2018年2月10日土曜日


牧師の日記から(148

24日(日)主日礼拝。出エジプト記20章から「十戒」の講解説教の一回目。人格的な拝一信仰から倫理が始まることを改めて考えさせられた。日本の教会は、明治以降この第一戒の問題を真剣に受け止めることを回避して来たのではないか。そしてこの第一戒が曖昧にされたところには、キリスト者の倫理も本質的な意味で成立しないのではないだろうか。戦時下の教会の在り様を直視するとき、今日もなおこれはこの国の教会の大きな課題であると考えさせられる。

5日(月)北陸地方は大雪とのこと。降雪に悩まされる過疎地の教会の大変さを思う。以前、東北教区総会に取材に行ったとき、「雪害対策費」という予算項目について議論が交わされていた。ある教会で、高齢の牧師が教会堂の屋根に降り積もった雪降ろしをしていて落下し大怪我をしたことがきっかけで、教区予算に雪害対策費が設けられたとのこと。降雪地帯の友人の牧師によれば、日曜日の朝、駐車場に積もった雪掻きが牧師の責任という。夜は王子教会での支区常任委員会に出席。3月の支区総会の準備。私はこの春で常任委員の任期が切れるので、もっと若い牧師に交代してもらうべく下工作をする。

6日(火)午前中、直子さんと羊子と一緒に上野の東京都美術館にブリューゲル展を見に行く。今回の展観は、ピーテル・ブリューゲルの大作はほとんどなく、その画業が息子や孫たち一族にどのように引き継がれていったのかが中心。16世紀から17世紀にかけて、オランダがスペインから独立し、アジアへの交易で隆盛を迎えた時期の絵画がどのように展開されたのかが伺えて興味深かった。それまでの絵画は、宗教画や貴族たちの肖像画など、パトロンたちの要望に応えるものだった。ところがブリューゲルは、変哲もない農村の風景や貧しい農民たちを描く。またごく小さな絵が多いことにも気づかされた。それは大きな絵を買う余裕がない人々が極小の絵を求めたことと関係するだろう。以前見た「バベルの塔」が実に細密に描かれているのに驚いたが、この細密画の技法が用いられているのだと得心した。一緒に食事して、羊子は職場へ、私たちは御徒町を散策し、直子さんに肩掛けカバンを買ってもらった。

7日(水)午前中、聖書を学ぶ会でヨシュア記35章を取り上げる。ヨルダン川を渡渉し、いよいよ約束の地に入る。そこで改めて割礼をしたというエピソードが出てくる。割礼はユダヤ民族であることの徴とされているが、創世記や出エジプト記の例では、異民族を受け入れる際の儀礼という意味合いがある。ヨシュア記の例も、先住の下層民たちを積極的に受け入れるためではなかったのか。

8日(木)午前中、姉の恵子が訪ねてくる。午後から西早稲田のキリスト教会館に行き、会館管理委員会の仕事やNCAの事務仕事。3月の神学生交流プログラムの準備。夜は東京バプテスト神学校の授業。この日は北森嘉蔵を取り上げる。

9日(金)夕方から浦安教会の招聘委員会の感謝会に招かれる。後任牧師の人事が順調に推移したからだが、必ずしもうまくいかない場合もある。(戒能信生)

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