2019年9月7日土曜日


牧師の日記から(230)「最近読んだ本の紹介」

オリヴィエ・ロワ『ジハードと死』(新評論)続発するイスラーム過激派のテロ。そのテロリストたちのプロファイリングをもとに、「イスラームが過激化したのではなく、現代的過激性がイスラームの中に入ってきた」と分析する。つまり現在のテロリズムの根源にあるのは宗教そのものではないというのだ。テロそのものは昔からあった。「新しいのは、今日のテロリズムやジハーディズムが断固たる死の希求と結びついている点だ」と見る。この観方に立てば、まだテロが起きていないとされるこの国でも、京都アニメーション事件を初め、いくつものテロが既に現出していることになる。巻末に列挙される世界のテロ事件の概要を眺めていて、改めて現代という時代の特異性と行き詰まりを考えさせられた。

フェルディナンド・v・シーラッハ『刑罰』(東京創元社)刑事事件弁護士としての経験をもとに、この著者は何冊もの印象的な短編を書いている。おそらくは実際の刑事裁判で起こった出来事、司法の限界や法で裁けない様々な事例を通して、現代ドイツ社会の断面、例えばトルコや東欧からの移民社会の実相を鋭角的に切り取って見せる。翻訳からも伺える簡潔な文体で、読ませること請け合い。

石川明人『キリスト教と日本人 宣教師から信仰の本質を問う』(ちくま新書)戦国末期に来日したザビエルに始まり、幕末期のヘボンやフルベッキ、明治期のロシア正教会のニコライなどの宣教師資料を読み解き、この国へのキリスト教宣教の内実を問うている。著者は、北大で宗教学を学んだ研究者で、その博士論文をもとにした『戦場の宗教、軍人の信仰』を読んだことがある。非キリスト者の宗教研究者とばかり思っていたが、本書でプロテスタント教会で洗礼を受けたクリスチャンであると告白しているので驚いた。つまり、それほどニュートラルにキリスト教を突き放して、批判的に見ているのだ。そのような立場から、何故この国にキリスト教が根付かなかったのかを、何人もの先行研究をもとに推論しているので参考になる。その最後に、マザー・テレサの「心の闇と不在の神」を取り上げているところが興味深かった。

新井一二三『台湾物語 麗しの島の過去・現在・未来』(筑摩選書)台湾の近代史を、日本統治時代の建築や現在の観光事情、また台湾発の映画などを縦横に紹介しながら、分かりやすく取り上げている。特に最近の若者たちの政治観や表情が伺える。しかし私は、「日本語の既に滅びし国に住み短歌詠み継げるひとや幾人」(弧峰万里)と詠った『台湾万葉集』の詠み手たちの存在がどうしても気になってしまうのだが……。

辻惟雄『十八世紀京都画壇』(講談社選書メチエ)池大雅、与謝蕪村、円山応挙、伊藤若冲、曽我蕭白といった個性的な画人たちが、江戸中期の京都に輩出した背景を概説してくれる。鎖国の隙間を縫って明・清からもたらされた文人画の影響を受け、幕府を初めとする時の権力者たちからも一定の距離を置いた京都画壇に、身分制からも自由な民衆芸術が成立したというのだ。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿