2018年6月9日土曜日


牧師の日記から(165

63日(日)主日礼拝。Ⅰペトロ書21-10の講解説教「捨てられた石」。この前後の箇所には、1世紀の終わり頃の小アジアの諸教会で実際になされた説教が引用されているという。「選ばれた尊いかなめ石」「捨てられた隅の親石」「躓きの石、妨げの岩」といった旧約聖書の言葉がキリストと結びつけられて引用され、「この主のもとに来なさい」と勧められている。この手紙の著書とされるべきペトロ(「岩」の意味)に因んでのことなのだろうか。礼拝後の定例長老会は記録的な短時間で終了。

4日(月)6月半ばに予定されている西武地区キリスト教会連合研修会での講演の準備。日本基督教団だけでなく、カトリックや聖公会の信徒たちも参加するので、共通の課題を取り上げることとする。つまり最近の教勢の停滞と教会員の高齢化の背後にあるのは何かという難問。それは特に戦後73年の意味を問うことと重なるのだが・・・。夕方、目白の日本聖書神学校に早めに行き、図書館で調べ物。柏木義円の『上毛教界月報』を検索して、必要なページをコピーする。小見のぞみさんの博士論文『田村直臣とキリスト教教育論』を借り出して読む。小見さんは、以前研究会で一緒だったことがあり、田村直臣については私も小さな論文を書いたことがあるので興味津々。夜は植村正久についての授業。

5日(火)朝から錦糸町の賛育会病院で定期検診。胃カメラの検査の結果は問題なかったが、前立腺の腫瘍マーカーが上昇しているとかで、午後から泌尿器科の診察を受けることになる。少し時間が空いたので、すぐ近くの加茂登千・弘子さん宅を訪ねる。東駒形教会時代にお世話になった教会員で、脳梗塞の予後を療養されている。思ったよりもお元気で嬉しかった。2時半に診察を受け、取り敢えず再来週MRIの検査を受けることになる。

6日(水)午前中は聖書を学び祈る会。先週に引き続き士師記のサムソン物語を取り上げる。ナジル人として育てられたサムソンだが、異民族ペリシテの女性に恋し、ライオンを素手で殺すほどの怪力の持ち主ではあるものの、女性の誘惑にはからきし弱いそのアンバランスが興味深い。ペリシテ族の脅威の中で、ペリシテを散々困らせたサムソン伝説がユーモアを交えて伝えられたのだろう。

7日(木)午前中、門前仲町の歯科医院の定期検診。小さな虫歯が見つかり治療。この年になっても虫歯になるのだ。その後、移転したばかりの石井房恵さんのカフェを訪ねる。以前のお店から永代通りを渡った反対側。ご自宅のガレージを改装した明るく可愛いお店。そこに荒井眞・久美子さん夫婦も来店され、一緒にランチ定食を頂く。野菜がたっぷりでなかなか美味しかった。お昼時だったこともあり、お客さんで満杯状態。その足でキリスト教会館に行き、午後はNCAの仕事と定期刊行物の発送作業など。

8日(金)午後から農村伝道神学校の授業。この日は、明治期第1世代のキリスト者たちのまとめの講義。学生たちの多様な質問に答える。(戒能信生)

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