2018年3月17日土曜日


牧師の日記から(153

311日(日)主日礼拝。十戒の講解説教の5回目「汝の父母を敬え」。古来の儒教的な孝養の勧めとこの第五戒とはどこが違うのか。古代社会の厳しい生存環境において、生産活動に寄与できなくなった老人は遺棄されたという。この国でも各地に「姨捨伝説」が残っている。この第五戒は、本来そのような社会的弱者を尊重する家族倫理を共同体規範の基礎としたところに特徴があるのだろう。礼拝後、婦人会例会で石井房恵さんの発題でアブラハムの二人の妻サラとハガルを取り上げて話し合う。石井さん夫妻の物語が面白かった。先週末からネットとの接続が不調で、週報のブログもアップできない状態だったが、午後、息子の謙が来て調整してくれて助かった。無線runにしているのが原因のようだ。

12日(月)午前中、富阪キリスト教センターでの『キリスト者平和ネット』の事務局会議に出席。その機関誌にこの3年ほど毎月「戦時下の教会」というコラムを連載してきた。しかし貴重な紙面を私一人で続けるのもどうかと考え、その引継ぎの相談。連載の責任から解放されてホッとする。午後、駒込の割烹で北支区教師会。昼食を共にし、この春離任する教師たちを送別する。

13日(火)午前中、神学読書会で出村和彦著『アウグスティヌス』(岩波新書)を、富阪キリスト教センターの岡田仁牧師の丁寧な紹介で読む。出席は牧師6名、信徒2名の計8名。宮谷宣史さんの『アウグスティヌス』(講談社)とも読み合せて、久しぶりにアウグスティヌスの文章に触れた。キリスト教教理が、いかにこの古代教父に由来しているかを改めて教えられた。しかしそもそも5世紀の北アフリカ一帯のローマ植民都市の実態が分からない。ムーア人やベルベル人を初めとする先住民たちにまでキリスト教は根付いていたのだろうか。それともキリスト教はあくまで支配者の宗教に留まっていたのか。いくつかの研究書を見ても、この肝心の点についてはほとんど言及がない。頼んでいた磯部隆『ローマ帝国の黄昏とアウグスティヌス』とゴンサレスの『キリスト教思想史Ⅱ』が届いたので、その点に注目して読んでみよう。

14日(水)午前中、聖書を学ぶ会・祈祷会。この日から士師記の学びが始まる。王国成立以前の部族連合時代の一時的指導者であった士師について、最近の研究でもその実態はよく分かっていない。しかしデボラやギデオン、そしてサムソンといった興味深い指導者が次々に登場する。この機会に勉強してみよう。

15日(木)一日、NCAの事務所に張り付いて仕事。AVACOを聖書協会が救済合併するとの正式な通知があった。キリスト教会館からAVACOに貸し付けをしているので、その対応を考えねばならない。3時から今年度最後の運営委員会。

16日(金)午後から富阪キリスト教センターでの内面史研究会に参加。この研究会もそろそろ締めくくりをして、研究成果を書籍にまとめなければならない。一般の信徒にも読んでもらえるような文体で書いてみようと相談したが、出版社との交渉が厄介ではある。(戒能信生)

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