2016年12月23日金曜日

牧師の日記から(89)「最近読んだ本の紹介」
サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』(白水ブックス)学生時代に観たこの不条理劇は未だに忘れがたい印象を残している。その脚本を見つけたので買って読んでみた。登場人物の無意味なおしゃべりが巧みに構成されており、演劇で観るのとはまた違った印象を受けた。ゴドー(つまり神)を待ちながら、無為に過ごしている現代人の姿が痛烈に皮肉られている。しかしこの無意味なセリフを覚えなければならない役者はさぞ大変だろう。アドリブを入れて、現代風に(なにせ60年前の作品なので)アレンジするとどうなるのだろうか。
村上春樹『女のいない男たち』(文芸春秋)本屋さんで村上春樹の新作文庫本を見つけたと思って手に取ってみると、かすかに読んだ記憶がある。帰って探してみると、単行本を買って読んでいたのだ。しかし内容をすっかり忘れていたので再読した。若い時期の著者が書いた恋愛ものとはかなり異なる雰囲気の短編集で、深読みせずにただ単純に読書の楽しみとして読むことができる。
飛田雄一『現場を歩く、現場を綴る 日本・コリア・キリスト教』(かんよう出版)古い友人である著者から贈呈された。長く神戸学生センターの館長をしている飛田さんは、在日韓国・朝鮮人問題に深く関わり、その活動の中で出会った研究者や作家たちを講師に、実に魅力的なセミナーや講座を組織して来た。私は関西圏の運動状況に暗いので、教えられることや気づかされることが多かった。何より飛田さんの党派性(キリスト教も含めて)にこだわらない腰の軽さと自由さに惹かれる。現場感溢れる飛田さんらしい好著。一緒に贈呈された『心に刻み、石に刻む 在日コリアンと私』(三一書房)は、横行するヘイト・スピーチの歴史的背景を追ったもので、そのまま在日コリア運動史になっている。
C・シュトローム『カルヴァン 亡命者と生きた改革者』(教文館)これも訳者の菊地純子さんから贈呈された。小さな書物だが、宗教改革者カルヴァンの歩んだ軌跡を、最近の研究も踏まえて描き出している。そもそもカルヴァンという人は自分自身のことをほとんど語らない人だったので(『キリスト教綱要』という分厚い神学書の中で、「私は」という主語が二度しか出て来ないという神話がある)、いつカトリックからプロテスタントに回心したかすら不明なのだ。それもあってか、旧・日本基督教会系の牧師たちの中には、説教の中で自らのことに全く触れないという伝統が生まれたされている。私自身は、自分の失敗談などを紹介することが多いので、逆に自らを全く語らないカルヴァンに興味がある。

KAWADE夢ムック『文藝別冊 カール・リヒター』(河出書房新社)『マタイ受難曲』を初め、私が聞いて来たバッハのほとんどはリヒターの指揮やオルガン演奏のものが多い。他の指揮者のものと聴き比べているわけではないが、バッハと言えばリヒターという定説が出来てしまっている。最近、古楽器によるバッハ演奏が流行り、その点からリヒターはもう古いとする評価があるそうで、バッハ音楽の解釈と振興に生涯を捧げたこの人を再評価する内容になっている。(戒能信生)

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