2018年8月11日土曜日


牧師の日記から(174)「最近読んだ本の紹介」

尾崎真理子『ひみつの王国 評伝石井桃子』(新潮文庫)この国の児童文学の開拓者で102歳まで長生きした石井桃子の本格的な評伝。この夏は石井桃子関連の本を何冊か読んで、なんだか石井桃子漬けになった感がある。戦前の文芸春秋時代の菊池寛や井伏鱒二、太宰治との交友や、戦後の岩波書店時代の『岩波少年文庫』の編集など、編集者としての仕事振りが丹念に追跡される。さらに戦時下に徴兵された友人を励ますために『ノンちゃん雲に乗る』が書かれた事情、その青年との恋の行方までが追跡されている。特に「文学報国会」の傘下にあった「日本少国民文化協会」での活動など、石井桃子を含めて児童文学者たちの戦争責任についても周到に目配りされている。石井本人からの聞き取りだけでなく、周辺の関係者へのインタビュー、関連文献や資料の調査も驚くほど徹底しており、出版史や児童文学史の観点からも貴重な文献になっている。著者は読売新聞の文芸記者で、既にこの欄でも彼女が書いた大江健三郎や谷川俊太郎への長時間にわたるインタビューをもとにしたドキュメンテーションを紹介したことがある。しかしなにより戦前から一人の女性編集者として、児童文学の翻訳・紹介者として、さらに作家として自立して歩んだ偉大な女性の記録として深い感銘を受けた。

G・タイセン(大貫隆訳)『パウロの弁護人』(教文館)著者はハイデルベルク大学の新約聖書学の教授で、文学社会学という方法論を提起してこの国でも広く知られる。そのタイセンが、なんと小説仕立てでパウロを取り上げている。紀元1世紀の半ば、エルサレムで逮捕されローマに護送されて獄中にあるパウロの弁護を引き受けたエラスムスという架空の法律家を主人公として、ローマ在住のユダヤ人やローマ市民たちが、パウロ思想をどう理解したか。特に「キリストの前にユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由な身分の者もなく、男も女もない」という無差別の愛を説くパウロの主張がどのように受け止められたかを描き出す。また当時のストア派やエピクロス派などの哲学者たちが、キリスト教をどのように理解していたかの大胆な仮説も提示される。小説として書かれてはいるが、そこに出てくる議論や手紙は、いずれもローマ史や新約聖書の資料的裏付けを踏まえている。小説としての出来はともかく、古代ローマに大量に流入した異民族の問題と、現代ヨーロッパに移入して来る難民問題とを重ね合わせて、パウロ思想の現代性を強調しているとも読める。宗教改革当時のルターのパウロ解釈の枠組み(信仰義認論に特化したパウロ理解)を乗り越えて、熱狂的民族主義と対峙したパウロ像を見事に描き出していると言えるだろう。

レイフ・GW・ペーション『許されざる者』(創元社推理文庫)スウェーデン警察を舞台に、退職した国家犯罪捜査局長が、病床で迷宮入りになっている殺人事件の犯人を追い詰めるという趣向。犯人は突き止めるが、既に時効が成立している。そこで主人公はどうするか。移民社会でもあるスウェーデンの実情が赤裸々に描き出されて興味深かった。(戒能信生)

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