

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  9・1-21

讃 美 歌  320

聖書朗読  ダニエル書3・16-18

祈  祷

讃 美 歌  566

説  教 「たとえそうでなくても」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  523

使徒信条  (9341A

献  金             石井摩耶子

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、2025年度定期教会総会(於・礼拝堂、ホール)お弁当の用意があります。

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月19日土曜日

 

牧師の日記から(516

 413日(日)主日礼拝。ガラテヤ書の講解説教が終わったので、この機会にいわゆる「贖罪信仰」についての私の理解をまとめて取り上げた。大正・昭和前期の煩悶青年たちの贖罪信仰において、時代や社会の問題が後景に退いてしまった事実、また罪とその赦しに集中するあまり、神の創造の豊さやおおらかな人間性の評価が二の次になってしまうことなどを指摘した。但し、そのような批判や留保を付した上で、贖罪信仰の意義を私は否定していない。礼拝後、大森意索さんの司会で受難週全体祈祷会。続いて戒能直子さんの「私の愛唱聖句」。その後、向山功さんに教会会計の監査をお願いする。いくつかの不備を指摘され、明日修正の手続きをすることになる。

14日(月)午前中、銀行や郵便局で、教会名義の通帳に利息の記帳をする。その上で、向山さん宅に出向き、監査の印鑑を頂く。午後は、神学者の福島揚さん宅で行われた柄谷行人の読書会に参加。『力と交換様式』を改めて読み直す。夜、直子さんに手伝ってもらって総会資料40部の印刷と製本を仕上げる。

 15日(火)午前中、神学読書会でカルヴァンの『キリスト教綱要初版』を深井智朗訳で読み始める。初回は、佐々木潤牧師が「献呈の辞」と初版の背景を解説してくれた。午後に予定されていた読書会「キリスト教と文学」は休止になったが、念のため事務所でしばらく待機。どなたも来られないので帰宅。

16日(水)どうも背中から左胸にかけて違和感があるので皮膚科を受診したところ、帯状疱疹と診断され抗ウィルス剤を処方された。免疫力が落ちているでの体調管理に注意するように言われる。来週の墓前礼拝と納骨式について、多磨霊園の米内屋さんに確認の電話を入れ、またご遺族の千代勝美さんたちに連絡する。墓前礼拝の準備とプログラムの作成。横森智子さんが出張で近くの旅館に滞在中とかで、イースター献金を届けに顔を出してくれる。少しゆっくり話しを聞くことができた。

17日(木)午後、子育て相談カフェで大森意索さんが来られる。二人で勉強会をしているところに、NCCドイツ委員会の菊地純子さんが久しぶりに訪ねて来られる。NCCのプログラムに引っ張り出されそうになるので、慌てて断る。(戒能信生)

2025年4月13日日曜日

 

2025年4月20日 午前10時30分

復活節第1主日合同礼拝(No.51)

             司式 石井 房恵

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  8・1-10

讃 美 歌  17

聖書朗読  イザヤ書12・1-3

      ガラテヤ書1・1

祈  祷

讃 美 歌  318

説  教 「死者の中からイエスを起された」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  326

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・石井寛治、石井房恵

献  金             石井 寛治

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後、イースター愛餐会(於・ホール)

12:45 自動車で教会を出発

14:00 墓前礼拝・千代茉香納骨式(多磨霊園千代田教会墓所 第181630番)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月12日土曜日

 

牧師の日記から(515

 46日(日)主日礼拝。ガラテヤ書の611-18の講解説教「イエスの焼印を負って」。「焼印」(stigma)というギリシア語について、注解者たちはパウロが受けた迫害を上げているが、私たちにとってイエスの焼印とは何かを考えさせられる。私たちが洗礼を受けているという事実がそれではないか。ルターが試練の中で「我は洗礼を受けたり」と机にチョークで書いて耐えたというエピソードを紹介した。礼拝後、定例長老会で教会総会の準備。教会会計の決算・予算について話し合う。会計担当の野口倢司さんが、腰の圧迫骨折で来られず、原案をもとに牧師が野口さんと相談してまとめることになる。

 7日(月)午前中、眼科で検査。辞書などの小さい文字が読めないと訴えたところ、残念ながら今以上に良くはならないと宣告。帰りに須賀神社の近辺を散歩。今年の桜の見納め。後はひたすら総会資料作成の作業。直子さんに校正をしてもらう。

8日(火)午後、久しぶりに本郷の慈愛病院に高岸徹さんを、泰子さんと共に見舞う。徹さんは澄んだ眼を開けてこちらを見ているが、声をかけても反応しない。この病院に来て丸1年が経過する。枕許でローズンゲンの今日の聖句を読んで短く祈る。帰宅後は総会資料の作成。従来は荒井眞さんにこの作業を託してきたのだが、今年は入院中でお願いできない。これまでの荒井さんの働きを改めて感謝をもって覚えさせられる。

 9日(水)午前中、皮膚科を受診。季節の変わり目のせいか、このところジンマシンの症状が出る。減らしていた抗ヒスタミン剤を毎日服用するように指示される。NCAの読書会「キリスト教と文学」の講師柴崎聰さんから電話で、腎臓結石のため入院中で、来週の読書会は難しいとのこと。参加者にメールで順延の連絡をする。堀光男先生の追悼集に寄せられた原稿を、米沢薫さんに添付で送付。原稿整理を依頼しているのだ。

 10日(木)午後3時から、子育て相談カフェのために大森意索さんが来られる。未だ相談は寄せられていないので、総会資料の校正をお願いする。一緒に柄谷行人の『力と交換様式』を読み始める。これから毎週木曜日の午後は、大森さんと一緒に学びと話し合いの時をもつことになる。(戒能信生)

 

2025年4月13日 午前10時30分

受難節第6主日礼拝(No.50)

             司式 石井 寛治

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  7・1-18

讃 美 歌  393

聖書朗読  ゼカリヤ書9・9-10

      ガラテヤ書2・15-21

祈  祷

讃 美 歌  484

説  教 「私の贖罪信仰」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  515

使徒信条  (9341A

献  金              荒井 眞

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子、

・礼拝後、受難週全体祈祷会 司会・大森意索

・「私の愛唱聖句」戒能直子(お茶の会)

・教会会計監査

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月5日土曜日

 

牧師の日記から(514)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見俊輔『隣人記』(晶文社)本棚から引っ張り出して再読。著者の交遊録が、独特の文体で記される。かなり以前に読んだので内容はほとんど忘れているが、改めて鶴見さんの簡潔な文体に感銘を受ける。以前にも紹介したと思うが、永井荷風に触れて、その日記『断腸亭日乗』から引用している。「昭和181012日 数日前より毎日台所にて正午南京米の煮ゆる間仏蘭西訳の聖書を読むことにしたり。米の煮え始めてより能く蒸せるまでに四五頁を読み得るなり。余は老後基督教を信ぜんとする者にあらず。信ぜむと欲するも恐らくは不可能なるべし。されど去年来余は軍人政府の圧迫いよいよ甚しくなるにつけ精神上の苦悩に堪えず、遂に何等か慰安の道を求めざるべからざるに至りしなり。耶蘇教は強者の迫害に対する弱者の勝利を語るものなり。この教は兵を用いずして欧州全土の民を信服せしめたり。現代日本人が支那大陸及南洋諸島を侵畧せしものとは全く其趣きを異にするなり。聖書の教えるところ果して能く余が苦悩を慰め得るや否や。他日に待つ可し。」その上で、鶴見さんは戦時下の自身の体験を次のように記す。「戦争中、私は毎日、新約聖書を読んでいた。キリスト教会にゆくと、そこではほとんど毎回、戦争讃美をするので、そこを避けて、ひとりで読んでいた。今まわりにあるのと別の世界がそこにあった。」この言葉を、戦時下の教会についての私の論稿のエピグラフに引用している。日本の教会は、この問いに向き合わねばならない。

鈴木唯生『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)芥川賞受賞作で、バプテスト連盟の牧師の息子が書いたことで話題の書。友人に勧められて一読。ゲーテの名言とされる「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という言葉の出典と真偽をめぐって、ゲーテ研究者とその家族、学会周辺に起こる出来事が描かれる。全編ペダントリーな議論のオンパレードで、西南学院大学大学院に在籍し、まだ24歳という若き作者の博覧強記振りに感嘆させられる。しかし一方で、これが2025年のこの国を代表する文学作品だろうかとも考えさせられ、寂しく感じた。芥川賞受賞作に目を通さなくなって久しいが、ある意味でこの国の現状を反映しているとも思わされた。(戒能信生)