2025年11月23日日曜日

 

2025年11月30日 午前10時30分

待降節第1主日礼拝(No.31)

                司式 大森 意索

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-11

讃 美 歌  242(1節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  36・1-13

讃 美 歌  54

聖書朗読  イザヤ書51・4-8

ヨハネ福音書1・1-13

祈  祷

讃 美 歌  235

説  教  「初めに言葉があった」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  241

使徒信条 (9341A

献  金              石井摩耶子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後 入門の会「十戒⑧」戒能牧師

・週報発送作業

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水

 分補給にご利用ください。

2025年11月22日土曜日

 

牧師の日記から(541

 1116日(日)主日礼拝。ヤコブ書の講解説教の最終回で、51320を取り上げる。半年間苦労してきたが、私自身が学ばされたことは多い。この手紙が書かれた1世紀末頃の教会の実情が窺えるからだ。特にこの手紙の最後に、教会生活から離れた人たちへの責任について触れていることを重く受け止めさせられた。礼拝後オリーブの会。石井房恵さんが用意してくれた三色丼を頂きながら自由に歓談。ボンヘッファーの映画を観てきた人たちの感想を聞いて、最後に讃美歌469を一緒に歌う。

 17日(月)午前中、月曜会に出席するため東駒形教会へ。近藤勝彦著『日本キリスト教神学小史』の北森嘉蔵の章を、後藤田さんの紹介で読む。北森先生のことを知らない牧師たちが多いので、私が学んだことやいくつかのエピソードを紹介する。午後帰宅して、明日の神学読書会の発題の準備。

 18日(火)午前中、神学読書会でカルヴァンの『キリスト教綱要』第6章を私が発題で読む。1月から波多野精一の『時と永遠』を読むことになる。午後は西早稲田のキリスト教会館で読書会「キリスト教と文学」に参加。ディッケンズの『クリスマス・キャロル』が取り上げられたが、吝嗇で意地悪な主人公スクルージ―が、最後には悔い改めて善人になるお話しだが、この手の回心物語は日本の文学にはほとんどないということが指摘され、考えさせられた。夜は富士見町教会で東支区北支区合同の連合祈祷会。約50名の参加者が共に祈りを合わせる。

19日(水)午前中、新宿武蔵野館に話題のボンヘッファーの映画を観に行く。ところどころ脚色されているが、概ねよく出来た映画だった。久しぶりに新宿の雑踏の中を歩く。

20日(木)午前中、門前仲町の歯科医で定期検診。午後は大森伝道師との牧師会。クリスマス・カードの準備。4時半からNCAの運営委員会にZoomで参加。『時の徴』の原稿に手をつける。

21日(金)一日書斎にこもって仕事。『時の徴』に連載している高倉徹総幹事日記のデータがPCのクラッシュで失われたので、プリントアウトしたものを嘉信にOCRで読み込んでもらう。最新のOCRで見事に復元されて来たので、その原稿整理の作業。長く机に向かっていると腰が痛くなるのが困る。(戒能信生)

2025年11月16日日曜日

 

2025年11月23日 午前10時30分

聖霊降臨節25主日(収穫感謝合同)礼拝(No.30)

                司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  35・17-28

讃 美 歌  533

 

子どもの祝福         大森意索伝道師

聖書朗読  士師記11・29-40

マタイ福音書5・33-37

祈  祷

讃 美 歌  390

説  教  「誓い」

           信濃町教会 佃雅之牧師

讃 美 歌  510

使徒信条 (9341A

献  金               石井寛治

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後「佃牧師を囲むお茶の会」(於・ホール)司会・大森意索伝道師

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろにお茶が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能牧師は、信濃町教会で説教奉仕。

2025年11月15日土曜日

 

牧師の日記から(540)「最近読んだ本の紹介」

 全国同信会編『天上の友 第5編』(キリスト新聞社)会衆主義を標榜する教会組織である全国同信会(分かりやすく言えば同志社出身の牧師たちの集まり)は、逝去した牧師たちの追悼記を『天上の友』として大正期から継続して刊行している。本書はその第5編で、2012年から2024年の時期に亡くなった約130名の牧師たちが取り上げられている。今回の編集責任者・上林順一郎先生から送られてきたので一読。11頁に紹介された牧師たちの面影と生涯を偲んでしばし感慨にふける。この企画の優れた点は、無名の牧師であっても、どんなに高名な神学者や大教会の牧師であっても全く区別することなく、等しく600字前後にその生涯が凝縮されていること。執筆者の名前は省かれているが、中には痛烈な皮肉や、愛情を込めた批判が書き込まれており、誰が書いたのかを推測する楽しみもある。

 マシュー・D・ハケネス『マルティン・ニーメラー』(新教出版社)第二次大戦下において、ヒトラーを公然と批判したニーメラー牧師の評伝。牧師の家庭に生まれ、根っからのナショナリストとして第1次大戦にUボート(潜水艦)の艦長として活躍した英雄が、戦後、神学校に進み牧師になる。元は民族主義者だった彼が、ヒトラーの教会政策を激しく批判して逮捕され、裁判では無罪になったものの「ヒトラーの囚人」として敗戦まで収容所に捕らえられていた。奇跡的に生き延びたたこの人の存在なくして、戦後のドイツ福音主義教会(DEK)再出発の原点になった「シュトットガルト罪責告白」は成立しなかった。ヒトラーに命を懸けて抵抗したニーメラーその人が自らの罪責を表明したことが、戦後のドイツ社会全体に一定の説得力をもったとされる。そのニーメラーが残したのが次の有名な言葉。

「はじめに彼らは共産党員に向かっていったが、私は声を上げなかった、共産党員ではなかったから/次に彼らは労働組合員に向かっていったが、私は声を上げなかった、労働組合員ではなかったから/それから彼らはユダヤ人に向かっていったが、私は声を上げなかった、ユダヤ人ではなかったから/そして彼らが私に向かって来たとき、私のために声を上げてくれる人は一人も残っていなかった」(戒能信生)

2025年11月16日 午前10時30分

聖霊降臨節第24主日礼拝(No.29)

                司式 橋本  茂

黙  想         奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  35・1-16

讃 美 歌  544

聖書朗読  サムエル記上16・5b―20

ヤコブ書5・12-20

祈  祷

讃 美 歌  503

説  教  「互いのために祈り合いなさい」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  474

使徒信条 (9341A

献  金              橋本悠久子

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後 オリーブの会(軽食の用意あり

・大森伝道師は岡山御津キリスト教会で説教奉仕 

2025年11月8日土曜日

 

牧師の日記から(539)「最近読んだ本の紹介」

 野村真理『ホロコースト後のユダヤ人 約束の土地は何処か』(ちくま学芸文庫)パレスチナ問題と現在進行中のガザの惨劇の遠い背景として、ナチスによるユダヤ人迫害とイスラエル建国(1948)との関連を究明する歴史研究。ホロコーストを生き延びたユダヤ人たちは、解放後行き場を失う。彼ら彼女たちは、いわゆる難民(Refugee)とは異なり、帰る場所も行く当てもない存在として「ユダヤ人DP」(Displace Persons)と呼ばれる。問題は、この人々の移住先としてアメリカを初め多くの国が必ずしも積極的に受け入れなかったこと。結果としてその多くが、シオニストたちの呼びかけでイスラエルに移住することになる。先住民たるパレスチナ人たちの住む土地に無理やり割り込む形で。したがって現在のパレスチナ問題の根本的な責任は、ホロコーストをようやく生き延びた人々を受け容れなかった世界にあるというのが著者の主要な論点。学術書なので読みにくいところもあるが、初めて知ることも多く考えさせられた。

谷川俊太郎+和田誠『ナンセンス・カタログ』(ちくま文庫)この本をどう紹介したらいいだろうか。詩人の谷川俊太郎が、ある言葉を選んで(例えば「ラジオ」とか「切株」、「マッチ」という具合に順不同、一切の脈絡なしに)、それについてのショート・エッセイを書き、それに和田誠がイラストをつけている。なんということもない内容なのだが、寝床で読むのに最適。繰り返し読んでいるが、34篇目を通すと眠くなるという仕掛けになっているのが不思議。寝る前に再読すると、睡眠導入剤の代わりになる。不眠症気味の人は一度試してみる価値あり!

仁藤敦史『加耶/任那』(中公新書)日本史の教科書で「任那の日本府」の存在を教えられた。しかし学生時代に在日の友人から、韓国では任那日本府は存在しないと教えていると聞いて驚いたことがある。すなわち日本と韓国の教科書が、古代朝鮮に倭の拠点があったかどうかでも正反対の記述をしていることになる。それは現在でも両国の歴史研究の対立点でもあるという。本書は、古代朝鮮史の研究者がこの難問に分け入って、現時点での学術的な見解を、公平に、言わば両論併記の形で紹介している。共通教科書もなかなか難しいようだ。(戒能信生)

2025年11月2日日曜日

 

2025年11月9日 午前10時30分

聖霊降臨節第23(No.28)

                司式 戒能 信生

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  34・1-22

讃 美 歌  127

聖書朗読  フィリピ書⒉・19-30

祈  祷

讃 美 歌  543

説  教  「友と、主にあって」

               大森 意索伝道師

讃 美 歌  419

使徒信条 (9341A

献  金

報  告  

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・

 内山央絵、(柿もぎ)

・礼拝後、「私の愛唱聖句」梅本順子(お茶の会)

・会堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給に利用ください。

2025年11月1日土曜日

 子育て相談カフェ通信⑥(大森意索)

 はや10月になりました。今年も残すところ2ヶ月ちょっとで、アドベントやクリスマスの季節が近づいています。

さて、前々回、前回と岡山の教会の話をしましたが、さらに続きを書くことにしました。御津キリスト教会は73年前に設立され、かつては付属の百合の花幼稚園がありましたが、町立保育園ができたこともあり廃園となりました。けれど、今でもかつて幼稚園に来ていた大人たちが教会に時折顔を出してくれることがあり、幼稚園の役割を改めて感じることもあります。私自身も、末っ子であったこともあり、小学生の時も幼稚園の子どもたちと遊ぶ機会が多かったことが、仕事でもずっと子どもに関わるきっかけだったのかもしれません。

さて、この10月で姉が召天して4年になります。姉は癌の闘病が20年近く、ずっと闘病しながら教会の牧会を継続していました。岡山だけでなく、埼玉医大や聖路加病院で治療を継続していたこともあり、そのつど病院について行く、そんな役を私はしていました。患者や患者家族という側が予想以上に大変なことも経験しました。ある病院では、もうこれ以上の治療はありませんと言われ、そのことはしかたがないのですが、紹介先も示されず、後はご家族で考えてくださいと言われたのにはとても困りました。私の中では普通は他の施設に紹介してもらうのが当たり前と思っていたので、驚くやら呆れるやらでした。せめて、紹介状やいくつか候補をあげて欲しいとお願いしてやっと紹介してもらいましたが、病院によって対応がずいぶん違うのだと思わされました。結局最終的に岡山の病院で治療を継続しましたが、ちょうど4年前はコロナ禍で病院の面会制限も強く、遠くからの家族であっても1時間しか許可してもらえなかったりで、いろいろ交渉したりもしました。そして、面会制限の問題があったため、無理をして退院することにしたのでしたが、最後の1週間を家で過ごせたことは姉にとっても、また家族や教会員にとってもとても良かったと思いました。姉は最後まで、教会をどうするか具体的には何もいってくれませんでした。このため下の姉とともに何回か岡山に通うことにしたのでした。こうして私は、月1回岡山に行くことになったのです。