2018年4月7日土曜日


牧師の日記から(156)「最近読んだ本の紹介」

渡辺京二『バテレンの世紀』(新潮社)江戸末期のこの国の姿を、来日した外国人たちの眼にどのように映ったのかを通して名著『逝きし世の面影』として紹介した著者が、今度は室町から江戸初期までの時期の異国人たちとの折衝を考証した大著。最近読んだ書物の中でも出色の好著で、耽溺するようにして読んだ。江戸末期の開国の時代をセカンド・コンタクトとすれば、ポルトガルの商船や宣教師たちの来日はファースト・コンタクトだったわけで、その両者を比較する視点から描かれている。大航海時代の初め、アフリカ西海岸へのポルトガルの進出(プレスター・ジョンを捜す目的から始まり、金の獲得、そして奴隷狩りへと至る経緯を初めて知った)から、やがて喜望峰を回ってインド洋に達し、さらに日本へと到る道筋を丹念に紹介してくれる。ザビエルやフロイスなどの宣教師たちの残した膨大な記録を渉猟して検証し、結果としてキリシタン史の全貌が描き出されることになった。キリシタン史研究については、宣教師たちの残した数多くの資料があり、研究者も多く、また各地の郷土史研究者のキリシタン弾圧史研究の蓄積がある。しかし、カトリックの立場から書かれたものと、日本側の研究は齟齬して容易に噛み合わず、その全貌が見渡せない恨みがあった。渡辺京二のこの労作は、その意味でも出色なのだ。ザビエルの宣教の実情、ポルトガルによる交易の実態、当時の仏教僧たちとの論争、織田信長や豊臣秀吉、さらに九州の各大名たちの交易による実益、イエズス会と他の宣教会との対立と抗争、そしてキリシタン信徒たちの信仰理解といった多岐にわたる論点を、比較的公平に分析してその全体像を見渡してくれる。天草次郎の島原の乱の実相についても、それが苛政に対する一揆だったのか、それとも宗教的反乱だったのかについても説得的な理解が提示される。いわゆる専門的なキリシタン史研究者でない著者が、先行研究を踏まえて、これだけの労作を残してくれたことに脱帽した。

磯部隆『ローマ帝国のたそがれとアウグスティヌス』(新教出版社)このところアウグスティヌス関連の書物を集中して読んでいる。神学読書会で岩波新書の出村和彦『アウグスティヌス』を取り上げたことがきっかけ。山田晶や宮谷宣史の著書を書棚から引っ張り出して読み直し、さらに磯部隆のこの本を取り寄せて読んだ。ローマ帝政末期の政治的混乱の中で、北アフリカにアウグスティヌスが登場する。彼はそれまで多様であった初期教父たちのキリスト教理解を、ギリシャ哲学、特に新プラトン主義を取り入れて整理し、さらにドナティスト論争やペラギウス論争などを通して基本的なキリスト教理の骨格をまとめている。この書物は、その当時の政治的混迷とアウグスティヌスの思想の関連を、なんと小説仕立てで説明する。すなわちアウグスティヌスの死の直後、その弟子の一人アリピウスの回想と、ローマ帝国滅亡の推移を交互に重ね合わせる仕方で、アウグスティヌスの神学が組織だった教理として書かれたのではなく、その時その時の状況の中で成立したことを明示してくれる。(戒能信生)

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