2023年8月26日土曜日

 

牧師の日記から(432)「最近読んだ本の紹介」

キリスト者遺族の会編『石は叫ぶ 靖国反対から始まった平和運動の50年』(刀水書房)編纂者の一人吉馴明子さんから送られてきて一読した。1960年代後半から始まった反ヤスクニ運動の中核に、「キリスト者遺族の会」の存在があった。最初の代表は小川武満牧師で、私も何度かその集会に参加したことがある。靖国国営化法案が当時1400万人に及ぶ遺族会の圧力を背景に自民党から国会に提出された時、キリスト者の遺族たちが立ち上がって反対を叫んだ。初期の小さなデモには「戦争は父を奪った 靖国神社国家護持は私の心を奪う!」と記されていたという。キリスト者遺族の会は、政治勢力としてはまことに小さな存在だったが、靖国神社国営化法案を結局は廃案に追い込んだのだった。そのキリスト者遺族たちも次々に高齢化して亡くなっていき、先頃その使命を終えて解散し、その50年の記録をこのような形にまとめてくれたのだ。これは、この国のキリスト者の偉大な抵抗の記録でもある。何しろ圧倒的な政治勢力に抗して、少数のキリスト者の抵抗がそれを食い止めたのだから。

南原繁研究会編『日本の近現代史における南原繁』(横濱大気堂)昨年11月に行なわれた南原繁シンポジウムの記録を、編者の一人山口周三さんが送ってくれた。特に、保坂正康さんと加藤陽子さんの講演を興味深く読んだ。ノンフィクション作家の保坂さんは、アカデミズムとは異なるジャーナリストの視点から論じている。南原の歌集『形相』を手掛かりに、折々に詠まれた和歌に南原の抵抗の在り様を読み解いている。例えば、昭和16128日の南原の歌「民衆は運命共同体といふ学説身にしみてわれら諾(うべな)はむか」という反語に、南原の姿勢が現れていると指摘していて考えさせられた。加藤さんは、南原の終戦工作の経緯を紹介し、それは昭和天皇にも了解されていたのに、その後、道義的責任(政治的・法的責任ではない)を負って退位すべきとする南原の退位論は受け容れられなかった。そこに神権天皇制の帝王学を受けて育った昭和天皇の問題を観ている。いずれも戦争責任の問題を根本から問う論考で、大いに学ばされた。

山下清海『日本人が知らない戦争の話 アジアが語る戦場の記憶』(ちくま新書)太平洋戦争時のアジア各地の実情、特にシンガポールやマレー半島における日本軍の侵攻と、住民虐殺の実態について知ることができる。以前仕えていた教会でシンガポールに駐在していた方の話を聞いたことがあるが、その全体像を教えられた。現在でも現地の小中学校では、住民虐殺の事実が教科書に記載され、繰り返し教えられているという。しかしこの国の学校教育では、アメリカ軍に破れた戦争のことは教えられても、アジア各地の市民たちがこれほど犠牲になっている事実にはほとんど触れられない。その非対称こそが、問題とされねばならない。

(戒能信生)

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