2017年1月14日土曜日

牧師の日記から(92
 18日(日)主日礼拝。Ⅰテサロニケ書21735の講解説教「苦難を引き受ける信仰」。「わたしたちが苦難を受けるように定められている」(33)というパウロの言葉について、教会員の何人かから「苦難を引き受けるのはしんどい」という率直な感想を聞いた。確かにこういう信仰理解が、初代教会の信徒たちに受け容れられていったのは、考えてみると実に不思議なことだ。礼拝後、定例長老会で5月の千代田教会創立70年記念礼拝の準備などについて相談する。
9日(月)北支区の信徒大会が信濃町教会で開催され、野口倢司さんと私の二人が参加した。邑原宗男牧師(奥羽教区議長)の開会礼拝の説教、二戸教会の信徒白木功さんの講演を聞く。農への取り組みの姿勢に感銘を受けた。合間を縫って、図書室で井上良雄先生の講演や説教の資料を探す。これは新教出版社から今年8月頃刊行予定の『キリスト教講話集』ⅢⅣの準備の一環。帰宅したところに電話があり、NCCヤスクニ委員会で、次の天皇の代替わりについて講演してほしいとの依頼。1990年の大嘗祭の時、大嘗祭署名運動センターの事務局の責任を負っていたので、その経験から話すこととして、お引き受けることとした。
10日(火)午前中の学読書会で、北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』を読む。駒込教会の村田重牧師の紹介と発題。参加者は牧師7名と信徒2名の合計9名。夜は支区常任委員会で王子教会へ。3月の支区総会に提案される牧師のサバティカル制度について話し合う。予想される参加教会が少ないのが懸念される。
11日(水)朝一番で西早稲田のキリスト教会館に行き、7階の部屋のサイン取り付け工事に立ち会う。急いで帰宅して10時半から聖書を学ぶ会。出エジプト記16章を取り上げる。荒野で飢餓に悩む民が、マナとウズラの奇跡によって救われる個所。エジプトでの奴隷状態だが食べる心配のない生活から、荒野で自由ではあるが食べるものがない生活へと踏み出した人々の葛藤が主題。午後、久しぶりに飯田橋の新教出版社に行く。厚生年金病院の横に新しい道路が出来て街の様子が一変しているのに驚く。小林望社長と『戦責告白50年論考・資料集』刊行についての相談。この3月で、教団の「戦争責任告白」から満50年になることを覚えて、『時の徴』を中心に新教コイノニアの一冊として刊行することになっており、その最終的な打ち合わせ。3月末に発行できそうでホッとする。
12日(木)昼前にキリスト教会館に行き、NCAの発送作業。3時から運営委員会で来年度の事業計画について話し合う。神学生交流プログラムの準備も。

13日(金)教会員の永松信行さんから、叔父にあたる貢(96歳)さんが危篤状態との連絡。貢さんは、1953年に国立教会から千代田教会に転会され、現在は別帳会員になっている。この日の午後、南大沢の老人施設の介護棟に貢さんを見舞った。もう10日ほど食事が摂れない状態ではあるものの、目を開けて私の手をしっかり握り返してくれた。枕元で聖書を読み、短く祈る。甥にあたる紀義さんと和夫人ともお会いし、万一の際のことなども相談した。(戒能信生)

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