2016年9月3日土曜日

牧師の日記から(74
8月28日(日)主日礼拝。創世記31章からギレアドの石塚の記事を取り上げ、「境界線にて」という説教題で語る。特に「我々が互いに離れているときも、たとえほかにだれもいなくても、神御自身がお前とわたしの証人であることを忘れるな」という誓約の言葉が印象的だ。これぞまさに現代哲学でいう「第三者の真究」ではないか。倫理の基盤に神への信仰と信頼が必要なのだ。礼拝後、熊本YMCA出身の光永尚生さんが御殿場から来て、熊本地震救援の報告をしてくれた。震源地にある益城町体育館の運営を指定管理で受託していた熊本YMCAが救援活動の中心的なコーディネイトを担っている事実はあまり知られていない。8月の対外献金を光永さんに託した。パワーポイントのプロジェクターとPCをつなぐコードがなかなか見つからない不手際があったことは申し訳なかった。その後、光永さんたちと近くの中華料理屋で昼食を共にする。あとは、明日からの京都での講演の準備に没頭。
29日(月)迷走台風が接近する中を新幹線で京都へ。午後から、同志社栄光館を会場に「同志社神学協議会2016」が開催される。200人もの同志社出身の牧師たち、100人以上の信徒たち、そして神学部の先生方を前にして、同志社出身でもなければ、組合教会の牧師でもない私が「日本のプロテスタント教会の過去・現在・将来」というテーマで講演。その後、大雨の中をセミナーハウスに移動し、夕食パーティ。夜遅くまでみんなと語り合う。
30日(火)朝早く目が覚めたので、台風一過の修学院の近辺を散歩。9時からの協議会で、現在の教勢停滞の中で具体的にどうすればいいのかという提案「現在の教会と課題」を短く語る。京都の有名な金平糖のお土産を頂いて、お昼で協議会は終了。心からホッとする。その後、NCAの打ち合わせをして、午後の新幹線で帰京。台風は東北地方に上陸したようだ。被害が大きくなければいいのだが。疲れ切って、この日は早々に寝てしまう。
31日(水)8月も最終日。この間、事務仕事や手紙の返事書きなどが滞っていたので、その処理。9月からの予定が目白押しに迫って来ている。このところ、外向けのアウト・プットの仕事が多かったので、今度は自分の勉強。
9月1日(木)午前中、先週の礼拝に出席された関潤一さんが訪ねて来られる。教勢停滞のこの時代にも、教会に何かを求めて来る人はいるのだ。午後からキリスト教会館に出かけるつもりだったが、中止して、『時の徴』の会計処理や、次号に掲載する井上良雄先生の講演の翻刻作業に手をつける。
2日(金)一日中書斎に籠って、井上先生の講演の翻刻の仕事。夜は、北支区連合祈祷会で、中村橋教会を初めて訪ねる。素敵な礼拝堂だ。

3日(土)午前中は、週報の作成や明日の長老会や説教の準備。午後、西片町教会へ行き、1970年代の会報を調べる。(戒能信生)

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