2017年3月11日土曜日

牧師の日記から(100
 35日(日)主日礼拝。Ⅰテサロニケ書51215の講解説教。このテキストから、最初の教会に加わった人たちが「落伍者たち」「小心な人たち」「敗れた人々」と読み解き、その指導者に求められるのは「労苦してその世話をする人」と理解できる。このように最初期の教会の様子を理解すると、現在の教職制度は相対化されるはずだ。礼拝後、定例長老会。教会総会の準備が始まる。
 6日(月)夜、NCCヤスクニ委員会で「次の代替わり」について講演。私は、1990年のNCC大嘗祭問題署名運動センターの事務局を担った。その経験から、2018年末に迫っている明仁天皇から徳仁天皇への代替わりについて、キリスト者はどう取り組むべきかを問われたのだ。もちろん大嘗祭には、憲法問題が存在し、したがって国費を使うこと、天皇の政治利用などの問題が指摘される。しかし今回の明仁天皇の生前退位の意向表明は、象徴天皇制のあり方についての一つの問いと提案を含んでいる。すなわち神権天皇制への回帰ではなく、「被災者見舞い」や「慰霊の旅」に示される象徴天皇の役割を提示しているのではないか。特に、この国の政府が依然として戦争責任を曖昧にしている現状で、アジアの各地に「慰霊の旅」を続けていることの意味をどう受け止めるべきなのだろうか。
 7日(火)柏木義円研究の『紀要』が出来て来たので、直子さんに手伝ってもらってその発送作業。実は、柏木義円研究会の事務所は千代田教会に置かれていて、私がその事務局の責任を負っているのだ。夕方からキリスト教会館に行き、来週の神学生交流プログラムの準備。夜はボイストレーニングに顔を出す。
 8日(水)午前中、聖書を学ぶ会でマタイ福音書の受難物語を取り上げる。午後から大連日本基督教会の月報『霊光』の分析にとりかかる。先ず、毎号の「個人消息」欄から、受洗者、転入者、転出者、逝去者、結婚、誕生の記事を抽出して、データベースを作っていく。まことに手間のかかる地味な作業だが、一人一人の教会員を追うことを通して、西広場教会の歩みを跡付けようというわけだ。
 9日(木)朝早くの新幹線で軽井沢へ。興望館沓掛学荘の職員礼拝で奨励「ただ一匹の羊を追って」。午後、時間があったので近くの森を散策する。今年は浅間の積雪は少なく、地面に積み重なった落ち葉の上をのんびり歩く。夕方帰宅して、『霊光』のデータベース作成作業の続き。昭和18年ごろから急速に教勢が停滞して来る。受洗者も減り、礼拝出席者も減少する。教会員の岡崎大祐さんの受洗の記録を見つけ、その日時が千代田教会の原簿と異なっているので、岡崎さん本人に電話して聞いてみる。『霊光』の記事の方が正しいことが確認できた。夜は北支区の連合祈祷会で信濃町教会へ。この日は、東日本大震災を覚えて、勿来教会の武公子牧師の奨励。野口倢司さんも出席。その後、武牧師を囲んで食事。

 11日(土)午前中、歯科医の定期検診。帰宅して、午後から日本聖書神学校での東日本大震災のチャリティーコンサートに参加するはずが、ちょっと疲れがたまっている感じなので欠席することにする。後は明日の礼拝の準備。(戒能信生)

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