2016年9月18日日曜日

「私の信仰告白」東 博昭
 私が初めて千代田教会を訪れたのは、2015614日の主日礼拝でした。その日の午後には戒能牧師の牧師就任式が行われるという日でした。
 当時中学一年生の息子を連れて、いや中学生の息子に連れられて教会の門をくぐりました。人生には幾つかの一見越えられないように見える壁が立ちはだかることがあります。その時の私は、人生において何回目かの、越えられそうにない壁にぶつかっている時でした。私の義母は宮崎在住のキリスト者で、「日曜日に教会に行ってみたら?落ち着きますよ」と教えてくれていました。そこで残っていた気力を振り絞って教会に行ってみることにしました。息子はそれに付き合ってくれていたのです。この歳でかなりの人格者かも知れません。
 その日の聖書朗読はフィリピ書21930節、「役に立たなかった使者」という題で説教を聞くことができました。重病になり、役に立たなかった使者エパフロディトを送り返すことを手紙に記し、続けて「主に結ばれている者として大いに歓迎してください。そして彼らのような人々を敬いなさい」と書いてありました。「役に立たなかった者を敬いなさい」とは私のこれまでの行動様式にはないものでしたので、とても驚きました。なんと優れた素晴らしい考え方であろうかと。自分も周りも生き残るために必死で、信頼・敬意・感謝などとは対極に身を置いておりましたので。
そして何よりもまた来週も礼拝に来たいと思いましたのは、戒能牧師のご自身の経験をお話しされたことでした。フィリピ書のパウロと同じように獄中生活を送られて、その経験を笑いながらお話しされるのを聞いて、この牧師の説教を毎週聞きに来ようと思ったのでした。それから1年以上、出張で2回だけ欠席しましたが、それ以外はほぼ皆勤で通い続けるきっかけとなった日でした。
 また伝統ある千代田教会にふらりと現れた不審者に教会員の皆さんはとても暖かく迎えてくださいました。皆様とてもきりっとした方ばかりで、ご自身の日常の場では大きな役割を担っていらっしゃる方のようにお見受けしました。その方々が、毎週優しく声をかけてくださり、お茶の会に誘い続けてくださいました。1年間参加しなかったにもかかわらず、本当に根気よく毎回声をかけてくださいました。感謝しております。

 生き方・考え方を毎週教えて頂きながら、この求道生活は一生かけて学んでいくものだと分りました。学び続けても完成ということはないだろうし、学んだことを実践することはとても困難だということも分りました。それならば、早く皆様の仲間に入れて頂き、共に学んで行くことで、道を探し続けて行けるのではないかと思うようになりました。少しでもお役に立てればと考えていますが、皆様にご迷惑をかけないように頑張りたいと思います。ぜひ洗礼を受けさせていただき、キリスト者としてスタートさせていただきたいと思います。よろしくお願いします。

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