2017年4月21日金曜日

牧師の日記から(106
 416日(日)復活節第一主日礼拝。Ⅱテサロニケ書21317による講解説教「救われるべき初穂として」。実はⅡ書簡には、キリストの十字架と復活について一言も言及がない。パウロの真筆ではないという所以だ。ただ「初穂」(13節)という言葉が、「キリストは死者の中から復活し、眠りについた者たちの初穂となった」(Ⅰコリント書1520)と、復活と結び付けられてパウロによって用いられていることを取り上げて説教を作成した。復活について何も記されていない箇所から復活について説教するという初めての経験。礼拝後、野口洋子さんの指導で、教会学校の子どもたちがイースターを祝うイベント。子どもたちと共に主の復活を祝うことができた。礼拝後、愛餐会。その後、車に分乗して多磨霊園へ。3時から墓前礼拝。その留守中、礼拝堂ではフルート・アンサンブル「らふぁえる」の総練習。521日の創立記念コンサートの予行演習だそうだ。
 17日(月)午前中、四ツ谷駅近くの白戸眼科で受診。初期の緑内障で、定期的に検査を受けている。今のところ点眼薬で眼圧を下げる処置を続けている。夜は日本聖書神学校の授業。図書館で柴崎聰さんの詩集や詩論を借りて帰る。7月にNCAのプログラムで、柴崎さんにインタビューをする企画があるので、その準備でもある。私はほとんど詩を読まないので、まさに俄か勉強ではある。
 18日(火)午前中、神学読書会。4月からモルトマンの『希望の倫理』を取り上げるので、訳者の福嶋揚さんに来て頂き、モルトマン神学について紹介をしてもらった。13名の参加(内信徒は4名)。夕方、丹恵理加さんの受洗準備会。
 19日(水)聖書を学ぶ会で久しぶりに出エジプト記の学び。この日は22章の判例集を取り上げる。隣人の財産を侵害した場合の代償について細かく規定されている。そこでは刑罰よりも代償に重点が置かれている。一方で、この国では犯罪に対する刑罰は考えられるが、代償はほとんど顧みられない。それが、戦時・戦後補償についての理解の欠如と結びつき、戦争責任を曖昧にさせているのではないかと改めて考えさせられた。午後は、NCA2016年度の事業報告の作成。
 20日(木)午後からNCAの事務所へ。管理組合の仕事を処理し、NCAの賛助会員の名簿の見直し作業。その帰りに国際医療センター病院に大坪正雄さんを見舞う。すぐ近くの戸山図書館に立ち寄ったが、残念ながら館内整理日で休館。7月の内面史研究会での発表の準備のため、大連関係の資料を探している。日露戦争後の大連市の発展と西広場教会との関連を調べているのだが……。
 21()この日は偶々体が空いたので、直子さんと羊子と一緒に上野の東京都美術館にブリューゲルの『バベルの塔』を観に行く。思ったよりも小さな絵で、そこに実に緻密に細部まで書き込まれている。同時代のネーデルランドの画家たちやボスの絵も観て回り、宗教改革の影響についても考えさせられた。

 22日(土)早朝、池袋西教会で池袋朝祷会に出席し、奨励。朝食を共にして解散。午後は四谷新生教会での北支区社会部主催の集会に顔を出す。(戒能信生)

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