2023年8月12日土曜日

 

牧師の日記から(430)「最近読んだ本の紹介」

柄谷行人『力と交換様式』(岩波書店)独特の交換様式で世界史の構造を読み解いてきた著者が、国家や資本の支配を止揚する交換様式D=Xの世界のイメージを提起した決定版。「神の国は、見える形では来ない。『ここにある』『あそこにある』と言えるものでもない。実に、神の国はあなたがたの間にあるのだ」(ルカ福音書172021)というイエスの言葉を手掛かりに、「Dは、人為的に考えて実現できる類のものではない。宗教的な響きになってしまうが、それはこちらからではなく、向こうからやって来るというほかはない」とする。アウグスティヌスの『神の国』を引用して、「彼にとって神の国は、人間の手によって実現されるようなものではない。それは、人間が望もうと望むまいと、恩寵として『向こうから来る』ほかないものである」とDのイメージを描く。「今後に戦争と恐慌、つまり国家と資本が必然的にもたらす危機が幾度も生じるだろう。しかし、それゆえにこそ、Aの高次元での回復としてのDが必ず到来する」と最後に締め括っているが、この預言通りに、政治学者のだれもが予測しなかったウクライナ戦争が2022年に始まっている。柄谷の議論は、きわめて宗教的で神学的な洞察ですらある。

坂田寛夫『土の器』(文春文庫)読書会「キリスト教と文学」の課題図書に指定されたので、久しぶりに読み返した。『土の器』は、著者の母上の晩年と最期について書かれた一種の私小説だが、この文庫本に収録されている父上・素夫の生涯を取り上げた『音楽入門』や、叔父・大中寅二を描いた『足踏みオルガン』と共に、この国のキリスト教受容の一つの典型を紹介してくれる。ハイカラで西洋音楽に親しむクリスチャン家族の姿が興味深い。私はこの国にキリスト教がどのように受容されてきたかを、主に牧師や神学者の生涯を通して取り上げてきたが、そこに信徒の視点が欠けていたことを改めて反省させられた。そこでは、キリスト教は開明的な西洋文明の一環として受容され、一種の選良意識に基づいてこの国特有の伝統や習俗、保守的な価値観に果敢に対峙していった様子が窺える。しかし第一世代の信仰者の息子や娘たちは、両親の信仰を尊敬しながらも、それを批判的に相対化していることも読み取れる。

君島洋三郎『荒れ野にて 現場からの雑記ノート』(自費出版)長く教団の世界宣教担当幹事を担い、その後農村伝道神学校の校長を担った君島洋三郎牧師が、隠退を機に、現役の時代の論稿をまとめて出版して送ってくれた。特に世界宣教担当幹事として、南米の各地にある日系人教会、南アフリカ、あるいは南インドの教会、そして何より台湾の教会を訪ね歩いた貴重な報告が再録されており、世界の教会とのエキュメニカルな交流の重要さを教えてくれる。巻末の「ジョン・バチラーのアイヌ理解と伝道」は、アイヌをアイヌとして愛し抜いたイギリス人宣教師の生涯を、批判的に、しかし暖かく描いているのが印象的。(戒能信生)

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