2016年9月29日木曜日

牧師の日記から(77)「最近読んだ本の紹介」
 沢木耕太郎『流星ひとつ』(新潮文庫)昨年、元歌手の藤圭子が自死した。長く心を病んでいたと伝えられている。その藤圭子が28歳で歌手を引退した当時、その心境を著者がロング・インタビューをしたが、その貴重な記録は公けにならずお蔵になったままだった。それをリライトしたものがこれで、類を見ないインタビュー記録として不世出の演歌歌手藤圭子への紙碑になっている。演歌にはほとんど不案内の私でも耳に残っているあの藤圭子の唄声の背後にあった肉声が、時を越えて甦った感じがした。ニュー・ジャーナリズムの騎手として注目されていた著者のインタビュアーとしての力量が遺憾なく発揮されている。沢木さんは、私の恩師でもある井上良雄先生の晩年、長期間にわたってその取材をしているが、それは作品化されていない。果たして作品化されるのだろうか?
 和田竜『村上海賊の娘①②③④』(新潮文庫)瀬戸内海を根城に戦国時代に活躍した村上水軍の木津川合戦(織田信長軍と大阪本願寺を支援する毛利軍との海戦)を小説化した作品。著者は、『のぼうの城』でデビューし、本屋大賞を受賞して一躍有名になったが、これまでの歴史小説家とは違った魅力があり、ついつい読まされてしまった。実は、この村上水軍の武将の一人に「戒能」という一族の名前が伝えられており(この小説には登場しない)、愛媛県郷土資料館の学芸員が私のところまで訪ねて来たことがある。しかし私の親族の証言にはそれを裏付ける言い伝えは何一残っていない。ただ、この小説の解説を書いている山内譲は私の高校時代の同級生で、村上水軍の歴史の研究者である。
田島列島『子供はわかってあげない㊤㊦』(講談社)娘の羊子が勧めてくれたマンガ。新興宗教の教祖を父親にもつ中学生の女の子と、書道家の家に育った同級生の男の子の出会いと恋の始まりを描いた作品。絵は稚拙と言ってもいいが、登場する中学生たちのやり取りや感覚が不思議に現代という時代を切り取っている。
村上春樹『雑文集』(新潮文庫)小説家・村上春樹の各受賞の挨拶や、趣味のジャズ音楽のCDに付けたライナーノート、翻訳本の解説、自分の作品についてのエッセーなど、折々に執筆した雑文をセレクトして編集したもの。これがなかなか読みごたえがあり、趣味や余技の世界を越えて、作家村上春樹の断面を語る内容となっている。だれもが自分の同時代作家をもつと言われるが、私の場合、青年期から中年期にかけては大江健三郎がそうであった。そして老年期を迎えた今は、村上春樹が同じ時代を生きている作家と言えそうだ。

村上春樹訳『恋しくて』(中公文庫)ついでに村上本をもう一冊。彼が『ニューヨーカー』などに掲載されたアメリカの短編恋愛小説をセレクトして自ら編集・翻訳したもの。改めて気づかされたのだが、村上作品の多くは恋愛小説という枠組みをもっている(ただし、多くはむしろ失恋小説と言ってもいいが)。最近の恋愛小説などは読む気も起らなかったが、男女の愛の諸相は文学としての吸引力があることを改めて考えさせられた。(戒能信生)

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