子育てカフェ通信④
8月も後半になりました。ときどきスコールのような雷雨があり、日本も最近はまるで亜熱帯気候のようになりました。暑さのなかで、セミが鳴く季節ですが、今年は梅雨の雨が少なかったためか、セミも例年よりも少ないそうです。私は毎月1回、岡山に行っておりますが、今回は岡山の教会について説明することにしました。
岡山御津キリスト教会という名称で、単立の教会です。私の両親は、もとは千代田教会から近い市ヶ谷の場所にあった、日本基督教会の市ヶ谷教会に属していました。市ヶ谷教会は東京大空襲で焼けてしまい、戦後は池袋西教会に移行しました。で、戦前に市ヶ谷教会で結婚した両親は、父親が中国の宣教師となったため、一緒に中国に渡ったようです。しかし、中国人の中に入っての宣教でしたので、かなり過酷だったようで母は体調を崩し、一人帰国しました。父は中国で敗戦を迎え、その後帰国しますが、中国への宣教と謝罪の思いが強かったため、何とか中国に戻りたいと願っていたようです。しかし中国は混乱の後共産党支配となり、宣教師を受け入れる状況にはありませんでした。このため戦後は、父は北海道や東京、岡山と移って、大陸への足掛かりはないかと私の小さい頃は台湾を行き来していたようです。
同じく戦後、中国での宣教が困難となっていたため、中国から岡山の地で宣教をすることになった、スウェーデンミッションの日本聖約キリスト教団から誘われて、岡山の地に教会を作ることに協力することになったのでした。こうして1952年に岡山御津キリスト教会ができたのでした。父は中国でもそうだったのだと思いますが、教会はその地域の人たちがつくっていくものであり、宣教師はあくまでお手伝いという意識が強かったのでしょう。詳しい事情はわかりませんが、おそらくスウェーデンミッションの宣教師と何らかの対立があり、その教団から出る形で単立教会となったのでした。私は知りませんでしたが、姉によりますと、このことで、我が家の生活がガラッと変わったとのことです。
こういう経緯で、岡山御津キリスト教会は73年前にでき、教会員は数名の小さな教会ですが、私も月1回礼拝に出席することにしています。そして、これからも地方の教会の視点ももって伝道師としてやっていきたいと思っています。(大森意索)
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