2018年3月11日日曜日


牧師の日記から(152

34日(日)主日礼拝。十戒の講解説教の四回目「安息日を覚えて聖とせよ」。 以前、戦時下の教会の様子を聞いて回っていた時、ある老婦人が証言してくれた。「戦争も末期の頃、『月月火水木金金』の掛け声で『日曜休み返上』になって、礼拝出席者もガタ減りしたわね!」調べてみたところ、昭和191月に閣議決定された「決戦非常措置要綱」の末尾に、「官庁休日ヲ縮減シ常時執務ノ態勢ヲ確立ス」とある。これによって役所や工場などは「休日返上」になった。戦時下に「日曜日返上」とされたことの意味を受け止め直す必要があるのではなないか。

5日(月)午後からイエズス会の鎌倉黙想の家で第9回神学生交流プログラム。今年は8神学校から13名の神学生が参加。校長はいつものように関田寛雄先生、講師は関西学院の神田健次先生。神田先生はご自身の歩みを振り返りながら、エキュメニズムとの出会いと展開を語られ、感銘深く聞いた。このプログラムは、司会進行から晩祷や朝拝まで、すべて参加神学生の自主的な運営に委ねている。私は責任者としてそこにいるだけ。夜遅くまで、若い神学生たちと語り合う。

6日(火)午後、フィールドトリップとして北鎌倉の東慶寺を訪ねる。神田先生のゼミ生が住職と結婚されており、その伝手で普段見られない奥院まで案内されご本尊などを拝見する。この寺に秘蔵される「葡萄蒔絵螺鈿聖餅箱」も実見できた。桃山時代の作とされ、国の重要文化財に指定されている。「聖餅箱」というのは、カトリック教会のミサのホスティア(パン)を入れる箱のことで、イエズス会のロゴマークが記されている。この東慶寺にどのような由来で伝わったのかは不明とのこと。想像を逞しくすれば、徳川家に連なるキリシタン女性がこの尼寺に匿われた際に持ち込まれたのではないだろうか。

7日(水)神学生交流プログラムの最終日。全体のまとめや報告書作成の相談をして閉会礼拝、昼食で終了。参加神学生たちはそれぞれの神学校に帰って行った。短く反省会をして、関田先生と一緒に帰京。電車の中でいろいろ話し合う。先生は今年で満90歳になるとのこと。来年の第10回の校長をお願いしたところ、講師は私が責任を負えと言われる。それもまたやむを得ないだろうか。

8日(木)午前中は、キリスト教会館の管理組合委員会。午後から日本クリスチャン・アカデミー関東運営委員会の新しい所長代行を担ってくれる原牧人牧師に来てもらって、横野朝彦牧師と共に引き継ぎの打ち合わせ。この責任もあと2年で次の人に引き継がねばならない。その後任を探すのが難題!

9日(金)午前中、四谷税務署で確定申告の手続き。昨年はマイナンバーを提出しないことで多少揉めたが、今年はすんなりと受領された。午後から、北支区の被災地支援委員会の集会で弓町本郷教会へ。爆発した福島第1原子力発電所に一番近い(24キロ)原町教会の中野道彦牧師から教会や付属の認定こども園の様子を聞く。夜はそのまま北支区連合祈祷会で中野牧師の奨励。311からまる7年が経過する事実を改めて考えさせられた。(戒能信生)

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