2025年10月26日日曜日

 

2025年11月2日 午前10時30分

聖霊降臨節第22主日・永眠者記念礼拝(No.27)

                司式 釜坂由理子

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  33・1-12

讃 美 歌  463

聖書朗読  創世記36・1-22

祈  祷

讃 美 歌  496

説  教  「ベニヤミン(私の幸いの子)」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  385

使徒信条 (9341A

献  金              萩原 好子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・礼拝後、「信仰の先達を偲んで」(お茶の会)

・持ち寄りランチ(於・ホール)

・定例長老会

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。ご利用ください。

2025年10月25日土曜日

 

牧師の日記から(538)「最近読んだ本の紹介」

 トム・フィリップス『大失敗の世界史』(河出文庫)著者はイギリスのジャーナリストで、痛烈な皮肉とユーモアを交えて世界史の数々の失敗例を紹介する。面白がって読んでいくうちに、ヒトラーについての言及の部分が気になった。ヴァイマル時代末期、政党が多党化し、どの政党も多数を取れずに政局が混乱する。ナチスに人気が集まり、比較第一党になる。前首相のパーペンは、粗野で政治のド素人のヒトラーを頭からバカにし、意のままに操れるとタカをくくって連立内閣を組み、ヒトラーを首相に、自らは副首相に就任する。危惧する仲間にパーペンは、「二か月もすれば、あの素人は政界の片隅に追いやられているだろう」と豪語していた。しかし実際には二か月後、パーペンは政界を追われ、ヒトラーは全権委任法によってすべての権力を握ってしまった。そこからヒトラーの暴走が始まった。トランプ政権の迷走や日本の政局の混迷を見るにつけ、なんだか恐ろしくなってきた。知識人たちが馬鹿にしてきた政治家が、いつの間にか絶対権力を握りかけているのだ。著者はこう指摘している。「間抜けな男が手前勝手な裁量で政権を支離滅裂に振り回し、自分ならこの間抜けを手のひらで転がせると侮った自信過剰の側近たちが、破局に至る道を助けたのだ。」

 鶴見俊輔・網野善彦『歴史の話』(朝日新聞社)「網野史学」で知られる歴史家と市井の哲学者の初めての対談集。日本の歴史について縦横無尽に語られていて興味津々。その中で山中共古について短く触れられている。先日、野口洋子さんから、ボランティアをしている新宿歴史博物館の展示で、この近くで生まれた山中共古という牧師が紹介されていたが知っているかと尋ねられて驚いた。山中共古(後に「山中笑」と改名)は、幕末期に、教会のすぐ近くの西念寺(私の散歩コース)に、幕臣の次男として出生。14歳の時、皇女和宮の近侍として登用され、明治維新と共に駿府へ移住。そこでメソジストの宣教師の感化を受けて21歳で受洗、東洋英和学校(後の青山学院)を卒業してメソヂスト教会の最初期の牧師になる。長く山梨県下で牧会する傍ら、民俗学の研究で知られる。キリスト教界でよりも、この国の民俗学のパイオニアとして有名なのだ。(戒能信生)

2025年10月19日日曜日

2025年10月26日 午前10時30分

聖霊降臨節第21主日礼拝(No.26)

                司式 石井 房恵

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-10

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  32・1-11

讃 美 歌  361

聖書朗読  マルコ福音書1・16-20

祈  祷

讃 美 歌  369

説  教  「漁師たちへの呼びかけ」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  404

使徒信条 (9341A

献  金              津金 寿子

報  告  

頌  栄  84(二度繰り返す)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後 バザー会場づくり

・昼食 ホールで各自昼食をお取りください。

12:30 バザー開店

13:00 オルゴール演奏(岡﨑祐一)

14:00 バザー閉店、かたづけ作業

・翌週の永眠者記念礼拝会場設営

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。 

 

牧師の日記から(537)「最近読んだ本の紹介」

 池田澄子・福島申二「対談『戦争が廊下の奥に立つ』時代の俳句のこと」『世界』10月号(岩波書店) 私は俳句には全くたしなみがない。しかし戦前・戦中の時代、俳人や川柳作家たちが治安維持法に問われて逮捕されたと聞いている。歌人たちにそのような例はほとんどなかったそうだ。なぜ俳人だけが弾圧されたのか興味があった。池田さんは『世界』の「岩波俳句」の選者、福島さんは朝日新聞の「天声人語」を長く担当し、しばしば俳句を取り上げたことで知られる。

「戦争が廊下の奥に立ってゐる」渡邊白泉

平易な言葉で、戦争が日々の暮らしのすぐ傍らに入り込んできている事実を鋭く描き出している。「銃後俳句」の一句。

「夏の海水兵ひとり紛失す」渡邊白泉

人が部品か工具のように扱われる異様と非情を万の言葉にもまして浮かび上がらせます。(福島評)

 「出征ぞ子供等愛犬は歓べり」三橋敏雄

何も知らない子供や犬ははしゃいでいるが、本人や家族は喜んでいないことを鮮やかに切り取っている。「は」を「も」に換えると何の変哲もない句になる。(池田評)

 「手も足ももいだ丸太にしてかへし」鶴彬

 「屍のゐないニュース映画で勇ましい」鶴彬

 「銃剣で奪った美田の移民村」鶴彬

これは川柳で、川柳作家の方が先に弾圧された。鶴彬は昭和13年に獄死しています。言っていることがモロですからね。まるで捕まるのを覚悟している感じもある。(福島評)

 「戦死せり三十二枚の歯をそろへ」藤木清子

忘れられていた俳人を宇多喜代子さんが発掘された。切ない、忘れがたい句ですよね。戦死するのは健康な若い人。(池田評)

 「すかんぽや支那の子供はかなしかろ」高篤三

昭和13年の句。何げないのですが、前年の暮れには南京が陥落して日本中が提灯行列で湧きました。すかんぽの季語は春。日本が中国に敵愾心を燃やしていた時期の句なので、「子供はかなしかろ」が記憶に残っています。この人は東京大空襲で妻や子どもたちと一緒に亡くなっています。(福島評) (戒能信生)

2025年10月12日日曜日

 

2025年10月19日 午前10時30分

聖霊降臨節第20主日礼拝(No.25)

                司式 石井 寛治

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-10

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  31・1-25

讃 美 歌  404

聖書朗読  イザヤ書33・20-22

      ヤコブ書5・12

祈  祷

讃 美 歌  405

説  教  「誓ってはならない」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  451

使徒信条 (9341A

献  金              野口 洋子

報  告  

頌  栄  84(二度繰り返す)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、オリーブの会「大連西広場教会の現在」向山康子(軽食の用意あり)

・バザーのリサイクル品値付け作業(ご協力下さい)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。ご利用ください。

 

 

牧師の日記から(535)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見俊輔『期待と回想』(晶文社)筑摩書房の『鶴見俊輔集』全12巻の付録として、若い研究者たちが鶴見俊輔に長時間インタビューしたものを上下巻に編集したもの。講演でもなく、またエッセーでもない独特の鶴見節が全開で展開される。刊行された直後に読んでいたが、久しぶりに再読した。自分が鶴見俊輔から大きな影響を受けてきたことを改めて確認させられた。特に50年にわたって継続した雑誌『思想の科学』が1996年に終刊になったのを受けての鶴見の感懐に感銘を受けた。『思想の科学』では「同人仲間を一度もパージしなかったことを誇りとする」と鶴見は語っている。戦後の共産党や様々な政治路線をめぐる難しい局面で、激論や内部対立があったはずだが、多彩多様な同人たちが鶴見を中心に共同で『思想の科学』を発行し続けたことに頭が下がる。そこから連想して、ここからは私自身が編集同人として携わってきた『時の徴』についての感想。『時の徴』は1977年に創刊され、来年3月発行予定の175号で休刊となる。まる49年間継続されたわけだ。創刊当時の編集同人は、雨宮栄一、井上良雄、木田献一、東海林勤、森岡巌、戒能信生の6名で、私以外の同人はすべて亡くなっている。最も若い同人だった私は、雑用係のつもりだったが、創刊当時は隔月刊だったこともあり、定期的に執筆の担当が回って来て往生したことを覚えている。自分に中身がないことをつくづく痛感させられた。まだ自分の専門とする勉強の領域が決まっていなかったし、信仰的・神学的な姿勢も曖昧なままだった。それが『時の徴』の刊行を担い続ける中で、自分の研究の領域が定まっていき、発言する基軸のようなものが備えられてきたように思う。教会の牧師としての働き以外に、季刊の定期刊行の責任を負うことは重荷ではあったが、ここが自分の発言の場所と思い定めたのだった。自分でも49年間よく続けられたと思うが、それはすべて講読者たちに支えられてのことだった。なにせ一度も赤字にならなかったのだ。最初の頃、発送事務を直子さんを初め子どもたちが手伝ってくれたことを懐かしく思い出す。『時の徴』はある意味で私の分身だった。一抹の寂しさはあるが、やはりそういう時が来たのだと思っている。(戒能信生)

2025年10月5日日曜日

 

2025年10月12日 午前10時30分

聖霊降臨節第19主日礼拝(No.24)

               司式 戒能 牧師

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-10

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  30・1-13

讃 美 歌  210

聖書朗読  フィリピ書2・12-18

祈  祷

讃 美 歌  196

説  教  「共なる喜び」

                大盛意索伝道師

讃 美 歌  92

使徒信条 (9341A

献  金              常盤 陽子

報  告  

頌  栄  84

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森伝道師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。ご利用ください。

2025年10月4日土曜日

 

子育て相談カフェ通信⑤ 

暑かった9月もやっと秋らしくなってきました。相談カフェも6か月を迎え、相談があったらあったで、大変かもしれないと思いながら、この間、ずっと戒能先生からいろいろと教えを受けています。

さて、カフェ通信で前回岡山の教会の話をしましたので、少し続きを書くことにしました。御津キリスト教会は73年前に設立されました。先日、この教会の長老の姉妹(97歳)から、岡山の御津の地がキリスト教にとっては大変厳しい地であったという話を聞きました。不受不施派の代表する寺がある場所だからです。ご存じのとおり、江戸時代に仏教は檀家政策や五人組をはじめとして、幕府の統治機能の一翼を担っていました。江戸幕府はキリスト教弾圧と同時に全国に檀家制度を強制しました。私はあまり詳しく知らなかったのであとで調べて知りましたが、不受不施派は、法華経や日蓮の教えに基づき、その名前のとおり、檀家から布施を受け取らず、檀家に対して加持祈祷を施さないという集団でした。このため不受不施派は檀家制度を否定し体制拒否とみなされ、幕府はキリシタン同様に弾圧したのです。17世紀後半から弾圧され、信者は処刑・流刑・改宗強制があったそうです。このため表面的には消滅し、キリシタン同様に地下で細々と続いていたのです。

岡山の御津に金川という地があり、私の通っていた中学校もそこにありました。江戸時代金川は中国地方における隠れ不受不施派の拠点であったようで、その弾圧として「金川の不受不施派弾圧事件」がおこり、信徒の一部が「隠れ法華」として信仰を継続したとのことです。そしておそらく、明治になって、キリスト教に対する弾圧がなくなっていく時期に、金川に不受不施派の寺が建てられたのでしょう。そうした歴史的な経緯はあとからわかったことですが、おそらく73年前の聖約キリスト教会が教会をつくる時にはよくわかっていなかったのではないかと想像します。老姉妹の「この地は、不受不施派の地であったからキリスト教は難しい場所だった」とのひと言の意味が最初わからず、あとで調べて納得したのでした。地方の教会の現状は都市の教会とは異なっていますが、パウロの時代と共通の情熱と混乱の中での信仰を感じています。              (大森意索)