2017年5月12日金曜日

牧師の日記から「最近読んだ本の紹介」(109
 村上春樹・川上未映子『みみずくは黄昏に飛びたつ』(新潮社)作家川上未映子が村上春樹にLong Interviewをした記録。対談という形ではなく、あくまでインタビューとして構成されている。最近作『騎士団長殺し』発表直後というタイミングで、この長編小説の着想から展開、どこで締めくくりをつけるのかまで、微に入り細を穿って質問し、この稀有な作家の内面にまで迫ってその創作の秘密を聴き出そうとしている。村上春樹も積極的に答えているのだが、文体論についての他は、ほとんどはかばかしい返事が返って来ない。よく分らない、あるいは気がつかなかったという答えが繰り返される。つまりこの小説家は、まるで巫女のように自分の中に降臨した物語を文章として綴っているだけだという。中でも私が興味を惹かれたのは、村上春樹が「自我の問題」を考えることを避け、なるべく通り過ぎるようにして自らの地下を掘っているというくだり。それは、なぜ村上春樹の小説がこんなにも売れるのか、あるいは世界中に翻訳されて読まれるのかという最大の謎に対する一つの答えかも知れない。この点を自分の問題意識に強引に引き寄せれば、こうなる。この国のプロテスタント信仰において、自我の問題は中心的な課題であった。しかし特に1980年頃から、自我とか罪意識を媒介にしたアプローチが若者たちには全く通じなくなっている。若者の教会離れという現象とどこかで重なっているのではないか。柄谷行人が、村上春樹の小説について、明治期の国木田独歩のような位置にあると指摘しているが、その点とも関連するのではないか。ともかくし面白く刺激的なインタビュー録だった。
 茨木のり子『詩のこころを読む』(岩波ジュニア新書)詩をほとんど読まない私も、この国の代表的な詞華集として、ずいぶん以前このアンソロジーに目を通している。この7月に詩人・柴崎聰さんにインタビューすることになり、その準備として読み直した。改めて茨木さんの紹介に添って優れた詩を味わい、豊かな時間をもつことができた。優れた詩は、読み手を様々な連想に誘う。

加藤常昭『竹森満佐一の説教 信仰をぶつける言葉』(教文館)千代田教会とも深い関係にある竹森先生の説教について、その愛弟子である加藤常昭牧師が詳細な分析を試みて再評価している。興味深かったのは、加藤先生が神学生として最初武蔵野教会に行ってみたが、熊野義孝牧師の説教にどうしても馴染めず、吉祥寺教会の竹森先生の説教によって薫陶を受け、大きな影響を受けることになったという率直な告白。しかし熊野先生の地味な講解説教によって信仰を養われた人も少なくない。つまりどのようなタイプの説教が正解であるとは言えないようだ。本書を一読していろいろ学ぶことが多かったし、教えられることもたくさんあった。ただ私自身は、竹森先生の説教の文体にどうしても馴染めないものを感じてきた。典型的には、語尾がすべて「……であります!」で終わっている点で、読んでいてどうしても気にかかる。当時の多くの説教がそうだったらしいのだが、違和感を否めない。(戒能信生)

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