2017年3月3日金曜日

牧師の日記から(99
 226日(日)主日礼拝。創世記39章を取り上げて講解説教「主が共におられる」。ヨセフ物語に特有の衣服に関する記述を手がかりに、異国で都市生活を強いられるユダヤ人たちが読者と想定される。つまりアブラハム・イサク・ヤコブの族長伝承とは全く異質のディアスポラのユダヤ人を主人公とするヨセフ物語が、族長伝説と接続されることによって、離散の民をイスラエル民族の歴史に位置付けようとしているのではないか。そしてその離散の民と「主が共におられる」というメーッセージがそこに主題として掲げられていると読むことができる。
27日(月)朝早く新幹線で京都へ。日本クリスチャン・アカデミーの理事会に出席するため。車中、村上春樹の最新作『騎士団長殺し』を読む。理事会後、関西セミナーハウスで3月半ばに行われる神学生交流プログラムの打ち合わせ。夜は、今出川の料亭萬重で、昨年の同志社神学協議会のご苦労さん会。京料理に舌鼓を打ちながら、委員の皆さんといろいろ話し合う。最終の「ひかり」で帰京。車中、村上春樹の小説を堪能する。
28日(火)午前中、神学読書会で北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』を取り上げる。西片町教会の山本裕司牧師が丁寧に紹介してくれる。出席者は教職7名、信徒1名の合計8名。すべてを「神の痛み」に収斂させてしまう北森理論の抽象性に議論が集中する。午後、郵便局に行って『時の徴』の印刷費や『戦責告白から50年』の出版協力費等の振り込み。また税務署に確定申告と関連資料の提出。毎年これが済むとホッとする。午後、村上春樹の小説を読了する。何といっても上下2巻の長編を一気に読ませる筆力に感心する。しかしこの作家がこの時期にこの小説を書かねばならなかった必然性はあまりはっきりしない。
31日(水)灰の水曜日で、この日からレント(受難節)に入る。聖書を学ぶ会では出エジプト記の学びを中断して、今年はマタイ福音書の受難物語を少しずつ読んで行くことになる。来週、NCCヤスクニ委員会で天皇の代替わりについて講演しなければならないのでその準備。1990年の大嘗祭署名運動センターの経験を踏まえて、天皇の生前退位とその後に続く大嘗祭・即位の礼にキリスト教会がどのような対応をするのか、きわめて難しい問題を含む。今の天皇は、象徴天皇の役割として「慰霊の旅」を続けて来ており、それはある意味では戦争責任を曖昧にして来たこの国に対する一つの問いではないか。神権天皇制をキリスト教の立場から批判することはできても、象徴天皇制をどう見るかは難題である。
2日(木)午前中、キリスト教会館の耐震改修工事の一年目点検。大きな問題はなさそうだ。帰宅して、午後から『戦責告白から50年』の発送作業。

3日(金)かつてのNCAの宗教対話チームが鎌倉で落ち合って、一緒に会食し近況を報告し合う。元ジャーナリストが多いので、昨今の政治状況や宗教界の話題が尽きない。食事の後、報国寺(竹の寺)を訪ねてお抹茶を頂く。東京までの帰りの電車の中でも談論風発留まるところを知らず。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿