2019年9月14日土曜日


牧師の日記から(231

98日(日)主日礼拝。使徒言行録825-40の講解説教「ガザへの道」。1953年、サンフランシスコ平和条約に伴って奄美群島の施政権が、沖縄に先立って返還された。日本基督教団はこの奄美諸島への開拓伝道を計画する。しかし、当時鹿児島から小船で16時間を要する離島伝道に応じる者は誰もいなかった。その責任者であった九州教区副議長福井二郎牧師は、ある朝の早天祈祷会で、この個所の言葉が目に留まった。「汝、起ちて南に向かひ、エルサレムよりガザに下る道に往け。そこは荒れ野なり」(文語訳聖書)。他の誰かを探すのではなく自らが行くべきだと受け取った福井牧師は、門司教会に辞表を出し、夫人と共に喜界島に赴任する。ここから奄美特別開拓伝道が始まり、現在は、喜界、名瀬、瀬戸内、徳之島と4つの教会が存在する。使徒言行録は、ガザへの道の途中でフィリポがエチオピアの宦官に出会い、この宦官が受洗するに至ったと伝えている。この宦官について、新共同訳聖書は「エチオピア人」と訳しているが、原文では「エチオピアの宦官」とあるだけだ。私は、この人はユダヤ人で、カンダケに仕える宦官となったが故に、エルサレム神殿に受け容れられなかった人物ではないかと推測している。つまり異邦人への伝道の始まりではなく、ユダヤ正統主義では欠格者とされるユダヤ人の宦官への授洗と考えている。その方が、使徒言行録の文脈と構成に相応しいのではないか。深夜、台風15号が通過して激しい風雨。

9日(月)台風の影響で交通が混乱している。千葉周辺は停電で大変のようだ。この日から日本聖書神学校の後期の授業が始まる。今期の受講生は5人だけ。

10日(火)西川口バプテスト教会を会場に、バプテスト連盟から刊行された『連盟70年史』についてのフォーラムに招かれる。その「教会闘争」の項について短くコメントする。連盟の古い友人たちに久しぶりに会うことが出来た。

11日(水)午前中、聖書を学び祈る会。サムエル記下23-24章を取り上げる。ダビデは様々な欠点があり問題行動も少なくなかったが、「神に従い、神を畏れて治めた」とされている。午後、九州工業大学の本田逸夫さんが訪ねてくる。東北大学の宮田聖研の出身で政治思想史の研究者だが、基督教学会で上京されたついでに、教団史について聞きたいと訪ねて来られたのだ。

12日(木)昼前から西早稲田の事務所へ。午後から連続講座「日本キリスト教史を読む」で、鈴木正久を取り上げる。これまでの会場に入り切れなくなったので、この日からAVACOのチャペルを用いたが、50名以上が集まり満杯状態になる。

13日(金)午後、北支区の沖縄問題連続学習会のレジュメや資料の準備。6時半から信濃町教会で「合同とらえなおしとは何であったか」という1時間の講演。難しく厄介な内容をよく聞いてくれた。沖縄の教会との連帯を考えさせられる。

14日(土)午後から上智大学で開かれた日本キリスト教史学会の公開講演会に参加。「31独立運動と韓国キリスト教の歴史」という金興洙教授の講演を聞く。9月に入って、急にいろいろな仕事が立て込んでくるようだ。(戒能信生)

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