2016年8月4日木曜日

牧師の日記から(70)「最近読んだ本から」
常盤新平『翻訳出版編集後記』(幻戯書房)教会員の常盤陽子さんが新平さんの没後に出版された著書を何冊か送ってくれた。本書は早川書房の編集者時代の想い出を、当時の翻訳事情やゴシップ、楽屋裏まで披瀝したもの。私自身が愛読して来た海外ミステリーやノンフィクションがこのようにして翻訳出版されたのかと興味深く読んだ。ところで、神学書や注解書の翻訳が拙劣で、若い時期散々悩まされた。どうしても理解できないので、致し方なく原著を手に入れて読んでみたら、何のことはない単純な誤訳だった。訳者が十分理解できないままに翻訳していることが手に取るように判って驚いたことがある。最近はそうでもないが、若い研究者に下訳をさせて、ろくに校訂しないままの翻訳が多かったのだ。それに比べて、この国のミステリー小説の翻訳の見事さは特筆すべきではないか。その背後に常盤新平さんたちパイオニアの苦労があったことを改めて知った。
常盤新平『私の「ニューヨーカー」グラフィティ』(幻戯書房)著者が愛読していたアメリカの週刊誌『ニューヨーカー』の記事の紹介に始まり、そこから見えてくるアメリカ社会の断面を描いたエッセー集。どこかで読んだことがあると思って初出一覧を見ると、『暮らしの手帖』に連載していたものだったようだ。この中で、「自分の文章を妻や娘たちは読まない」というくだりがあってニヤッとさせられた。我が家でも、私の書いた論文などを直子さんや子どもたちは読まない。最初の内はせっかく苦労して書いたのだからと見せていたのだが、最近は諦めている。時折、校正を手伝ってもらったりはするのだが、感想などを聞くことは自己規制している。
岩本二郎『セメント公害トマレ』『写真集 セメント公害トマレ1974-1978』(自費出版)隠退教師の岩本牧師が送ってくれた。1970年代、西中国教区の美祢教会の牧師だった頃、地域にあるセメント工場の公害問題に市民運動として取り組んだドキュメント。牧師を隠退し、胃ガンを宣告されて、自分に出来ることをしておかねばと考えてまとめたという。企業城下町で、研究者たちの支援を受けながら、地道にコツコツと積み重ねた市民運動の貴重な記録になっている。ただ、この中に教会がほとんど出て来ない。市民運動として敢えてキリスト教色を出さないことは理解できるが、このような運動に牧師が関わった際の教会員の反応や軋轢について知りたいと思った。

吉本隆明『なぜ、猫とつきあうのか』(講談社学術文庫)吉本さんの書いたものはほとんど目を通してきたはずだが、これは見逃していた。近所の野良猫との付き合いなど、いかにも吉本さんらしい応対で、楽しく読んだ。千代田教会にも野良猫が出没し、いろいろ面倒なこともあるが、基本的には自由にさせている。最近は警戒心が薄れて来たのか逃げなくなった。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿