子育て相談カフェ通信⑤
暑かった9月もやっと秋らしくなってきました。相談カフェも6か月を迎え、相談があったらあったで、大変かもしれないと思いながら、この間、ずっと戒能先生からいろいろと教えを受けています。
さて、カフェ通信で前回岡山の教会の話をしましたので、少し続きを書くことにしました。御津キリスト教会は73年前に設立されました。先日、この教会の長老の姉妹(97歳)から、岡山の御津の地がキリスト教にとっては大変厳しい地であったという話を聞きました。不受不施派の代表する寺がある場所だからです。ご存じのとおり、江戸時代に仏教は檀家政策や五人組をはじめとして、幕府の統治機能の一翼を担っていました。江戸幕府はキリスト教弾圧と同時に全国に檀家制度を強制しました。私はあまり詳しく知らなかったのであとで調べて知りましたが、不受不施派は、法華経や日蓮の教えに基づき、その名前のとおり、檀家から布施を受け取らず、檀家に対して加持祈祷を施さないという集団でした。このため不受不施派は檀家制度を否定し体制拒否とみなされ、幕府はキリシタン同様に弾圧したのです。17世紀後半から弾圧され、信者は処刑・流刑・改宗強制があったそうです。このため表面的には消滅し、キリシタン同様に地下で細々と続いていたのです。
岡山の御津に金川という地があり、私の通っていた中学校もそこにありました。江戸時代金川は中国地方における隠れ不受不施派の拠点であったようで、その弾圧として「金川の不受不施派弾圧事件」がおこり、信徒の一部が「隠れ法華」として信仰を継続したとのことです。そしておそらく、明治になって、キリスト教に対する弾圧がなくなっていく時期に、金川に不受不施派の寺が建てられたのでしょう。そうした歴史的な経緯はあとからわかったことですが、おそらく73年前の聖約キリスト教会が教会をつくる時にはよくわかっていなかったのではないかと想像します。老姉妹の「この地は、不受不施派の地であったからキリスト教は難しい場所だった」とのひと言の意味が最初わからず、あとで調べて納得したのでした。地方の教会の現状は都市の教会とは異なっていますが、パウロの時代と共通の情熱と混乱の中での信仰を感じています。 (大森意索)
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