2016年11月17日木曜日

牧師の日記から(84)「最近読んだ本の紹介」
渡辺京二『父母の記』(平凡社)『逝きし世の面影』で知られる著者は熊本在住の作家だが、『読書新聞』の編集者時代の吉本隆明や橋川文三との交友が掲載されているというのでこの本を手にした。ところが驚くべきことに、収録されている別の文章に大連西広場教会のことが出て来るのだ。渡辺さんは1930年生れで、大連朝日小学校から大連一中に進み、その在学中に15歳で敗戦を迎えている。そしてコミュニスト少年として大連日本人引揚対策協議会で活動していたというのだ。しかもその中山地区協議会の事務所が西広場教会に置かれていて、日本人の隠匿物質の摘発や密航者の糾弾大会の様子が紹介されている。この夏、大連からの引き揚げ体験を話してくれた教会員の荒井久美子さんたちとは全く逆の立場の経験が描かれているのだ。本書に掲載されている西広場教会の写真を見ながら、何とも複雑な想いがした。大連における敗戦体験はかくのごとく多様で重層的なのだ。
辻惟雄『若冲』(講談社学術文庫)最近ブームになっている伊藤若冲について図録満載の文庫本が出たので読んでみた。若冲は江戸中期の京都画壇で活躍した特異な絵師で、現在宮内庁に収蔵されている動植綵絵を初め、鶏の細密な絵で有名。羊子に若冲の画集を見せてくれと頼むと、出て来るわ、出て来るわ!『生誕300年記念若冲展図録』(日本経済新聞社 2016年)、『別冊太陽 若冲百図』(平凡社、2015年)、辻惟雄編『若冲の花』(朝日新聞社 2016年)、『若冲が来てくれました プライスコレクション』(日本経済新聞社 2013年)、『芸術新潮 特集若冲』(新潮社、2015年)、『Pen 至上最強の天才若冲を見よ。』(CCCメディアハウス、2015年)、『美術手帳 特集伊藤若冲』(美術出版社、20155月号)、『同い年の天才絵師 若冲と蕪村』(読売新聞社、2015年)、等々。おまけにNHKBSの『若冲特集』のDVD120分)まで見せられて、なんだか若冲漬けの日々になった。おかげで自分が今抱えている仕事は全く停滞してしまったが、若冲の世界を堪能することができた。それにしても江戸中期にこのような画家が現われ、高価な画材を思い存分使って活躍し、しかもその作品がこれほど数多く残されているのも珍しい。

ジョン・ル・カレ『われらが背きし者』(岩波現代文庫)『寒い国から帰って来たスパイ』で有名なル・カレの小説は、ほぼ目を通して来たはずだ。007ジェームズ・ボンドなどが活躍する冒険活劇小説と異なり、冷戦構造の中での情報部員の心理に深く分け入ってその非情な世界を独特の仕方で描く作家として知られている。ベルリンの壁が崩壊して以降、スパイ小説の大半はリアリティーを失ったと言われるが、ロシアン・マフィアのマネーロンダリングの世界を舞台に、しぶとく生き延びる新しいタイプのエスピオナージ小説と言える。ただし、凡百のノン・ストップ・リーディング物と違って、読み難いことこの上ない(意図的にそうしているのだろう)。しかしル・カレの小説が岩波書店から刊行されるとは、彼をこの国に初めて紹介した早川書房の編集者・常盤新平さんが生きていたら、どのような感想を呟かれるだろうか。(戒能信生)

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