2025年8月17日日曜日

 

2025年8月23日 午前10時30分

聖霊降臨節第12主日礼拝(No.17)

               司式 石井 寛治

黙  想         奏楽 内山  央絵

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  23・1-

讃 美 歌  467

聖書朗読  フィリピ書1・27-30

祈  祷

讃 美 歌  516

信徒講壇  「恵みとして」

               大森 意索伝道師

讃 美 歌  469

使徒信条 (9341A

献  金              内山 央絵

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能信生牧師は、本日、巣鴨ときわ教会で講壇と講演の奉仕で出かけています。

 

 

2025年8月16日土曜日

 

牧師の日記から(530)「最近読んだ本の紹介」

 石垣りん『新版 ユーモアの鎖国』(ちくま文庫)石垣りんの最初のエッセー集が文庫本で復刊されたので目を通した。詩人の日常の中から、詩がどのように生まれるかを垣間見ることができる。例えば職場新聞に掲載された戦没者の名簿に、次のような詩を添える「弔詞 ……私は呼びかける/西脇さん/永町さん/みんな、ここへ戻って下さい/どのようにして戦争にまきこまれ/どのようにして死なねばならなかったか/語ってください/戦争の記憶が遠ざかるとき戦争がまた/わたしたちに近づく/そうでなければよい/八月十五日/眠っているのは私たち/苦しみにさめているのはあなたたち/行かないで下さい皆さん、どうかここに居て下さい」

 あるいは四日市の公害を取材して、次のように記す。「立札 『高圧ガスがうまっています/異常があったらデンワを下さい』/人家の塀にはられた合成ゴム会社の木の札/矢印の左の方向に歩いて行ったら/遊園地がありました/異常があるまで遊んでいてほんとうにいいのでしょうか?」

 渡辺一夫『敗戦日記』(ちくま学芸文庫)フランス文学者渡辺一夫が戦時下に密かに書き綴ったフランス語交じりの日記が、串田孫一によって翻刻された。東京大空襲の翌日311日から始まり、815日で終わっている。冒頭にダンテのLasciate ogni eperanza「すべて望みを捨てよ」が引かれている。以下、考えさせられた記述を引用してみよう。「もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう。国民のorgueil(高慢)を増長せしめた人々を呪う。すべての不幸はこれに発する」(312日)。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない」(315日)。「まさに崩壊しようとしている祖国、だが存続しなければならぬ祖国のために。生きのびることが僕の義務だと思う。知識人としては無に等しい僕でも、将来の日本にはきっと役立つ。ひどい過ちを犯し、その償いをしている今の日本を唾棄憎悪しているからだ。」(戒能信生)

 

牧師の日記から(531)「最近読んだ本の紹介」

 先週、渡辺一夫の『敗戦日記』を紹介し、316日の日記から次の一節を引用した。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。」

それで思い出したのは、堀豊彦先生が『斎藤勇先生追慕』(東京大学学生基督教青年会『会報』78号)に寄せた文章。堀豊彦は、東大法学部教授、斎藤勇はこの国の英文学の草分けの一人、いずれも篤実なクリスチャンだった。太平洋戦争の末期近く、東京帝国大学文学部教授会の席上で、和辻哲郎、斎藤勇両教授が対立したエピソードを堀豊彦が次のように紹介している。

「故和辻哲郎教授がわが国の聖戦を主張して英米畜などに負けてたまるかと、声高らかに論ぜられた。これに対して、斎藤勇先生が戦争は悪い、戦争に聖戦などなし、彼我に五分五分の言分がある。特に一方的に、しかも人間の尊厳を汚すような米英畜などという悪罵は慎むべきであると、述べられた。すると和辻教授は更に声を励まして、斎藤先生を非国民だとして極め付けられ教授会の席で罵倒された。斎藤先生は堅く黙して剛毅なる沈黙を以て対応されたという。同席の教授たちの反応については不肖である。」

和辻哲郎ほどの知識人においても戦時下の実情はこうだったのだ。それに対し斎藤勇先生の姿勢は断固たるものだった。それでまた思い出したのが、戦後間もない頃、矢内原忠雄のある講演会での発言。矢内原の講演を聞いた聴衆が「留学して海外の事情に詳しい矢内原先生たちは戦争の実相を見抜けたかもしれないが、我々庶民には本当のことは分からなかった」と述べた。それに対して矢内原はこう応えたと言うのだ。「東京大学には、理系・文系を問わず、それこそ海外に留学したその道の専門家たちが何人もいました。しかしその人たちも見抜けなかったのです。しかし私にはこの聖書がありました。聖書を通して、あの戦争の本当の姿を見抜くことができたのです。」(この発言は伝承で、矢内原全集などを探しても見つかりませんでした。)知識人の限界と聖書の信仰の重要さを教えられる。(戒能信生)

2025年8月10日日曜日

 

2025年8月17日 午前10時30分

聖霊降臨節第11主日礼拝(No.16)

            司式 戒能 牧師   黙想           奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  22・17-31

讃 美 歌  512

聖書朗読  イザヤ書2・1-5

祈  祷

讃 美 歌  561

信徒講壇  「戦争のない世界を求めて」

                  石井摩耶子

讃 美 歌  369

使徒信条 (9341A

献  金              石井 房恵

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、オリーブの会「羊の群96号を読んで」司会・橋本茂(軽食の用意あり)

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・大森意索伝道師は、本日、西片町教会の講壇奉仕で不在です。

2025年8月9日土曜日

 

牧師の日記から(529)「最近読んだ本の紹介」

 柚木麻子『らんたん』(新潮文庫)恵泉女学園の創立者河合道と彼女を支えた一色ゆりの二人を主人公に、明治から大正、昭和の時代を駆け抜けたクリスチャン女性の歩みを小説化したもの。河合道は、伊勢神宮の神官の娘として生まれたが、家庭の事情で北海道に移住し、そこで女性宣教師と出会ってクリスチャンになる。さらに新渡戸稲造の知遇を得て、その推薦で津田梅子の卒業したブリンマー女学校に留学。帰国後は津田を支えて英学塾で教師を務めるが、さらに広い活動を求めて日本YWCAの初代総幹事を担い、さらに恵泉女学園を独力で創立することになる。一色ゆりは、もともと英学塾の教え子だったが、河合道とシスターフッドの関係を保って、結婚後も終生、道を支えて共に歩む。戦時下に、道が恵泉女学園を守るために軍用機献納運動に積極的に協力した事実なども、きちんと紹介されている。さらに平塚雷鳥や市川房江、山川菊枝、久保白落実など、この国の女性運動のパイオニアたちとの交遊と緊張関係も交えて小説仕立てで読みやすく物語られる。ただ道の若き日に新渡戸を介して出会った有島武郎の亡霊が、道の歩みに批判的に登場するところなどはちょっと首を傾げるが…。戦後、マッカーサーの副官として来日したボナ・フェラーズ准将が、河合道・一色ゆりと旧知であったことから、戦争責任から天皇を除外するのに役立ったという伝説にも短く触れられている。

 武田龍夫『嵐の中の北欧』(中公文庫)著者は外交官で、1930年以降の北欧四国の苦難の歴史を、外交史の観点から分かりやすく解説してくれる。フィンランドはソ連に何度も軍事侵攻され、デンマークは瞬く間にナチスに占領され、ノルウェーは国王がイギリスに亡命するものの実質的にドイツの支配下に置かれ、スウェーデンはかろうじて独立を守るが、その中立政策はドイツによって侵犯される。地政学的に大国に挟まれた小国の葛藤と苦悩が紹介される。ドイツ教会闘争の関連で、モルトケ伯とボンヘッファーが一緒にオスロに出張して反ナチ抵抗運動と連絡を取っていることもあり、特にナチスによるノルウェー占領の部分を興味深く読んだ。現在のロシアによるウクライナ侵攻の歴史的背景を考える上でもお薦めの一冊。(戒能信生)

2025年8月3日日曜日

 

2025年8月10日 午前10時30分

聖霊降臨節第10主日礼拝(No.15)

            司式 石井 房恵   黙想           奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  221・1-16

讃 美 歌  486

聖書朗読  ホセア書6・1-3

ヤコブ書4・1-10

祈  祷

讃 美 歌  495

説  教 「悪に抵抗せよ」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  441

使徒信条 (9341A

献  金              石井摩耶子

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、「私の愛唱聖句」岡﨑大祐

・手造りオルゴール演奏 岡﨑祐一

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年8月2日土曜日

 

牧師の日記から(528

 727日(日)主日礼拝。コヘレトの言葉3115の講解説教「時を見極めるために」。人は時間に縛られ、時間に追われるように日々の生活を送っているが、その時を自分で選ぶことも決めることもできない。しかし「神はすべてを時に適って麗しく造られる」(共同訳)とコヘレトは言う。そして「あらゆる労苦の内に幸せを見出せ」と。礼拝後、入門の会で「十戒の第六戒 汝、殺す勿れ」を取り上げる。後でいろいろ質問が出てきて往生する。その後、週報発送とらふぁえるの練習。

 28日(月)午前中、東駒形教会での月曜会に出席。近藤勝彦著『日本基督教神学小史』の高倉徳太郎の項を、真鍋孝之牧師の発題で読む。午後、金井工務店の金井社長が改修工事の請求書を届けてくれる。窓枠のサッシの補修を除き工事は終了した。相談に乗って頂いた大野二郎さんへの謝礼のことも相談する。

 29日(火)10:30から同胞教会史研究会を千代田教会で。研究会は一応終了しているが、その成果を報告書にまとめなければならない。これが難題で、一向に作業がはかどらない。10月末に一応の締め切りを設定して、作業を分担することにした。昼食に今半のすき焼き弁当を取ったところ好評だった。午後3時過ぎに、教会会計の釜坂由理子さんが四谷税務署に牧師の所得税の手続きに来られたので、私も立ち会う。

 30日(水)来週の定例長老会のアジェンダ作成と7月の説教看板の筆書き作業。これが結構大変でびっしょり汗をかきながら仕上げる。巣鴨ときわ教会での講演原稿を一応仕上げ、レジュメを添付で送る。その時の説教の準備にも手をつける。

 31日(木)いくつかの神学校に後任牧師の推薦をお願いしていたが、どこからも返事がない。やむなく催促のメールを送る。午後、大森さんと牧師会。途中で向山功さんも参加され、旧約のメシア像について難しい質問をされる。9月から教会学校の応援をお願いしたところ、快く引き受けてくださった。有難い。

 81日(金)台風が近づいたとかで、ちょっと暑さが和らぎホッとする。夜は北支区連合祈祷会がZoomであり、私が司会を担当する。小石川白山教会の早川真牧師の奨励で、この日は24名の参加。Zoomで共に祈ることも定着してきた。(戒能信生)