2017年3月24日金曜日

牧師の日記から(102
 319日(日)主日礼拝。Ⅱテサロニケ書11-2の講解説教。「パウロの名による手紙」としてこの第Ⅱ書簡が書かれねばならなかった初代教会の状況を考えさせられる。指導者パウロを突然失った人々は、特に再臨をめぐる誤解や混乱に対応するために、これらの偽書がいくつも作られたのだろう。パウロ研究にとっては資料的価値が低いとされるこれらの偽書から、1世紀後半の初代教会の歩みを尋ねてみようと考えている。説教としてどこまで成立するかが問題だ。礼拝後、オリーブの会で向山功さんの「経木の話し」。向山さんは、経木折箱を制作する向山製作所の社長さんなのだ。昔からお弁当など多方面で用いられてきた経木だが、プラスチック製品などに押されてすっかり斜陽になっているという。皆でいろいろな用途を提案してみたが……。その後、リーガロイヤルホテルでの東京YMCA総主事就任式に出席。旧知の人々に挨拶して早々に退出する。
 20日(月)午後から富坂キリスト教センターで池明観先生の送別会に出席。アメリカに永住されている池先生は、夫人の病気治療で半年ほど東京に滞在しておられたのだ。日本の教会に対する遺言と励ましの言葉を聞いて、改めて池先生の働きの大きさを痛感した。帰宅後、大連西広場教会の資料整理の作業。
 21日(火)5月の創立70年記念礼拝で説教をお願いしている三輪従道先生に電話して、説教題や聖書箇所を知らせてくれるように依頼する。午前中、神学読書会で北森嘉蔵先生の『神の痛みの神学』を読む。この日が最終回で、武蔵野教会の佐々木潤牧師の丁寧な紹介と発題。「神が痛む」という視点は、今日でも重要な神学的な洞察だが、実際の北森神学においては、北森先生の感性の中での神の痛みに限定されているのではないか。他者との批判的な応答がなされればもっと豊かな神学的営為につながったのにと思わされた。4月からモルトマンの『希望の倫理』を読むことにして、訳者の福島揚さんに概説をお願いすることとした。
 22日(水)聖書を学ぶ会ではマタイ福音書の受難物語を少しずつ読んでいる。この日はゲッセマネの祈りと捕縛の箇所。午後、キリスト教会館に行き、明日の予算総会の準備や打ち合わせ。神学読書会でモルトマンの解説をお願いしていた福嶋揚さんから受諾のメールが届いたので、案内の葉書を作成して発送する。
 23日(木)会館に行き、先週の神学生交流プログラムの事後処理や会計報告などの仕事。午後から会館管理組合の予算総会。無事に終わってホッとする。
 24日(金)午前中、錦糸町の賛育会病院で定期検診。夕方から富坂キリスト教センターで第5回内面史研究会。恵泉女子大の李省展、明治学院大の徐正敏の二人の研究発表があった。いずれも戦前の朝鮮における神社参拝をめぐるもので、国家が人の内面に強権的に介入した事例が取り上げられた。内地の日本人や台湾の場合との差異や共通点などについて活発な議論が続いた。

 25日(土)池袋から特急で西武秩父駅へ。2月に97歳で亡くなった故・唐崎ゆりさんの納骨式(秩父聖地公園墓地)。夕方帰宅して、明日の準備。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿